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#33 prologue:血の契約は溜息と共に

 




 なんだこれは。なんなんだこの状況は。


 私は冷や汗を流しながら状況をどうにか打開せんと思考を巡らせ、それでいてどうしたものかと困惑している。


 私たちの軍に充てられた詰所の中は剣呑な雰囲気に包まれていた。


 私の目の前では、クォートラとゾフが恐ろしい形相で居る。小脇ではオドがいつも通りおどおどしながらクォートラらと私を交互に見ていた。



「姫、これはどういうことですか」



 クォートラが珍しく私に恐ろしい顔を向けている。



「お嬢、冗談にしちゃタチが悪ぃや」



 ゾフもその隣で平時でさえ恐ろしい顔を阿修羅の如く歪めている。



「待てお前たち早まるな。説明をさせろ。あと怖いから睨むな。本当に怖い」



 動揺しすぎて素直すぎる言葉を並べてしまうがクォートラとゾフは一向に表情を緩めない。


 その二人の視線は、私……いや、正確には私の後ろに居る者に向けられている。そいつは私を後ろから抱く様にして、今もにやにやと悦に浸る表情をしているのだ。


 身長差のせいで後頭部に柔らかい感触があり、何故か一瞬悔しくなる等私も相当今の状況に頭がやられている。


 私は大きなため息をついて、私の体に手を回しながらご機嫌な阿呆に物申す。



「いい加減にしないか、ツォーネ!」


























 時を少し遡る。




 フリクテラ攻略の報告より一か月。


 私は魔王城内牢獄の前に居た。一歩下がる様に私の後ろにいるのは魔王軍四天王のエルクーロ様。


 エルクーロ様が命じ、看守の魔族が頷くと、ゆっくりと牢獄の扉を開けた。




 私が重々しい金属製の牢獄の扉をくぐってそれを見た時、抱いた印象は複雑なものだった。


 一言で表すならば、獣。


 餓えた獣だった。


 小さな声で絶えず呻きながら、跪くような姿勢で頭を下げて俯くそれ。


 四肢を頑強な金属の枷で固定され、身動きを完全に封じられながらだらりと力なく脱力した姿は痛ましくすらある。


 かつての自分を重ねたのもあろうか。



「彼女は拘束されてから今まで一切の血液の摂取を禁じられている。それが彼女への罰だ」



 予想とは違った。ツォーネが連行された時の様子からもっと恐ろしい刑罰を想像していたのだが。


 どうやらエルクーロ様が魔王様に一言添えたらしいが、減刑でもされたのだろうか。


 よく見れば垂れ下がった首の直下の床が濡れている。下りた前髪で見えない顔ではあるがだらだらと涎が垂れているのが分かった。そういえば、と私はヴァンパイアについて思い出す。そして私はエルクーロ様の口添えがあって尚このような刑に処されているのだと再認識をする。


 相当堪えているらしい。ヴァンパイアにとって吸血がどれほど重要なのか、この姿を見れば納得もできる。例えるならば人間でいう脱水症状のようなものらしい。脱水症状の症状は重度になれば相当深刻なものになる。手足の痙攣や思考力の低下、幻覚を見ることさえあるとか。それを、一か月。


 将軍の位をはく奪され一般兵士にまで落ちたツォーネ。それが今、こんな有様で牢獄に繋がれている。解放は魔王様の気まぐれだと言うから、ヘタをすればここで死んでしまうかもしれない。


 他の将軍らが配下に迎えたいと言えば解放されるらしいが、ツォーネは素行が災いしてか誰も名乗りを上げなかったとの事。


 ツォーネは性格に難ありだがその戦闘能力は高い。こんなところで腐らせておくにはもったいなすぎる。


 誰も要らないのなら、私がもらう。


 そんな事をエルクーロ様に打診してみたところ、魔王様に掛け合ってみるとの事で、当の魔王様は興味なさそうに好きにしろ、との事だった。



 そういう訳で私はツォーネの身柄を引き受けに来た、という訳だ。


 私は部屋の中へとより足を踏み入れ、ツォーネの下へ歩み寄る。それを見たエルクーロが静止の声をかけてきた。



「渇いたヴァンパイアは正気ではない。危険だ」


「エルクーロ様がいれば大丈夫でしょう?」



 振り返ってそう言えば、エルクーロは少し驚いたようだった。


 元よりそのためにエルクーロ様にお話をしたようなものだ。私一人でこの場に来るなどという事は、同情や損得を抜きにありえない。


 まあ、エルクーロ様が同行を承諾してくれた時は少しびっくりしたが。もちろん許可が得られる打算が全くなかったわけでもないが、何でも言ってみるものだ。


 フリクテラ攻略を為した私を失うことは損失の筈だという多少の自信に基づいた賭けではあったが、エルクーロ様は少し考えたのちに承諾してくださった。


 そもそもツォーネが暴れた時に止められるものはそうそう居ない。クォートラやゾフは別の意味で問題を起こしそうだからな。相当ツォーネを嫌っているようだし、話をややこしくされては困る。


