#32 epilogue:鈍色の夜
たった数日前なのに、さっき起きた事のように思える唐突な終わりを経て。
世界が闇に包まれた夜。私は、魔王城と呼ばれている場所に居ます。
膝を抱えて座りながら周囲を見渡せば、私と同じようにこの鋼鉄の檻に入れられた女たちがすすり泣いていました。
さっきまでは何とか励ましてみたりなだめてみたりとしてみたのですが、魔族が檻を蹴ったのでみんな驚いて静かになりました。
黙っていろ、との事だと思います。私たちは、どうやら商品らしいので。モノが喋るなと、そういう意味だったんだと思います。
私の名前はキエル。人間の街、フリクテラで領主屋敷の侍女をしていました。
ですがあの日。主たるゼンビアーノ様がお父様に魔族追撃を命じたと知った日の三日後。
突然ゼンビアーノ様の部屋に大柄なハイオーガに率いられた魔族たちが襲来してきました。
その時の驚きと、恐怖は今でも身に染みています。
そして何より……。父たるセグンの安否が、どうしようもないくらいに心配になったのです。
魔族の追撃に出たお父様。しかし魔族はここに現れた。
それは、お父様が敗北したという事ではないかと。
でもお父様の出撃から三日というわずかな時間で魔族がやってきたのは辻褄が合いませんから、最初はすれ違いになっただけで、お父様はまだ生きていると思いました。
でも。
ゼンビアーノ様がハイオーガの手によって殺され。ゼンビアーノ様のご家族も全員惨たらしく住民の前で処刑されました。
そして私たち領主屋敷の使用人は、見せしめなのか生き残った者たちは捕まり、連行されて。今に至ります。
魔王城の中の一角の廊下で、たくさんの檻の中に私たちのように人間が捕らわれています。
街という雰囲気ではないので、軍施設なのかな、と思いました。
正直、怖いです。通りすがる魔族の兵士たちは、檻の中の私たちを様々な目で見てきました。
人間の住む街とは毛色が違うこの施設。自分たちは本当にもう無事では済まないんじゃないかという不安。
さっきも、4体のガーゴイルに無理やりと言った様子で、血だらけの女の子のような魔族がぼろぼろに泣き叫んで暴れながら連れていかれるのを見ました。それを見て小さな悲鳴を上げた私よりも小さな侍女の手を握りながら、私も震えていました。
同族にも容赦しない魔族が、自分達人間に慈悲を持つわけがないのです。
でも、恐れると共に、ガーゴイルに連れていかれた彼女の有様を、少しだけ憐れんで。その何倍も、いい気味だと……思ってしまったのです。
私の心を黒く塗りつぶす負の感情の最もたる理由。
ここに連行されてくる道すがら、魔族の方々がお話しているのを聞きました。
アウタナに攻め入った人間たちは……皆殺しに遭ったと。お父様の率いた騎士団と兵士の皆さんは、返り討ちに遭ってしまった。祈りは届かず、悪い予感が私に叩きつけられて。
お父様は、帰らぬ人になってしまった。
お父様の私へ心配を理解しながら、お父様の為と思いゼンビアーノに体を許していたことも知らずに。
何も恩返しができずに、逝ってしまった。
悲しくて、悲しくて。涙が溢れそうになったけど。周りの侍女達を見て、しっかりしなきゃと思いました。
私より年上の方が多いですが、年端のいかない子もいます。
しっかりしなきゃ、ダメなんです。
最後まで正義を信じて魔族と戦った筈のお父様に。何にもしてあげられなかったお父様の想いに。
私が出来ることは何かって、そればかりを考えて。
本当は恨めしくて、私たちを押し込んだ檻の外で楽しそうに談笑する魔族が憎くておかしくなってしまいそうで。
それを必死に抑えるために、周りの侍女たちを落ち着かせなきゃって無理やり本当の気持ちを抑え込んでいました。
ですが。
私たちを捕える檻が動き出しました。下部に車輪がついていて、移動させられる檻だったのを、怖い魔族が動かし始めたのです。
どこかに移動するんだろうと思いました。どこだって碌なものではない筈です。
そして、廊下を進む私たち。そんな私たちの正面から、あのハイオーガが歩いてきたのが見えました。
ゼンビアーノ様を殺した、フリクテラを占領した魔族を率いていたハイオーガです。
私は身の毛がよだつ思いでした。
ハイオーガに対しての恐怖もあります。でも、私の心拍数がどんどん上がり、激しく胸を叩く理由は。
ハイオーガを背に控えるようにして廊下を歩く、小さな影。
雪のように白い髪。そして、魔族と同じ血のような赤い色の瞳を持った……人間の小さな女の子。
人間の者とは違う黒い軍服を着たその子は、背後にハイオーガと、別の屈強な男の魔族を伴って歩いてきました。
