#53 襲い来る魔は
「な、にっ!?」
ゴブリンはわめきながら私たち目掛けて襲い掛かって来た。短剣を振りかぶり疾駆してくるゴブリンに私は驚き、反射的に手を出して制止の構えを取った。
「やめろ貴様! 私を何だと思って……」
「ニンゲン! コロス! コロスゥウ!」
「ひっ」
伸ばした手の静止も意味を為さず、飛び掛かる様にしてゴブリンは襲い掛かって来た。明確な殺意に悲鳴を漏らしながらもゴブリンを見る。
逡巡。狙うは、私か、キエルか。そもそも何故。わからない。ただ分かるのは、襲ってくるという事。ならばせめてキエルのやつを囮にでも……と考えた筈が。何故だろう、私は反射的にキエルの前に立った。立って、しまった。
結果、襲い掛かって来たゴブリンの標的は私となり、振りかぶられた短剣は思わず頭部を庇うように交差させた私の腕を掠め、皮膚を薄く切り裂いた。
「痛っ……」
痛みと驚きで尻餅をついた私は、腕に走った痛みに思わず手をやってしまう。切られた傷から赤い血が流れ、掌で拭った自分の血を眺め私は困惑と驚愕に目を見開く。
「ほ、本気で殺そうと……っ!?」
驚きのままに冷や汗が噴き出す。いや、わかっていたはずだ。あの殺意は生半可ではない。
そしてその眼でゴブリンを見やれば、その背後の茂みから他にも数体のゴブリンが現れたのだ。その数は多くはないが、私を殺すには十二分。
これは、まずい……! 事情は全く分からないが奴らは私たちを本気で殺す気だ! もはや自分がなぜキエルの前に立ってしまったのかなど自問自答している暇もない。
ちらっとキエルを見れば完全に怯えで竦み上がっている。足を震わせながら怯えた目でゴブリン達から目が離せなくなっているらしい。
愚図め……!
心の中で悪態をついたとほぼ同時、またゴブリンの一匹が低い姿勢で突っ込んできた。
「キエル下がれ!」
私は叫んでいた。びくっ、と私を見たキエルがおどおどと後ずさる。
……まただ。なんで私はこいつを盾にして逃げないんだ?
そして突進してきたゴブリンの頭突きが私の横腹に突き刺さる。衝撃が体に浸透する。私は軽く吹っ飛ばされて地面を転がった。
「うグ……」
「ココット!?」
キエルの背後まで転がった私に、キエルが駆け寄ってくる。馬鹿が! 目を逸らすな!
私は咳き込みながらも目で訴える。しかしキエルの阿呆は私を心配でもするような眼で必死に助け起こそうとしてくる。こいつはこの状況を打開する役には全く立たない。使い物にならない。
……じゃあなんでそんなお荷物を、私をイラつかせるだけの阿呆を助けるような真似をしたんだ?
そんな思考が浮かんでは消える。が、今はそれどころではないんだ。背中を見せたキエルに狙いを定めたかゴブリンの目がぎょろりと動く。そして涎を垂らしながらギイギイと呻いて再び短剣を振り上げ走り出す姿勢。
このままじゃ、死ぬ。二人とも、死ぬ。
死の恐怖。久方ぶりの感覚。それは過去アウタナで何度も感じた筈のものだったが、凍った心の頃と違い、私に確かな怯えを感じさせた。
嫌だ。死にたくない。死ねない。
そこへ、突風が巻き上がった。
「っ!」
反射的にゴブリン達が飛び下がり距離が開く。
思わず風に目を伏せながらも薄めで空を見れば巨大な影が私たちを覆っていた。月夜を遮るそれは私とゴブリンの間に降り立つ。
「クォートラ!」
戦闘態として竜化したクォートラは、ゴブリンに咆哮を浴びせると、首を曲げ私を見た。
護衛の筈が、私を気遣って声を掛けるまで待機のつもりで離れていたのだろう。私もゴブリン達がまさか自分を襲うとは考えていなかったから、クォートラらを呼ぶという思考が吹き飛んでしまっていた。混乱していたのだ。
「姫! ご無事で……!」
キエルに抱き起されながらクォートラに叫ぶ。
「おそいぞ……腕を斬られた……!」
私の傷を見たクォートラの瞳孔がきゅっと縮まったのが見えた。そこへどかどかとゾフが駆け込んでくる。
「気づくのが遅れちまった! お嬢の声が聞こえて……無事ですかい!?」
大斧を携えたゾフに半ばキエルごと助け起こされる。そのままキエルに肩を抱かれてゾフの背後へ。