 故に、エルクーロ様の同行の許可を得て共にここに来れた時点で私の身の安全は保障されたようなもの。


 ならば堂々と私はツォーネに向かう。


 ツォーネは、私に気づくとゆっくりと顔を上げた。


 あの日魔王様に潰されたであろう右目には手当てがされており、白い包帯がぐるぐると巻かれていた。見えている左目はゆらゆらと焦点の合わない有様だったが、私と目が合うと大きく見開かれた。



「こコッ……とぉ……」


「元気はなさそうだな、ツォーネ」


「良かった……ぉねがい、ですわ……血、血を……」



 ツォーネは懇願するようにか細い声を出した。


 もはや暴れる気力もないらしい。無様に舌を出し、上目遣いで荒い息を吐きながら私を見上げるツォーネの有様はお預けを食らった犬そのものだ。ここまで弱っていて使い物になるのだろうか。


 しかし折角来たのに成果ゼロでは私のプライドが我慢ならない。どうあってもこれは連れて帰る。


 決して同情などではない。ただ惜しいから、連れて帰るだけだ。確かに痛ましい姿に多少胸は傷んだが。


 もともとこいつに敵意があったわけでもない。無理やり唇を奪われたのは不快極まりなかったが、それだけと言えばそれだけだ。


 こいつは私が嫌う人間ではない。私を救った魔族、エルクーロ様の同胞。であれば私のこの行動は間違っていない。



「ツォーネ、単刀直入に言う。私の配下になれ」


「ハッ、ハぁッ……はい、か……」


「そうだ。私の配下になればここから出してやる。許可は得ている」



 それを聞いたツォーネは目を見開いた。


 そして殊更に息を荒げ、私の顔をじっと見ている。



「配下とはつまり、私に忠誠を誓い、逆らわず、言う事を聞いて働くという事だ。私の部下となるという事になる。もちろん、部下の体調管理は上司の務めだ。多少なら血も分けてやる」


「ひっ……はひっ……」



 ツォーネは心底嬉しそうな顔で何度も頭を縦に振った。



「なる、なりますわっ……こ、ココット……いえ、ココットひゃま……お仕え、しますわっ……」


「随分気が早いな。私が憎くないのか?」



 手柄を掠め取りこの境遇を生み出したのは私と言っても過言ではない。


 そんな相手にこうも簡単に首を垂れるとは、予想外だった。私としては多少の不満を覚悟で、待遇改善を餌に丸め込むつもりだったのだが。



「わた、わたくし……はや、く……血を……」



 四の五の言っていられない程に辛いという事か。まあいい。この状況を軽くしてやろうとはもともと思っていた。


 とはいえどうしたものか。言っては見たが、血を与えるにはいくらか方法は浮かべども実行できるものは多くない。


 手っ取り早いのは吸血鬼よろしく噛んでもらう事だろうが、正気ではないこいつに血を吸い尽くされるかもなどと想像したら恐ろしくてとてもではないができない。


 ナイフかなにかでちょいと指先にでも傷をつければ垂らして飲ませることもできようが、それで足りるのかも不明である。



「どのくらい血が要る?」



 ここは素直に聞く。


 するとツォーネは震える声で返してきた。



「す、少しで……だいじょうぶですわ……な、舐めるだけでも……」



 ちらちらとツォーネは私の背後のエルクーロ様を見ながらたどたどしく答える。


 エルクーロ様が黙っているのを見るに嘘ではないらしいが。まあ、命の危険を察したらエルクーロ様が何とかしてくれるだろうか。


 死ぬのだけは良くないからここまで同伴してもらったのだ。守ってもらわねば筋が通らない。そこに感情は要らない。そういう契約のようなものだ。自分で出した許可には責任を。それが上に立つものである。


 私は少し逡巡した後、手袋を取ってみる。



「指でいいか?」



 その言葉に嬉しそうにツォーネは拘束具をガシャガシャと揺らしながら大きく頷いて見せた。


 金属の音に驚いて一歩下がった私に代わりエルクーロ様が前に出た。



「ツォーネ、落ち着け」


「だ、大丈夫ですわ……わかっておりますの……」


「よし。ココット将軍が許可をしたとはいえ、吸血は君が動ける程度だ。あとは奴隷を用意する」



 エルクーロ様が私に顔を向け、小さく頷く。私もそれを見て覚悟を決め、上目遣いのまま舌を垂らしだらだらと涎を零すツォーネにそっと指を近づける。


 瞬間、ツォーネが大口を開け私の差し出した指を咥えた。突然だったので私は驚き、またツォーネの口の中で舌を這わされる指の感覚に「うひぁ」という情けない声を小さく漏らしてしまった。


 やがて慣れない感覚にぞわぞわと鳥肌を立てながらなんとか口を一文字に結び耐えていると、舌が這うだけだった指先に小さな痛みが走った。ああ、歯を立てられたな、と思った。そして案の定、想像していたよりは大分控えめに、血を吸われ始めた。


