#52 月夜に
すっかり日は暮れ、夜の帳が落ちきった頃合い。
出発してからきっかり二日でシンの村に帰ってきた私は、ぶすくれたような仏頂面を出迎えたクォートラに指摘された。何かあったのか、と。
「何がも何もない。見ての通りだ」
「はあ……その、お持ちの品々は一体……?」
私の両手いっぱいに抱えられた飴等の菓子を見て首をかしげるクォートラ。ルイカーナを出るときに、商人どもから持たされた。それなりに容姿の整ったキエルに連れられる小さな私は、髪と目さえ見られなければ可愛らしく見えたらしい。フードマントという怪しい格好にも拘らず、仮装の一環とでも取られたか、あれよあれよという間に菓子を押し付けられたのだ。
大人の女性が子供をかわいがっていろいろ与えてしまう心境なのかもしれないが、街ぐるみでトリップしている連中に囲まれるのは色々と気が気ではなかったから、ガードマンめいてある程度人波を遮ったツォーネや魔剣士の働きには感謝する。
「いい迷惑だ。こちらは髪と瞳が見られないか気が気ではないというのに、寄ってたかってものを押し付けてくる。あの街の連中、相当気が抜けているぞ。戦時下にありフリクテラも落ちているというのにたるみ過ぎだ」
「ははあ、しかしそれは我々にとっては吉と出るという事では? 油断した人間なぞ我が炎にて炭にしてくれましょうぞ」
「事がそう単純ならいいのだがな。まあいい、得た情報もあるから共有したいが……私は今非常に機嫌が悪い。すまんが後に回す」
「は、疲れもありましょう。お休みになられよ」
「ああ。クォートラ、お前とゾフも休んでいい。私が不在の間よく留守を守ってくれたな。警備はゴブリンと魔剣士どもにやらせておけ」
そう言って私は菓子類をクォートラに押し付けた。
クォートラは少し驚いたような顔をしたが、捕囚たる村人連中を私の監督無しで殺さずに生かしておくと言う慣れない仕事を二日もやって疲労の色が見えた。それを見抜かれているのがわかっているのか、深く礼をした後ゾフでも呼びに行ったのだろうか、私の前から去って行った。
さて、帰りに使用した馬車を村の適当な場所につけにいったツォーネと別れ、キエルと騎士、ルクを連れ立ち村の中へ帰って来たという次第だ。
私はクォートラを見送ったのち連れ帰った騎士の一人とルクを住民を放り込んである家屋に押し込めた。
家屋の中からルクの帰還を喜ぶ声と、子供たちを慰めるルクの声が聞こえてきて、さらに不快な気分に拍車をかけた。私は黙って家屋を後にし、キエルを伴って寝床にしている長屋に辿り着くと、部屋の外でキエルを適当に放り、藁のベッドに突っ伏した。
クォートラにも言われたが、疲れている。そしてそれ以上に、苛立っていたのだ。
……眠ろう。早くルイカーナを落とすための作戦を練るためにも、余計な苛立ちはさっさと解消しなくては。
そう思い、しばらく目を閉じたのだが。
時間にして小一時間程度だろうか。少しまどろんだとはいえすぐに寝苦しさを感じて目が覚めてしまった。広場ではまだがちゃがちゃとゴブリンやオークが荷物を運んでいる音が聞こえて来たから、大して時間が経っていないのは間違いなかった。
暑苦しい訳でもない。むしろ少し涼しい程だ。二度寝しようと姿勢を変えて再び目を閉じるが、どうにも寝付けない。
ダメだ。
私は観念して起き上がると、上着を羽織って寝室から出る。扉を開けると私の護衛の魔剣士の傍らで椅子に座ったままこくりこくりと頭を揺らしているキエルが居た。私の足音で目を覚ましたか朧げな視線を私に向けてくる。
「……少し風に当たる。お前は寝ていろ」
ぼうっとしているキエルにそう言って、私は長屋を出て広場へ。キエルは何かを言いかけたが、私は聞くつもりもなく扉を閉めた。
広場に出て見渡してみればフリクテラからの追加の物資が届いたか、オークたちもゴブリンに交じってせっせと運搬をしていた。この辺りもクォートラやゾフがやりくりしてくれたらしい。助かる。
