#4 汚れし者達
そうして、第三の地獄たる今に至った。
スラムに流れ着いた私たちはレイメが持ち出していたなけなしの金で小屋を買った。
私は半ば放棄した思考のままだったが、レイメに恩を返したい気持ちはあったのだろう。なにかできることを探した。
しかし私はやはり働けるような仕事はなかったため、せめて家の手伝いはと思い、レイメが止めるのも聞かずに小屋の水くみをなんとかこなしていた。
もちろん、長い牢屋暮らしで鈍った体だ。痩せていたし、力の入れ方も忘れた。
何より外で人目に付けば、スラムの子供たちは私の目と髪を見て悪魔と蔑み石を投げる。大人たちは口々に陰口を言った。
隠れるようにしながら生きるのに精いっぱいだった。
――――そして今日も、石を投げられながら水を汲んで、小屋へ帰宅したのだ。
投げつけられた石の当たった部位が痛む。帰ってくるのが遅くなった私は、すでに起きていたレイメに出迎えられた。
「……レイメさん」
「おはよう、ココット。おつかれさま」
「……おはようございます」
私は表情を変えずにそう答えた。レイメは少し寂しそうな顔をした後、私の腕にあざがあることに気づき、手招きをした。
私は水桶を置くと言われるがままにレイメの前に行く。
レイメは私を寝台に座らせると、立ち上がって布を水に浸し、戻ってきて私のあざの上に巻いてくれた。
冷たさが痛みを鈍らせる。慈愛に満ちたその手つきに私は凍った心で僅かばかりに感謝をした。
前世の両親は、仕事人間であったために私は育てられたという記憶がほとんどない。学校へただ入れてもらい、大学卒業と同時に就職し一人暮らし。こうして怪我を心配してもらった記憶もなかったな、と数年ぶりに前世を思い出した。
そんな両親に比べればレイメの優しさはきっと身に染みるのだろう。しかし、この数年で枯れ切った私は、ただ黙っていることしかできなかった。ありがとうの一つも言えない大人になってしまった事だけは、かつての両親に謝りたい。
そして、これだけして貰っても今までただの一度も母と呼べないレイメにも、心の中で小さく謝罪をした。
「ココットは何も悪くない、悪くないのよ」
レイメは私を膝の上に抱き、頭を撫でながらそう言ってくれた。
いつか一緒にこんな暮らしを抜け出して、湖のほとりに家を建て、二人で美味しいケーキを食べよう。そんな話を毎日してくれた。
私はそんな夢物語を同意も否定もせず、ただただ黙って聞いていた。
そんな私にレイメはにこりと笑って、食事にしようと言った。
くすんだパンを持ってくると、私と分けて食べた。
私は黙ってパンを無造作に口に入れ、機械的に咀嚼した。かたいパンは、土の味がした。
食事を終えすこし休んだ後、レイメが寝台を整える。
「ココット、ごめんね……」
レイメは私に謝罪の言葉を残して寝台に座った。
……私は何も言わずに小屋を出た。これからレイメが仕事をする。彼女が仕事をしている間は、私は外へ出て隠れている。
裏手から小屋を出た私の背後で、誰かが小屋に入る気配がした。レイメの客だ。
しばらくして、布のかすれる音や古いベッドのきしむ音。
客の男の声に交じって、レイメの声が聞こえてきたあたりで、私は我慢ができなくなり小屋を離れて歩き出す。
レイメのおかげで私たちは何とか食べている。お代替わりに食料を分けてもらうのだ。彼女がその身を汚すことでしか、私は生きていけない。
ただただ空しかった。
どうしようもなく、申し訳なかった。
年下の母に無理をさせなくては生きていけない現実が、とても、悲しかった。
暫くはそうやって時が過ぎた。
レイメは身をスラムに落としてなお衰えぬその美しさから、私という存在があっても客に困らなかった。たまにスラム住みではない、裕福な住民すらやってきた。
私は申し訳なさと悲しさばかりが募るが、レイメの献身のおかげでそれなりに食べていけていた。
そして私は、レイメが仕事をしているからと小屋を出て、外にいる間は奇異の視線に曝され、年齢が二回りも下のはずの子供たちにいじめられた。
悪魔、悪魔と。
(すごいなあ、悪魔を虐めようなんて)
心の中で皮肉を言うも、12歳で小柄な幼女に過ぎない私はうずくまって耐えることしかできない。
毎日細く白い体にはあざが増えていった。血を流すことも頻繁にあった。髪を掴まれ、殴られ、蹴られ、石を投げつけられた。
的当てと称して投げつけられる石が家畜の糞になった時もあった。私は黙って耐えた。
ある日は、スラムのガキ大将である恰幅のいい悪ガキの命令で、3人の男子に組み敷かれて纏っていたぼろ布を全部はぎとられた。
悪魔の裸に興味があったらしい。まともな食事をとっていない貧相な童の姿とはいえ、一糸纏わぬ女の体は子供には刺激が強かったか。私の体は鼻息荒くした子供たちの手でもみくちゃにされた。あばらの浮いた脇、最近少し膨らんできた胸やへこんだ腹。二の腕や太ももでさえ遠慮なく欲望の手が這い回った。気持ち悪い。気持ち悪い。
私はそこで初めて、本当の女子のような黄色い悲鳴を上げた。すぐに口を無理やり塞がれたが。
心が体に引っ張られるとはよく言ったものだが、確かに私はその時、自分の体を好きに触る小さな異性に嫌悪を示した。いや、同性か。性別を変えて暫く経つ。自分がどちらなのか段々と曖昧になって来た。
結局まだ大人な遊びは教わっていなかったようで下より小さく膨らむ胸にばかり注目されたのが幸いし、体中をまさぐられるだけで済んだ。
散々私の体を弄んだ後、ようやく飽きが来た子供達に解放されると、私はゆっくり立ち上がり歩き始めた。そして、自分の身に起きた事に男としての自分が激しい拒否反応を起こしたのか、はたまた女性の体故の生理的嫌悪感か、とぼとぼと小屋に帰る途中で一度嘔吐した。
小屋に帰ると、裸の私を見てレイメが血相を変えた。
「ココット、ああ、ごめんなさい……ごめんなさい……」
レイメは私を抱きしめると、泣きながら何度も謝罪の言葉を口にした。
私は何も言わずに、ただ淀んだ目で……湿った寝台のシーツをぼうっと眺めていた。