あの子は、人間。悪魔の相と呼ばれファルトマーレで忌み嫌われる容姿を持つ、間違いなく人間の幼女だったのです。
こんな魔の中で、魔族を従えるように歩く人間の姿に私は驚きを隠せませんでした。
そして、ハイオーガが言っていた言葉。お嬢、という上司がいること。そして、お嬢は人間であること。
私は理解しました。
あの、お嬢と呼ばれた幼女が……魔族を率いてフリクテラを。お父様を殺したんだ、と。
驚きの次に私の心に産まれたのは激しい憎悪の濁流でした。
人間なのに。人間なのになんであんなひどい事が出来たのか。
やっぱり悪魔の相を持った人間は、魔族の仲間だったんだ。
「許せない……」
優しく、頼もしかったお父様を殺したあの子が許せない。
私は檻の格子を掴み、すれ違う最中、その子を睨んでいました。しかしその子は、私たちなど興味ないかの如く、目もくれずに歩いて行ったのです。
それで殊更に私の憎悪は激しく燃え上がりました。
「絶対に、許さない……」
この後自分たちがどうなるかはわからない。人間の奴隷など、どうせ食料か、嬲られるための生き人形か、物好きな魔族の性奴隷か。
そんな所だろうと思います。食べられたり、甚振られたりならまだましで。魔族に体をもてあそばれるくらいなら、舌を噛み切って死のうと思いました。
でも。
あの子を見てしまい、その気はなくなりました。
何があっても生きる。絶対に生きる。そして、父の仇を取りたい。それが、生きていてくれた間に何もしてあげられなかった私の、お父様へのせめてもの償い。
そう固く心に誓った私は、あの小さな悪魔が去っていき、角を曲がって見えなくなるまで。
ずっと、その背中を睨みつけていました。
♢
ココットを部屋に送り届けたクォートラとゾフは、廊下を歩いていた。
両者の表情はあまりよくない。恐ろしい顔の大男魔族二人が並んでしかめっ面をしている有様は、近寄りがたい雰囲気を醸す。
フリクテラ攻略戦という大仕事を終えて帰還した二人。
上司たるココットは、魔王様への報告を終えて、待機していた二人の元に戻って来た時の表情に影があった。
報告の際に何かあったのかとクォートラはココットに聞いたが、彼女はなんでもないと一言零してから部屋に帰るまで一言も言葉を発しなかった。
クォートラは、それが気になってしかめっ面をしていた。
結果、一応勝利祝いに飲みにでも繰り出そうかとゾフが提案し向かってはいるのだが、会話は特に起きなかった。
「……後方待機ってことで気乗りしなかったが、お嬢のおかげで戦いができた。ありがてぇ事だよな」
唐突に、ゾフが沈黙を破りそう口にした。
「ああ……しかし、華々しい勝利にも拘らず姫の表情は暗かった。魔王様に報告をした際、何かがあったのかもしれない」
「緊張してただけじゃねェのか?」
「それもあるかもしれん。姫はまだ幼いのだ」
クォートラはふうとため息をついた。
再び少しの沈黙。それを再びゾフが破った。
「しかし、あのクォートラが人間を背に乗せるようになるとはな」
ゾフは笑いながらそう言った。クォートラにからかうような目線を向けると、クォートラはやれやれと言った風に肩をすくめた。
「ドラゴニュートの中でも実力者のお前は、俺より人間を憎んでいたはずだ。それが丸くなったもんだ」
「勘違いするな。人間は今でも憎い。憎み切って余りある。だが……姫が望んだのだ。ならば従うのみ。それに、背中に乗せていた方が守りやすい。俺はもう失わぬと決めた」
「はあ、そうかよ」
クォートラはココットを背に乗せている時の感覚を思い出す。本来ならばドラゴニュートが背に誰かを乗せる事など無い。背中とは、即ち死角であり、それを誰かに預けるなどとは本能的に言語道断であるからだ。
しかし、自分の背に跨り、うろこに覆われた肌をひしと掴むあの掌の小ささを、クォートラは知っているのだ。
あの娘は、脆弱な生物だ。ドラゴニュートの自分を害せる存在ではない。だがあの娘は、自分と同じ憎悪を持ち、復讐という黒き道を進むことをあの小さな掌を握って決意したのだ。そして、そのための手段を用意してくれた借りもある。
ならば借りを返すという意味でも自分が守らなくてはならない。そういった事をクォートラは語った。
しみじみと語るクォートラと対照的に、ゾフは話を聞きながら目を細め表情から笑みを消した。
そのまま唐突に、足を止める。クォートラは何かと思い、振り返って立ち止まったゾフを見た。
ゾフは、睨むような目でクォートラを見ていた。
「お前はお嬢をどう思ってんだ?」
「何?」