「こ、ココット様、どこいくだ?」
と、急に声を掛けられて驚いた。見てみればオドが広場ですれ違った私に声を掛けたらしい。それを私は無視しようとしたのだが、オドは私を振り返って頭を掻きながら言うのだ。
「……ココット様、嫌なことあったなら……む、村の裏に泉があっただ……み、水浴びでもすればすっきりするだよ」
「なに?」
私は足を止め、オドを振り返る。驚いたのだ。オドがそんなことを言うなど。私を気遣っているのか。
「クォートラ様と、ぞ、ゾフ様が水浴びにいってるだ……い、一緒に行けばいいだよ」
オドは頭を掻きながら不細工な顔でにへらと笑っているようにも見えた。
「いや、私は……」
意外な言葉にどもってしまった私だが、オドは相変わらずの表情で荷物を持ったまま私を見下ろしていた。そんな姿に苛々していた自分がなんだか馬鹿らしくなり、改めて一度深く深呼吸をする。日に何度も気遣われては示しがつかないではないか。
「……そう、だな。悪くないかもしれない」
首をかしげるオドに背を向け、私はため息をつきながら村の外へと歩を向けた。護衛も付けずに出てきたのは油断極まるが、村の外にも魔族が見張りの巡回をしている筈。そこまで危険は無いだろう。何より泉にはクォートラらが要る筈と。
しかし、泉か。確かに、フリクテラを出てから水浴びなどしていないからな。
私はすんすんと自分の腕や脇の匂いを嗅いでみる。臭いかどうかはわからんが、少し埃っぽい様な気がした。
水浴び、か。今の気候は秋のような感じだろうか。少し風が冷たくなっている。そんな中で水浴びなど普段ならごめん被るが、不思議と今は水で体を流したい気分なのだ。多分、頭を冷やしたいとか、そんな気分だから。
それに水で体を流せば、あの寝苦しさも取れるかもしれないと。
オドに指さして貰った方角に歩いて暫くすると、ざぶざぶと水音が聞こえて来た。そして、話声。
クォートラとゾフだな、と分かった私は草葉をかき分けて泉のほとりへとやって来た。
泉は小さくはないが大きくもない。澄んだ水と、小高い丘のような岩垣があり、そこから小さく滝のように水が流れてきていてかすかに霧がかっている。美しく、幻想的な自然の風景だった。
そこでクォートラとゾフは、談笑しながら体を流していた。
そんな光景に思わず私は言葉を漏らしてしまう。
「……懐かしいな」
サラリーマン時代に仕事で疲弊した体を癒すために対して仲も良くない同僚とたまに銭湯に行ったものだ。
そんな過去の思い出を幻視して、ついついくすりと笑ってしまう。
そして、その言葉と笑みは、クォートラとゾフをひどく驚かせた。
ばしゃりと水しぶきをあげて私にそろって向き直り、一瞬身構えたのち、私と分かって礼をした。
「姫!? こんなお時間にこんな場所で……てっきりお休みになられたのかと」
「脅かさないで下せえよお嬢……誰が来たのかと思ったぜ」
「ああ、すまない。オドにお前たちが水浴びをしていると聞いた」
クォートラとゾフは顔を見合わせた。
「どうにも寝付けなくてな、少し頭を冷やそうと思って私も水浴びをしに来たのさ」
私は泉のほとりでぱぱっと衣服を脱ぎ、丁寧に畳む。やはり一糸まとわぬ裸で野外に立てば、それなりに肌寒さは感じる。しかし、悪くない。
辺りに聞こえるのは木の葉の揺れる音と、鈴を鳴らすような虫の鳴き声。動物は寝静まる夜の静寂は心を落ち着けてくれた。
目の前の泉は月夜を照り返しキラキラと水面が輝いてすら見える。私はゆっくりと泉に足を踏み入れた。
「姫!」
「ん……」
クォートラが叫ぶので何事かと。
見ればクォートラはそっぽを向き、ゾフはやれやれと額に手を当てて困った顔をしていた。
「お嬢よう」
「何だ?」
「いや、何だって……お嬢は女じゃねえか。俺たちは男だからよ、その」
ああ、そういう事か。
「別に何でもないだろう。意識されるとは思っていないんだが、違うのか?」