「姫、お下がりを! この者らは……!」
「知らん! いきなり襲ってきた!」
クォートラは首をゴブリン達に向けると赤い瞳を爛々と輝かせた。その口腔から除く牙の隙間には炎がちらちらと見えている。相当、頭に来ているらしい。
ぎょろりとドラゴニュートに見すくめられたゴブリン達はギイギィ鳴いて後ずさる。完全に驚愕と言った表情、そして、恐怖か。
「我が軍の者ではないな……!」
クォートラが唸る様に言う。
確かに、いかなゴブリンとて将軍である私に危害など加えるはずもない。私の、部下ならば、だ。私が孤立したところで暗殺でも企てる輩がいるかもしれんが今の状況では何のメリットもない。しかしそんな損得で動く知能がないのもゴブリンだ。だから本来は武力で従える。私にとってはそれがクォートラ達3隊長だったのならば、謀反が在って然るものと考えるべきだったか。
しかし、襲い来たゴブリン達はどうやら私の配下にある者どもではなかったらしい。
私を知らないか別の軍のゴブリンであれば襲ってきてもおかしくはない。しかし、こんな場所に私の軍の者以外の魔族がいるなどとは考えてもみなかった。ここは人間の地、ファルトマーレ領なのだから。
「ドラゴニュート! ドラゴニュートッ!」
「ナカマ! ニンゲン、マモル、ドウシテ!」
「このお方は将軍閣下だぞッ!!」
クォートラが疑問を口にしているゴブリン達に再度咆哮を上げた。困惑していたらしいゴブリン達はキィキィと恐れおののいているようだった。
「ありゃ完全に切れてんな」
ゾフが私の前に立ち大斧を構えながらつぶやいた。激昂しているらしいクォートラは今まさに炎を噴き出さんとゴブリンらに吠える。
「下級魔族め……同族とはいえ姫を傷つけた無礼の落とし前は我が炎によって清算してくれる!」
そして怯えるゴブリンに火炎の吐息が浴びせられようとした刹那に、制止の声が響く。
「待て! 何の騒ぎだ!」
茂みを破りものすごい勢いで飛び出した影があった。
影は四つ足の動物にも見えたがゴブリンらの前に滑る様にして立つと二本足で立った。
ふさふさの体毛に覆われた体躯は二足歩行からして人型ではあるが、獣が服を着たような姿と、頭部が人と狼を折半したようなものであったから、これもまた魔族であることは疑いようがなかった。
クォートラは眼前に立ちふさがる様にして現れた魔族を一瞥し一度炎を収めた。
「ウェアウルフか……!」
現れたウェアウルフはクォートラとゴブリンの間に立ち戦いを制止する様子だった。
訝しむクォートラは警戒を解かぬ様子のままじっとりとウェアウルフらを見下ろしている。
「俺たちは敵じゃない。お前たちも逃げて来たんだろう」
「……何の話だ」
「とぼけるなよ。俺達も同じだ」
訳の分からないことを言い始めるウェアウルフ。ゴブリンどもを落ち着けると、一歩進んだ。
「安心しろ。俺達はお前たちと同じなんだ。だから……」
ぐるりと周囲を見渡すウェアウルフ。クォートラとゾフを眺め、そして様子をうかがうためにキエルに肩を抱かれながらもゾフの背中から顔を出した私と……目が合った。
その瞬間にウェアウルフは目の色を変えた。瞳孔が拓き、憤怒の表情で牙をむく。
話の内容が理解できずにいた私たちだが、ウェアウルフの様子が尋常ではないことは見て取れた。そして、ウェアウルフは前屈姿勢をとると、先ほどまでの戦いを制止する様子は吹き飛び、烈火の表情で疾駆して来たのだ。
……私へ向かって、
「悪魔の相……同胞の仇ッ!」
「は、あっ!?」
クォートラの足元を抜け疾駆して来たウェアウルフの紅い瞳は私を射貫くようで、むき出しの牙と爪は明らかに私を引き裂かんと向かってきていた。
またか! ゴブリンに続いて現れたウェアウルフ。ゴブリンを制止する動きから話が分かる奴かと思ったが、またしても私に襲い掛かってくるのか。
私はまたも殺意を見に浴び委縮する。
構えるゾフ。しかしゾフなど目に入っていないような様子だ。そしてウェアウルフが私にとびかからんとしたところで、クォートラの尻尾が横薙ぎにウェアウルフを吹き飛ばした。
