#31 成果は誰の手に
――――魔王城、魔王の間。
私は、そこにいた。
フリクテラの制圧を一通り終え、いくらかの魔族を残して合流したゾフやクォートラと共に魔王城へ先刻帰還。
すぐさま私は魔王様とエルクーロ様に作戦の結果を報告する為に呼び出されていた。
魔王様は相変わらず豪奢な机に向かい、何かしらの紙にペンを走らせている。私を見もせず、ずっと紙に目を落としていた。
その傍らに控えるはエルクーロ様。腰に手を当て、じっとこちらを見ている。その視線は相変わらず苦々し気だ。
また何かエルクーロ様に怒られるような事をしたのだろうか。前回の反省を踏まえた占領をゾフには徹底させたから大丈夫のはずだが。
そして、もう一人。私の隣で俯いているヴァンパイア、ツォーネ。
肩が小刻みに震えているのは怯えの表れだろう。アウタナでの戦い以降、ツォーネは借りてきた猫のようにおとなしかった。
淡々と軍をまとめ、帰還の為に動きながら、時折うわごとめいて何かをつぶやいていた気がしたが私は大して気に留めなかった。
魔王城まで帰ってきてしまえばツォーネが私に何かできるとは思えない。報告の最中で弁舌を振るい私を出し抜くかもしれないが、頭の悪いツォーネにそんな芸当ができるとは思えない。
もとい、ツォーネでなくとも、こんな状況で私の作戦への介入とその功績を証明しないなどという事はできないだろう。
故に、私は安心してこの場に足を運んだ。
私を待つのは功績に対する正当なる評価の筈なのだから。
と、魔王様がペンを走らせる手を止め、ゆっくり目を私たちに向ける。
「ご苦労だったな。ツォーネ、ココット。フリクテラ陥落の知らせは聞いたぞ」
「はっ」
「はい、ですわ……」
魔王様のその言葉に、私は堂々と。そしてツォーネは震えながら返事をする。
魔王様の前だというのに覇気のない奴め。社長を前にしたときのサラリーマンは何があってもその機嫌を損ねないよう毅然たる態度を貫かねばならないのだ。例え腹痛に苛まれようが頭痛にうなされようが、いびられようが……そして、笑ってしまいそうなほどに嬉しかろうが。
私はツォーネを一瞥した後改めて背筋を伸ばした。橙色の照明に照らされるやや薄暗い室内の中、報告が始まった。
と言っても、魔王様はおおよそフリクテラ攻略戦の顛末を既に耳にしているようであった。いつの間にか密偵でも走っていたのか、はたまた私が監視されていたのかはわからないが、報告はスムーズだった。
「まずはご苦労と言っておこう。預けた任務をよく果たしたな」
魔王様からの労いの言葉。私とツォーネはありがとう御座いますと答え深く礼をする。
心の中でふふんと自分の成果を確信している私が鼻を鳴らした。実際は勿論ビシリとした表情である。
いいことがあった。評価もされる。最高のお仕事だ。
そんな職場を与えてくれたエルクーロ様には感謝しかないな。
そして次の魔王様の言葉でツォーネの体が強張った。
「フリクテラ攻略。指揮はツォーネが担ったと聞いているが……ツォーネよ。貴様はフリクテラ攻略に際し無様に苦戦。撤退をしたそうだな」
「それは……っ!」
ツォーネは慌ててうつむき気味だった顔を上げると魔王様に弁明をする。
「それは、わたくしはっ! わたくしは撤退など! こ、ココットが撤退を進言したので意を酌んだだけで……」
「貴様の軍は大層な被害を被っていたな。多くの兵を失い、それで街を落とせたのか?」
「うっ……」
言葉に詰まるツォーネ。馬鹿な奴だ。こんな場で何を弁明しようと言い訳にしかならないのに。
魔王様はその顔に笑みを浮かべながら赤い瞳で私たちを見ている。ペンをくるくると指で回しながら、言葉を紡ぐ。
「無理な侵攻。結果は散々。ツォーネ、貴様は後方待機のココットに助力を請うた。そして、ココットは落として見せた。一人でな。私は全て知っている。それとも、違うか?」
「ま、待ってくださいまし! 敵の騎士団長を討ち取ったのは間違いなくわたくしですわ!」
「ほう、私に反論するか?」
魔王様が鼻を鳴らし、その視線をツォーネに向けた。その射貫くような赤い視線に、ツォーネは「ぐっ」と言葉を詰まらせる。