「いやそういうんじゃなくてよう」
「女性が軽々しく男と水浴びなど……先日注意をしたばかりではありませんか」
「む」
私が寝ぼけて下着のままうろついた時か。確かにあの時はひどく注意された気がするな。だが、あれは公然の場であったからで、今回は水浴びの場だ。布を纏ったまま湯船に入るのはおかしいのと同じくらいに考えているわけだが……。
それに女性、と言われてもな。私はどうやらこういった内面的には未だ男性が強いのだろう。アウタナでの生活で裸を見られるなど性別問わず慣れきってしまっていたのもあるし、クォートラやゾフも裸体であるが男性だから、それが自然だと思うし何とも思わないんだが。
まず第一に今の私は幼子だ。胸は……少し膨らみ始めて来たような気もするが、ただの子供だ。
銭湯でも男湯で小さな娘の体を洗ってやる父親の姿をたまに目撃したし、クォートラやゾフのような屈強な男が子供の体を見て照れるはずもあるまいし。クォートラには娘がいたとも記憶しているのだが……。
だが、そういえばエルクーロ様に言われた気もするな。私は子供らしくない、と。
まあ、精神年齢としては不本意だがもう中年と言って差し支えないし、振る舞いで外見に拠らぬイメージを持たれているのかもしれないが……ううむ。曲がりなりにも形としては混浴になってしまうのであれば、避けるべきかもしれんが。
まあ、いいか。
私はじゃぶじゃぶと水をかき分けて歩を進めた。冷たい。が、刺すようなほどではない。ゆっくりゆっくり歩みを進め、腰までつかったところで盛大なため息が二つ聞こえた。
「肝が据わってると言うかおおらかというか、なんというか……お嬢は大物だな」
「姫……我々はあちらの茂みにでも居ります。水浴びが終わりましたらお声かけを。村までお守りします」
「……? お前たちはもういいのか?」
「我らの事はお気になさらず」
「俺は別にまあ、構いやしねえんだがな」
「ゾフ」
「あいよ」
じゃばじゃばと大男二人が泉から出ていくのをぽけーっと見送る。
水音に交じって、二人の会話がほんのり聞こえて来た。
「クォートラ、勿体ねえぞ。お嬢はきっと将来美人になる」
「おい、姫のような子にまで節操がないぞ」
「そうじゃねえって。お嬢の裸、まるで妖精みてえな有様だろ。本当に人間にしておくには勿体ねえ。あのキツい性格がたまにキズだが、大人になったら男が群がるぜ、ありゃあ」
「……悪い虫は俺が焼き尽くす」
「過保護なこって」
鼻を鳴らしたクォートラに半ば連行されるような形でゾフも笑いながら泉から出ると、衣服を纏って外れの茂みに消えていった。
会話の内容は半分ほどしか聞き取れなかったが、褒められていたらしかった。私は美人になるのか。複雑な思いだが、不思議と悪い気はしない。容姿を誉められた時は親に感謝しろと前世で子供のころ教わったものだが、であればレイメへの感謝に他ならないのだから。彼女は美しかった。それを受け継いだというのであれば、彼女との間に確かな絆として意識できるものだろう。
私はクォートラとゾフがそそくさと去った方を見やり、少しばかりの感謝を込めて微笑んだ。少し気がまぎれたよ。
さて、一人になってしまったが、二人は近くで待機しているだろう。であれば安心して体を流せる。
掌で水を掬いあげ、ぼしゃりとまた零す。
……少し楽しいかもしれない。
しばらくはばしゃばしゃと水面を掌で叩く様にして、飛沫を上げて遊んでみる。楽しい。
水面を叩きながらより深い所へと足を踏み入れる。胸まで浸かったところで歩を止めてみれば泉の真ん中あたりだ。泉の広さからしてこれ以上深くなっても私の足が届かないことは無いだろう。
私はそれから体を水で流し、髪をすすぐ。
こんなに広い場所で一人でいて、こうして自由に要られることに楽しさを感じられるとは。数年前は考えられなかった。誰にも縛られない、私だけの時間。私の喜び。