 吸血鬼に血を吸われた者は吸血鬼になる、だとか。


 体中の血液を一滴残らず飲み干される、だとか。


 前世での迷信は多々あったが、その実本当に吸血鬼たるヴァンパイアに血を吸われたのは私が初めてではなかろうか。


 エルクーロ様に確認し、吸血されてもヴァンパイアになるようなこともないし吸い尽くされるような事にもさせないとの事だったが、まあ、確かに。上目遣いでちらちらと私の機嫌を損ねない様にでもしているつもりなのか控えめにちゅうちゅうと指先を吸うツォーネの姿には、心配など無用に思えて来た。


 あの日の高慢な態度や自信に満ちた姿はどこへやら。情けない程の憔悴に、私がこの指を引っ込めることがツォーネにとって何より恐れる事なのだろう。


 少しずつ指先に滲んだ先から血液を舐め取られているような感じだ。大胆に吸い出されるかと思っていたから拍子抜けではあるが、傷口に舌が這う感覚は、痛みはすぐに消えたのもあってこそばゆくて何とも言えない。それに、ツォーネは酷い有様とはいえ、言ってしまえば相当な美少女なのだ。


 変な気持ちになる前に早く済ませたいものだが、変に遠慮がちに吸われるせいで長い。


 ……変な気持ちってなんだ。


 我に返った私は指先から感じる感覚や胸のもやもやを全て不快感だと思い込んで無心で我慢することとした。


 結局十数分もの間吸血行為に耽られた私は、ツォーネの口からやっと指先を解放すると慌てて手袋をした。


 エルクーロが私の体を気遣うが、とりあえず「大丈夫です」と伝えた。


 ツォーネは大きく深呼吸をしている。大分落ち着いたらしい。思ったより少量の吸血だったとは思うが、呼吸も落ち着いてきていて、先ほどまでの苦しげな表情は大分和らいでいる。


 カラカラに渇いていた喉に冷水を得た気分なのだろうか。


 やがて数分ほど様子を見ていると、ツォーネが口を開いた。



「あ、ありがとう御座います、ですわ。ココット、様……」


「ツォーネ、約束だ。私の下についてもらうぞ。今更反故にするなよ」


「分かっておりますわ。それに、望むところでもありますの……」



 大分血色がよくなったツォーネは顔を上げ私を見ながらうっとりした視線を送って来た。


 あの時フリクテラで私を見ていた時の視線だ。


 私をモノにするなどと抜かしていたこいつだから、何か企んでいるのかもしれない。



「……わたくし、あなたをわたくしの愛奴にしたかったんですの」


「……それで? 私の下に付くという事は、お前が私のモノになるという事だが」


「それでも、いいんですの」



 ツォーネはぱぁっと笑顔になる。



「わたくし、あなたに一目惚れしていたんですわ。あなたのあの残酷な表情、瞳。可憐な花には棘があると言いますが、あなたはとびっきりの毒草ですわ! 最高ですわ! そんなあなたと一緒に居られるんでしたら、いえ! 愛奴にしていただけるんですもの! 喜んであなたのモノになりますわ、ココット様!」


「……はぁ?」




 そんなこんなで、エルクーロを見れば、こいつはこういうやつなんだと頭を抱えていた。


 同性愛者なのはこいつの口からカミングアウトされていたので察してはいたが、マゾヒストだとは聞いていない。むしろサディストだと思っていたが……両者紙一重とも聞いたことがある。


 気持ち悪いからなかったことにすると叫んで即座に踵を返し逃げ出したくなったが、他人に発言を反故にすまいなと思った以上、私自身がツォーネへの誘いを反故にするわけにはいかなかった。


 ツォーネは確かに救いを求めて私の提案に乗ったのだから、受け入れる責任が私にはある。責任逃れは私の望むところではない。


 私は想像と違う結果に心底後悔していたが、どうにもならんと諦めた。


 こうなったら望み通り私のモノとしてぼろ雑巾のように使いつぶしてやる。










 という訳で解放されたツォーネを連れて詰め所まで戻ってきたのだが、クォートラとゾフの私を迎えるいつもの表情から先に話した鬼の形相へ至るまではほんの一瞬だった。


 私の背後に、包帯の代わりに花の紋様が彫られた眼帯を右目に付けてニコニコと笑顔のツォーネが居たのだから無理もない。面倒を恐れて二人へ説明せずに出たのは私の判断だが、結局面倒になるなと私は腹をくくった。


 そのまま私が説明しようと口を開く寸前、大人しくしていればいいものを、二人を見てツォーネはにやりと悪い笑みを浮かべ、私の背後から抱き着いてきたのだ。


 そして開口一番の言葉がこれだ。



「あら、ごきげんよう木偶の坊の諸君。これからはこのツォーネが、ココット様の第一の部下を務めますわ」



 私は改めて、大きな溜息を零したのだった。






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[一言] >ぼろ雑巾のように使いつぶしてやる。 味方が一人になった時に自らボロ雑巾になるまで助けてくれそう(コードギアス並感)
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