野太い大木の幹に叩きつけられたウェアウルフは、咳き込みながらすぐに起き上がると、驚きと憎悪の入り混じった表情で私たちを睨んだ。
「なにをしやがる! そいつは……人間は! 俺たち魔族の敵だろッ!」
心底意味不明という様子のウェアウルフが叫ぶのに同調してかゴブリン達も再び騒ぎ始める。
クォートラはずしりと大地を歩きウェアウルフに歩み寄ると一度大きく吠えた。
「もう一度言うぞ。我らは魔王軍、エルクーロ様の命により行軍している。そしてあの方は我らの将軍閣下である」
クォートラの言葉に、ウェアウルフは口をぽかんと開けたまま目を丸くした。
♢
深夜、キエルに体を支えられて腕から血を流しながら村へ帰還した私を見たツォーネは慌ただしかった。
クォートラとゾフにお前たちがついて居ながらという様子で食ってかかり、諫めるのに大分気を揉んだ。
そして何より、事情を聴くや否や、同伴して来ていたウェアウルフやゴブリンをその場で殺そうとしたのだ。
クォートラとゾフが二人がかりでそれを止め、その手から突撃槍を取り上げた頃合いで私が何とか説得し止めた。
今は、長屋の一つで同じテーブルを囲み、事情を聴くべくの状況となっている。連中の危険性からキエルは同席させなかった。
クォートラに村から接収した包帯を腕に巻いてもらいつつ、ウェアウルフらを眺める。
「さァて、んじゃあ色々聞かせてもらおうか」
ゾフが腕組みをしてふんぞり返りながらウェアウルフを一瞥し言った。この時、私を除けば一同の中ではゾフが最も冷静だった。
ウェアウルフは、クォートラとツォーネの警戒心や殺気を受けながらとなったため居心地の悪そうな様子ではあるが語り始めた。
「あ、ああ。まず俺はレコと言う。うちの連中がすまない。まさか魔王軍がこんな所に進軍しているとは皆思っていなくてな」
ウェアウルフの男……レコはそう言ってゾフやクォートラ、未だに殺意を隠そうともせずに抱いたままとんとんと指で机をたたくツォーネを見渡す。
「それで、お前たちは一体なんだ? 話を聞くにまとまった集団なのだろう」
「黙れ人間めッ! お前なんぞと話す気はねえッ!」
コレだ。私が質問をすれば、レコは反射的に私を威嚇して来た。未だ状況を理解してすらいないのかこいつは。
「はあ……先に言っておくが我々にとってお前たちはまだ仲間でもなんでもない。私を襲ったのは事実だし、あまり迂闊なことは言わないでもらえるかな。話が進まん」
「五月蠅い! 魔族の話に人間がしゃしゃるんじゃねえ!」
「てめェー……そのでけェ耳は飾りか? 話きこえてなかったかよ? 次ココット様にナメた口聞きやがったらハラワタ引きずり出して瓶詰にしてやンぞ」
私を怒鳴ったレコに対してツォーネが立ち上がり机を殴る。衝撃で木製の机の一部が砕け、レコもうっとたじろぐ。
「魔将軍ツォーネ……なんであんたが人間に従ってる……!」
レコはツォーネを将軍と呼んだ。かつてツォーネが将軍だったのは間違いないが過去の話だ。どうやらレコは魔王軍について知っているらしいが、情報は新しくはない。少し、読めて来た。
「わたくしはもう将軍ではありませんの。ココット様に仕える愛奴に過ぎませんもの。だから親愛なるココット様への侮辱は許せねぇんだよ。殺すぞワン公が。ってか殺す。殺していいよなコレ」
ツォーネの頭に血が上っているのを察したゾフがその肩を掴んで無理やり椅子に座らせた。ツォーネは振り払おうとしたが私がため息をつけば顔色を窺ってか、額に青筋を浮かべたまま渋々とおとなしくなった。
クォートラが私の腕の包帯を巻き終え、出来るだけきつくなり過ぎないよう縛りながら言う。
「姫は人間だが魔王様に認められエルクーロ様の下将軍として我らを率いるお方だ。俺達が従い、今この村に駐留する魔族全てを束ねておられるのが証拠。無礼な態度は慎めと何度も言っている筈だが」
「ぐ……信じられねえ……」
「現に姫は俺達と共にアウタナとフリクテラを陥落せしめた。かつて将軍だったツォーネさえ従っている。これでもまだ信じないというか?」