「水遊び……プールや海は好きではなかったから敬遠していたが、やってみると存外悪くない」
冷たかった水も今は慣れ、ただよう体の感覚に身を任せる。水に浸かってはしゃぐなど年甲斐もない気はするが、誰に遠慮することもない。こんな世界だ。上司や部下に見られている訳でもないし、たまには羽目を外すのも悪くない。
「はは」
私はくるくる回る様に水を薙ぐ。飛沫が月夜に煌き、まばゆく輝く。
「あはははっ、あははっ!」
ひとしきり踊る様にばしゃばしゃと水と戯れた後、ふうと息をついて空を見やる。
月夜で明かりもある。溺れる心配があまりないと確信し、思い切って背中から倒れるように水に体を沈める。
ばしゃり、と水しぶきが上がり私はそのまま体を水の中に沈めていく。
澄んだ泉の水の中から見えた月夜はゆらゆらと揺らめき、白銀の輝きが美しかった。
白い髪を水に漂わせ、そのまま脱力し浮力が私の体を水面に押し上げる。
ぷかりと浮き上がった私はそのまましばらくは漂うように月夜を眺めていた。
そんな折、がさりと草を踏みしめる音がして、私ははっとして姿勢を起こすと顔を向ける。
そこには、おどおどしげな表情で私を見る、キエルの姿があった。
「……?」
私は訝しげな顔を向ける。なんでこいつがここにいる? 長屋で眠りこけていたはずだが、まさか後を追ってきたのか。
ついてこいなどとは命じていないし、魔剣士共は何をしている。
私と目が合ったキエルははっとして顔を背けた。
「その、覗くつもりはなくて……ただ、えと、オークの方がココット、様が水浴びに行ったと話しているのを聞いたものですから……」
顔を赤くしながら言い訳めいて矢継ぎ早に言葉を繰り出すキエル。聞いても居ないことをぺらぺらと。
私はじゃぶじゃぶと水をかき分けてキエルの方に歩み寄っていく。キエルはそれを見て顔を背けたまま後ずさった。そんな様子になぜか面白くなってしまい、悪戯な気持ちがわいてくる。ああ、だいぶ気は紛れていたのだな。私の苛立ちの元凶相手に、からかってやろうかなどと思える程度には。
「お前もどうか? 水浴び」
「え……?」
「前にも言っただろう。私のそばに置くのに臭くては困ると」
キエルははっとして慌てたように自分の服や腕の匂いを嗅ぎ始めた。やはり女子としては気にするのだろうな。
そして、少し怪訝な顔をしたキエルだったが私をちらりと見やった後首を横に振った。
「わた、私は遠慮します……」
「……あー、何を気にしているかは知らんが、小娘の裸なんぞ興味はないぞ」
私は先のクォートラ達の様子から、キエルがどうせ裸を見られることへの抵抗を理由にしているのかと思ったのだが、キエルは顔を真っ赤にして首を横に振った。
「そ、そんなことじゃありません! 女同士ですし、もう見られてますし……っていうか、小娘って何度か言われましたが、私は貴女より年上です!」
「そういうことではないんだが。ふん、まあいい」
入らないならば精々見張りでもしてもらおうと思い、私は再び水に体を沈めようとして……。
私は再びがさりと言う音を聞く。
見ればキエルの近くの茂みから、ゴブリンが一匹歩み出て来た。
それを見て私は怪訝な顔でキエルを睨む。
「……わざわざゴブリンまで連れてきて、護衛のつもりか? 間に合っている。近くにクォートラとゾフがいてくれるからな」
じゃぶじゃぶと水をかき分けて泉から上がると、ゴブリンを一瞥してキエルを睨む。しかし、キエルは怯えた顔でゴブリンを見ていた。
こいつが連れて来たのではないのか?
訝しむ顔でゴブリンを見る。短剣を持ち、私たちを見て歯を出していた。様子がおかしい。
「……お前、警備のゴブリンだろう。何しに……」
私がその言葉を言い切る前に、ゴブリンがギャアギャアと喚き始めた。
「ニンゲン! ニンゲンンン!」
そして明らかなる敵意と殺意を持ち……赤い瞳を私に向けたのだった。