何を言っているのかとクォートラは訝しんだが、ゾフが真剣に質問をしていると気づくとしっかり体を向けて向き直った。
「姫は我らが将軍閣下。魔王様がお認めになった方だ。俺はただ従うのみ」
「ほぉ」
ゾフは顎を掻きながら、クォートラを睨むまま。鼻で笑うように息を吐いた。
「過保護が過ぎるんじゃねーか? それに、随分気を許しているな。人間のガキ相手に」
「おい、何を言ってる」
「俺はお嬢を完全に信用しちゃいねえ」
「ゾフ!」
「勘違いするな。オーガ族の誇りはある。俺は認めてる。だからお嬢には従う。だがなクォートラ」
ゾフはクォートラの胸板を拳で軽く小突いた。
「人間に絆されんじゃねえぞ。俺たちは魔族。お嬢は人間だ。本人がいくら魔族を気取ろうが変わらねえんだよ。お嬢の力は認める。ガキのくせに俺達には無い、すげぇ考えを浮かべる頭を持ってる。それで俺達も世話になってるし、おかげで人間どもをこの手で殺せてる」
「……」
「だがよ、ただお嬢の言う通り突き進んで……お嬢のあの小せェ手が真っ赤に染まった時、それが俺たちの血じゃないって保証はあんのか?」
何を、とクォートラは思った。しかし、ココットの心の中にある計り知れない闇も、近くにいるからこそ理解できる。
そんなココットが、復讐の為に自分たちを切り捨てる事が無いとは言い切れないのも確かだ。現に、自分もよくは思っていなかったとはいえツォーネを利用し、出し抜き、フリクテラ攻略を遂行する作戦を打ち立てたココット。ツォーネはココットにとって、まさしく単なる道具だった。
見た目は幼女だが全く幼女であると思わせない異様な雰囲気を持つココット。
平然と魔族を利用し己の望む道を行くあの幼女なら、いつか自分たちも平然と切り捨てるのではないか、と。クォートラにはゾフがそう言っているように聞こえた。
「お嬢は人間にしちゃ話も分かる。今までの将軍とは違ェ。普段はおっかねェくらいに軍人だが、俺にもちぃとばかし可愛く見える時もある」
ゾフは拳を握りしめ、睨むような眼でクォートラに正面から言う。
「だが魔族と人間は敵同士だ。絶対に相容れねェ。忘れたわけじゃねェだろ。俺達から人間は何を奪った?」
「無論忘れた事等一秒とて無い。だが……姫も人間に母を奪われた子だ。実の父に非道を受けた子なのだ。あの幼く小さな身に溜め込む憎悪は俺達と同じだ。だが、あんな幼子の器では、溜め切れるものではない。俺たちは部下として将軍を支える。何が間違っているのだ、ゾフ」
「……固ェ野郎だよ、相変わらず。まあいい、俺も人間でさえなけりゃお嬢は嫌いじゃねえ。恩もある。ひとまずは、それでいいか」
ゾフはそこでようやく深い息をつくと同時に、伸びをした。クォートラもそれ以上は話を続けず、無言で同意し言葉を切る。
そこでゾフは改まって足を動かし、歩き始める。
「さァて。酒で人間どもの血を濯ぎに行くかァ」
「ああ……そうだな」
二人の魔族は、そういって街中へ足を向けていった。
♢
「……はぁ」
私は、自分の部屋に戻ると、てきぱきと衣服を脱ぐと寝間着へと着替え、そのまま大きなベッドへとうつ伏せに倒れ込んだ。
あてがわれていた私の背丈には大きすぎるほどの枕を片手で掴むと、胸に抱き寄せ両腕でぎゅっと抱えた。
……ひどく疲れた。体のあちこちが疲労感を訴えている。
私は枕を抱いたまま仰向けにもぞりと体を回す。天井を見ながら、私は自分の気持ちを自問自答する。
一仕事終えた後のような満足感と清々しさはある。しかし、それを覆い隠すような不安。……いや、心細さか。
先の魔王様へのフリクテラ攻略の顛末の報告の場。あのツォーネが怯え、噎び泣き。そして将軍という階級を奪われ堕ちて行ったあの場。
あの場で、私は思い知った。私には従える者はおれど、私を庇護する者はいないのだと。
己が恐ろしくちっぽけに感じ、言いようのない孤独感が心身を蝕んでいる。
私は強く枕を抱きしめる。体が小刻みに震えているのが自分でもわかる。
眼を閉じてみれば、魔王様から制裁を受けたツォーネのあの救いを求める目が今だに瞼の裏にちらつく。私も、いずれあんな道を辿るのだろうか。
いや、否である。
「そんなヘマはしない。して、やるものか」
例え自分の庇護者がいないとしても。私は必ず生き延び、ファルトマーレを滅ぼしてやる。私は利用する者だ。すべては道具であり、手段。なればどうして道具が私を守ろうか。道具は使い手がいて初めて機能する。勝手に動きはしない。
身を守るも、敵を滅ぼすも。すべては私の裁量次第。それは分かっているんだ。なのに。
この感情はなんだ。魔王様への恐怖? ツォーネのようになるかもという恐れ?