「その打ち倒したというのもココットの作戦の範疇だと思うが、であれば討ち取ったのはココットともいえるな。これも、反論すべき間違いか?」
「それは……」
私はそんなやりとりを黙ったまま聞いていた。
まるで会社の上司からのお叱りだ。発言も許されないのは中々ブラックだが、間違っていないのだからどうしようもあるまい。
魔王様が言葉を紡ぐたびにツォーネが肩を震わせる。その圧迫感は私にも伝わってくる。余裕そうな顔を作ってはいるし評価に期待する心持ちもあるが、正直恐ろしく緊張もしている。毅然とした態度を保てているのは私が私の功績を信じているからに他ならないが、魔王様は理解の及ばない存在だ。油断はできないし、怖い。
「ココット」
「は、はっ!」
急に名を呼ばれ焦った返事が口をつく。
「私の認識に相違はないか?」
魔王様の視線が私に向く。私はうなじに寒気を感じながらその視線を必死で受け止める。
しかし、改めてこう真っ向から相対すると恐ろしくてすぐには声が出ない。先ほどの魔王様とツォーネのやりとりで、魔王様は不快感を覚えている。それが包み隠さず伝わるのだ。あの血のような赤い瞳から。
私がなんとか唇を持ち上げ口を開いた時、隣のツォーネが私の服を握る。
私が顔を向ければ、ツォーネは必死の形相で私に懇願をした。
「ココット、お願いですわ。わたくしの戦果を証明してくださいまし」
縋るような様子で懇願するツォーネは酷く弱弱しい。あの時アウタナで見せた失敗を恐れていた時の顔だ。
後がないと語ったツォーネの怯えは、私にすら縋るほどに深刻なもの。自分の口から語った今回の戦での私たちの価値の証明。価値ある者は一人。囮行軍を担う将となるための試金石。そんな戦に臨む心持は、私とこいつでは大きく違いがある。
私は、恐れて戦ったのではない。望んで戦った。
失敗を恐れ遮二無二なる等言語道断。かえって悪い結果を産む。良かったなツォーネ、勉強になって。
私はツォーネから顔を背けると、魔王様をしっかりと見て答える。
「魔王様の認識に相違ありません。此度の戦、後方待機を命ぜられておりました私はツォーネ将軍より介入許可を得て作戦を立案し、成功させたと自負しています」
「ココット!」
ツォーネが叫ぶ。エルクーロ様がやれやれと言った様子で体を少しこちらに向けたように見えた。
ツォーネは驚き、恐怖、そして私への怒りに満ちた目を向けて来るが、関係はない。
「あなたに協力をしたのはわたくしですわ! わたくしがいなければ作戦は成功しなかった! それを手柄をかすめ取っておいて、騙しておいてっ! 証明しなさいな! わたくしは無能ではない!」
私は大きなため息をついた。魔王様に一度頭を下げ、ツォーネに向かい合う。
そして、私は見下すような目をツォーネに向けた。
「いい事を教えてやる、ツォーネ。私の知識と経験ではな、職場ではセクハラをすると首を切られるんだ」
「せく、はら……?」
何を言っているんだという顔でおどおどするツォーネに、私は耐えきれずに笑みを浮かべて言った。
「私の唇を奪ったんだ。これくらいの報いは当然だろう」
ツォーネの顔が見る間に真っ青になっていく。
私はその顔を見て、正直良い気分だった。他人の困る顔を見て喜ぶのはよくない事ではあるが、思ってしまった。
これで私は評価され、ツォーネは反対に評価を落とす結果となるだろう。囮行軍に引き抜かれるのが一人というこいつの言葉が正しければ、私が上がり、蹴落とされたツォーネは降格と言った所だろう。
無駄に高い自尊心は将軍の地位をはく奪されることにあんなに怯えていたというのか。案外小心者なのだなと私は胸中で笑った。
そんな私の返答と様子に、これでもかと言わんばかりに目を丸くしたまま、何かを言いたげなツォーネだったがすぐに魔王様の声がして、私と共に顔を向ける。
「ココットの言葉によれば私の認識は事実のようだ」
魔王様がフフ、と笑いながら腕を組んでそう言ったのを皮切りに、ツォーネが何か吹っ切れた顔で私を睨んだ。
「ああ、アァアアぁあ!!」
そして腕を大きく振りかぶり、ギザギザの歯の覗く口を大きく開いて私に襲い掛かって来たのだ。馬鹿か。魔王様の御前だぞ。どこまで、どこまで短絡的な直情家なんだお前は!