包帯の上からじゃばじゃばと消毒用の液状薬らしいものをかけ、処置が済んだとして椅子に座るクォートラ。
レコもクォートラの言葉で一度黙ったので、やっと話せる。私は一連のしようのないやり取りと眠気、傷の痛みからくる怠さから、だらしなくもぐでりと頬杖をつき、コンコンと指でテーブルを叩きながら流し目でレコを見やった。
「はあ。聞いての通りだ。我が軍はエルクーロ様の命で動いている。アウタナとフリクテラを陥落させた今、ルイカーナを落とすべく……この村に駐留している」
正直信用を得られるなどとは思っていないし、正直得る必要性もない。が、概ね素性に想像がついてきたところで今度は連中の話を聞くとしよう。雑兵の野良にしか見えんが意外とこういう手合いが掘り出しモノを持っていたりもするものだ。
「で、お前たちは何者だ?」
レコは、未だ私に敵意を向けながらだが、ツォーネだけではない、クォートラやゾフも鬼の形相でレコを睨んでいたから、渋々という様子だったがぽつりぽつりと語り始めた。
「……俺たちの殆どは各地で捕まった奴隷だが……俺は、ウラガクナ様と共に主戦で戦っていた魔王軍だ」
レコは悔しそうな、歯噛みをするような表情でそう言った。
そして、すぐに懇願するような顔で私たちに問うてきたのだ。
「教えてくれ。前線は……ウラガクナ様の軍はまだ健在なのか!?」
レコの素性は分かった。四天王ウラガクナ様の配下。ツォーネが将軍と知っていたり魔王軍内の事情に明るかったのも頷けた。
私たちは顔を見合わせた。そして私が静かに答える。
「……ウラガクナ様はまだ前線で戦っておられると聞いている。勇者率いる軍に圧されている状況ではあるが」
「……! くそっ」
レコは悔しそうに項垂れた。
ウラガクナ様が圧されている……それはエルクーロ様や魔王様との会話ではどうにもおそらく小国連合の介入によるものなのだが、ここではあえて伏せた。説明が長くなり聞くべきことが聞けないのは避けたい。話の脱線は望ましくないからだ。
「……俺たちは大分前、戦場で捕虜になった。そしてルイカーナに送られて奴隷として過ごしていた。あの忌々しいルイカーナの城に!」
レコの拳は震え、歯は食いしばられていた。よほどの悔しさか、屈辱か。あるいは恐怖を味わったようだ。
「だが……少し前になんとか脱出し、同じように逃げ出した元奴隷の魔族と身を潜め、力を蓄えていた。そして巡回のため外に出ていた。かねてからこの村を潰して足掛かりにするつもりだったからな。どうやら、先客がいたようだが」
ふむ。なるほど。レジスタンスという訳か。そして捕囚だったことを踏まえれば情報が古かったのも合点がいく。
そして、人間たる私に対する憎悪や敵意も理解はできる、が……レコは私を悪魔の相と言って襲ってきた。
キエルが居たにもかかわらず、あの時の憎悪は私にのみ向いていた。人間相手だけではない。悪魔の相に恨みを持っている。
だがそれはおかしいのだ。悪魔の相とは人間が作り出したオカルトに過ぎず、魔族側からすれば別段何の意味もないただ血色の悪いアルビノの人間だ。だというのに、レコの殺意は本物だった。
人間社会で疎まれる悪魔の相を持つ者が魔族を脅かすなどとは考えられなかった。何か、事情がある。
「……ルイカーナで捕囚になっていたのであれば、中の事情には明るいな? 教えろ。あの街の内情と戦力。そして……」
私はじっと目を細め、私を睨むレコをしかと見て、言った。
「なぜ私を憎むのか」
レコの歯ぎしりの音が部屋の中に響いた。やはり、私に対する反応は普通ではない。私……悪魔の相にレコが何かしらの恨みを持つことは明白だった。
一拍の呼吸と沈黙を経て、レコは言う。
「……俺達があの忌々しい城から逃げ出す時、多くの犠牲が出た」
「黒紫騎士団か?」
違う、とレコは首を横に振った。
「奴らも手強いが、そうじゃない。俺たちは完全に奴らの目を盗んで脱走する筈だった」
レコはこぶしを握り締めながら、私を睨んだまま言ったのだ。
「俺たちは悪魔に襲われたんだ……! ルイカーナの城には悪魔が飼われている……白髪赤眼の悪魔がな……!」