違う。この気持ちは、違う。
「……寂しい」
私はそう呟き、強く枕を抱きしめた。
そして、自嘲気味に笑い、枕に顔をうずめた。情けないな、寂しいなどと口に出してしまうなど。周りはみんな道具か敵なんだから、孤独も当然だ。世界は私に残酷で、神は私を見捨てたのだから。
人間には悪魔と蔑まれ、魔の中に生きるも、魔族の世界はあんなにもあっけなく積み上げてきたものが奪われる世界。
そんな中で私は一人戦う。
クォートラやゾフ。あと、オドあたりも。
今でこそ忠実なしもべに見えるが、いつ私の喉笛を掻き切らんとも限らない。魔族は、そういう種族だ。
私は何も信用してはならない。何も頼ってはいけない。そんなことをすれば、それこそツォーネの二の舞だ。
騙し、利用し、出し抜いて……私は私の望みのために進み続ける。暗く闇に覆われた道であっても、私は一人で進むしかない。
そして幸せな生活を手に入れ、穏やかに暮らすのだ。
闇の向こうに光があるのかはわからない。だけれども、レイメの遺した心は今の私のすべてだ。その為ならば庇護などいらない。生存のための盾ならともかく、心を包む温もりなど……望んでももう存在しないのだから。
レイメ。
私はベッドのサイドテーブルの上に丁寧に置かれたレイメの聖石に目をやる。
赤紫色の輝きを放つ美しい石は、私に優しい。
温もりなど、心の中にだけ。レイメと生きたあの記憶だけ。
それで十分じゃないか。
なのに。
なんでこんなにも、空虚なんだろう。
暖かい記憶が収まるはずの胸は、穴が開いたようで。どれだけ強く枕を抱きしめても埋められない。
なぜだ。私は今望みのままに生き、順調に進んでいる。
「そうか。足りないんだ、復讐が。成果が。あいつらの絶望が」
誰もいない自室で一人声に出す。
ごろりと寝返りを打ち、横向きになって枕を抱く。ぎゅうっとつぶれんばかりに枕を抱え、膝を曲げて丸くなる。
そうだ、そうだった。人間どもにこの手で悪意を振りまいた時。その結果。私は幸せな気分に包まれた。あの時は、こんな空虚は感じなかった。
魔の中に一人。そんな中でも、確かに満たされた。
あれだ、きっとあの感じだ。
アレをずっと感じられれば、私は幸せなんだ。
憎きファルトマーレを滅ぼし、そこに生きる人間を憎悪の炎で焼く。レイメの墓標に奴らの死体から咲いた紅い花を添える。
そして墓標のそばで、静かにただ生きる。レイメの望んだ私の生存と、レイメを奪った連中への復讐。
それを忘れるな、ココット。
私がこの世界で生きる理由なんか、それだけなんだから。
私はゆっくり瞳を閉じ、身体の疲労を感じながらゆっくりとまどろみの中に落ちてゆく。赤い瞳を閉じ、白い髪をかすかに揺らしながら。
魔の中に在る私にのしかかる重くじっとりとした鈍色の夜に。
私は穏やかな寝息とともに意識を静かに手放した。