心の中で毒づくもツォーネが私に向けるそれは完全に殺意だ。充てられた私は両腕を反射的に顔を守る様に動かし、目を閉じる。
ツォーネの紅い爪の光る手が私に伸び。
そして、止まる。
いや止められていた。
「エルクーロ……様……?」
私は目を開けて思わずその名を呼んだ。エルクーロ様が私の眼前に迫ったツォーネの腕を掴み止めていたのだ。
ツォーネも私も驚きに目を見開き、エルクーロを見た。
「……勝手はするな」
エルクーロは静かな瞳でツォーネを見て、ただ一言だけそう言った。
ツォーネはぶるると体を震わせしゅんとおとなしくなる。
それを見たエルクーロはそのまま私とツォーネの間に割って入ると、魔王様に振り返った。
そんな様子を見ていた魔王様は、深々としたため息をついていた。
「もういい。よく、わかった」
ぞわりと。部屋の温度が下がったような錯覚に私は身を強張らせる。
空気が、変わった。
「魔王様、申し訳ありません。我が部下の見苦しい姿を。どうか寛大な処置を」
「うむ」
エルクーロは頭を下げる。
魔王はゆっくり背もたれに身を沈め、ツォーネを睨んだ。
その瞬間。パンッ、という何かが弾けるような乾いた音が響く。
同時に、私の顔に何か生暖かいものがべちゃりと付着する。
「あぎッ、ぎゃぁあああッ!!」
突然の絶叫。顔に付いた何かに意識を向ける間もなく、反射的に絶叫の方へ顔を向ければ、エルクーロの向こうでツォーネが顔を両手で抑えてもがき苦しんでいた。地面にうずくまり、悲鳴を上げながら身をよじっている。
何事か。私は悶えるツォーネから目が離せない。と、背を反り、体を持ち上げたツォーネがゆっくりと赤く染まった両手を顔から外せば。その右目が、皮膚ごとばっくりと裂けて……いや、爆ぜていたのだ。
赤く染まったその顔は恐怖に塗れ、涙と血でぐしゃぐしゃになっている。残った左目はぶるぶる震えていた。
あまりに唐突な事態に私が動けずにいると、エルクーロがさっと腕を私の目の前に伸ばし視界を塞いだ。
ツォーネを見る視線を遮られ、はっとしてエルクーロを見やるが。彼は仏頂面のまま魔王様を見ていた。視線につられてそのまま私もゆっくり魔王様を見れば、目を閉じ、ペンを置き。ゆっくりと片手を上げている魔王様の姿が目に入った。
……魔王様がツォーネに何かしたのだ。間違いない。私は自分の頬に付着したツォーネの血をゆっくり指でなぞった。
一切何をしたのかわからなかった。しかし魔王様が、ツォーネに何かをした事だけは分かった。
これは、罰だ。体罰にしてはやりすぎとも思ったが。
「多少は面白い余興になるかと……見苦しい言い訳に付き合ったが。もういい。飽いた」
魔王様は本当につまらなそうにそう呟いた。
ツォーネが叫ぶ。怯えと痛みで震える声で、訴える。
「そんなっ、嫌ですわっ……お、お許しをっ……」
「ツォーネ、貴様は過去に損耗を無視した無謀な作戦をして私を失望させている。故に今回貴様の価値を私が再認識する機会を与えたが……まったく同じ失望を重ねる羽目になった。貴様の価値は知れた」
「魔王様ぁっ!」
悲痛なツォーネの声は最早涙声だ。
と、突然部屋の扉が開かれ、私の記憶ではガーゴイルと形容していい魔族が4体入室して来た。
つい顔を向け、何が始まるのかと眺めていると、ガーゴイルたちはツォーネを囲み乱暴にその体を掴み上げた。腕や肩、足や長いツインテールを乱暴に掴み、無理やり姿勢を起こさせる。
ツォーネの細い体にガーゴイルのかぎづめが容赦なく突き刺さり、肉が弾けんばかりに握り締められた腕の痛みにツォーネが悲鳴を上げる。
「ツォーネ、貴様は降格だ。墜ちる者には罰を与える。貴様は……奴隷の人間や魔族を玩具にするのが好きだったな」
魔王様がそう話している間にもガーゴイルは力任せにツォーネを掴み上げる。
「たまには、玩具にされてみてはどうだ?」
魔王様の冷たい瞳がツォーネに向けられ、おぞましい笑みを以て判決が下された。
ツォーネは血まみれになりながら残った左目からおびただしい程の涙を流す。見れば赤く染まった黒い衣装の股が濡れ、床に血ではないシミを作っている。失禁しながら歯をがちがちと鳴らし恐怖に塗れた顔でツォーネは……私を見た。
それは憎悪や嫉妬、まして殺意などではない。純粋な……救いを求める目だった。
「っ……」
しかし、私は何も言えなかった。黙って、ツォーネの痛ましい姿を、エルクーロの腕越しに見る事しかできなかった。
そして、ツォーネと視線が合い。私は、目を逸らした。
それを合図とするようにガーゴイルたちはツォーネを乱暴に引きずっていく。悲鳴を上げ、可愛らしかった顔を苦痛と恐怖に歪め、ぐしゃぐしゃになった有様で連行されるツォーネ。
「そんなっ、嫌ですわ、嫌っ……はなせッ……嫌だァあぁああ!!」
慟哭を残し、ツォーネは閉まる扉の向こうに消えた。
部屋に、静寂が戻る。
私はただただ一連の事象に呆気に取られていたが、静かになったとたんに心臓の鼓動が激しく脈打ち始めた。そして、張り裂けんばかりの鼓動に、引きつった呼吸をしながら己の胸をぐっと押さえつけた。
「はっ、はっ、はぁーっ、は……」
アレが、ツォーネが恐れていた罰……そして、価値無き者の末路だというのか……? 予想と違う。降格は降格らしいが思っていた降格じゃない。
まるで、全てを奪われていったかのような……。
一歩間違えていれば、私がああなっていたかもしれないと。そう言う、事なんだろうな……。
そのままふらりと倒れそうになった所を、私と同じように返り血塗れのエルクーロが支える。
それに私は驚きと、確かな恐怖でびくりと体を反射的に振るわせてしまうが、ゆっくりとエルクーロを見れば、落ち着けと言わんばかりの穏やかな目で私を見ていた。
それがどうしようもなく不気味で。何故そんな平静でいられるのか不思議で。
どうしようもなく、彼らは魔なるものなのだと思い知り。
私の頭の中はぐちゃぐちゃに思考が回転して。
魔王様の声で正気に戻った。
「ココット」
「は、はいッ」
エルクーロに抱かれるように支えられたまま、私は魔王様へ顔を向ける。
魔王様は、驚くべき程に無垢な笑顔で私を見ていた。
「ココット、よくやった。アウタナに続きフリクテラをも落とした。私は貴様というモノが心底気に入った」
「きょ、恐縮で……あります……」
絞り出すような声で、荒い息を吐きながらなんとか返事をする。
その返事を絞り出すと同時。エルクーロが私の肩に手を置いた。
ツォーネを騙す様に利用し出し抜いた私にもお咎めがあるのではないかと恐怖していた私は、その異形の腕の重さを肩に感じた時、安心を感じてしまった。
酷く、安堵したのだ。
疲れがどっと噴き出してくるのを感じる。それを悟られたのか、エルクーロが私の肩に置いた手をそのまま背中に回し、私の体勢を直した。
自力で立った私はずれていた帽子を慌てて直した。
「あ、ありがとうございます。申し訳ありません、お恥ずかしい所を」
「……疲れていたのだろう。もう下がっていい」
「……ですが」
「下がっていい。ゆっくり休め」
エルクーロ様にそう言われ、私は良いのだろうかと魔王様を見る。
しかし魔王様は、すでに再び机の紙に目を落とし、何食わぬ顔で長い黒髪を片手で弄りながら、ペンを走らせていたのだった。まるで今さっきの出来事など、もう忘れたかのように。




