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#100 ミオ

 








 ミオは一人、テントの中で眠っていた。


 ココットはキエルとどこかへ行ってしまったし、まだ遊びたかったが仕方なく先にベッドに潜り込んで大人しく眠ることとしていたのだ。どうせココットが戻ってきたら目を覚まし、また一緒に眠る。いつもの事だ。そしてまた明日遊ぶのだから。


 今テントの中では枕を抱きしめ端を口に頬張りもぐもぐと噛むミオのすうすうという寝息だけが聞こえる。


 蝋燭の火も灯っておらず真っ暗な中、ミオは幸せな夢を見ていた。



 誰かわからないが、眠る自分の傍らに人影があり優しく髪を撫でてくれている。


 そして澄んだ声で歌を歌ってくれているのだ。ミオはこの歌が好きだ。自分でも口ずさむほどに沢山聞かせてくれた子守歌。


 それにしても、この暖かな人影は誰なのだろう。長い髪と優し気な笑み。自分の髪を撫でる暖かな手。


 この手に触れられていると、安心する。ミオは触れられる感触に身を任せながら笑った。


 ああ、この手似ている気がするな。ココットに。彼女の事は大好きだ。優しいし、暖かい。


 独りぼっちでいた所に現れた友達。アレハンドロの所にいたシアはいつも血の臭いがして、嫌だった。


 大事な友達。ココットが、彼女がいるからもう寂しくない。


 ココットと一緒に綺麗な湖のほとりの家でケーキを食べる。いや、自分がケーキを作るんだ。お花も好き。家の周りには沢山お花を植えなくちゃ。


 ココットが言っていた未来の事、いっぱいいっぱい考えた。楽しい未来。暖かな生活。


 私を撫でてくれる知らない誰かさん、私今とっても幸せだよ。


 此処のみんなは優しい。ゾフ達はみんな体が大きくて怖いけど、本当は気さくで頼もしい。歌もいっぱい聞いてくれる。


 クォートラは尻尾が太くてかわいいしかっこいい! ココットみたいに背中に乗せて欲しいって言ったらダメって言われたけど。


 ツォーネも好き。ココットの前とそうでない時とで口調が変わるけど髪を洗ってくれるしこの前はお爪のお手入れもしてくれてぴかぴかになった! おっぱいもおおきい! 触ると柔らかいから好き。


 キエルも好き。優しく手を握ってくれるし、ココットが居ない時は本を読んでくれるの。


 それから――庭園に捕らえられていた自分の前に現れた、自分と同じ白い髪と赤い瞳を持つ小さな女の子。自分の方が小さいのに大人ぶる、でも本当に大人びていて頼もしくて優しいココット。お姉ちゃんと言うより、お母さんみたいな所がある。過保護なところとか。


 みんな、大好き。



 皆いるから、独りぼっちじゃないよ。



 そこでミオはあれ、と思う。


 自分は、いつから独りぼっちだったんだっけ。どうして独りぼっちだったんだっけ。


 寂しかったのはなんでだっけ。


 そう、夢の中で思ったミオは再び自分に優しい視線を向ける人影を見やる。


 もしかして、あなたは……おかあさん――――?















 と、ミオはかすかに布のこすれるような音を聞き、耳をピクリと震わせて夢から目を覚ました。


 今の音はテントの入り口の幕が開いた音だとすぐに分かった。


 ミオはもぞりと体を起こし、眠たげな眼をこすりながらテントの入り口に人影があることを認めた。


 そして寝ぼけ眼のままもそもそとベッドの上を移動し影に近寄り、きっと大事な友達が帰ってきたのだと喜んだ。



「あ……ココット? おかえり……むにゃ」



 眼が眠気で殆ど開けられないまま、にこりと笑ってミオは影を出迎える。一緒に寝ようとシーツをまくって見せる。ココットと一緒に眠ると温かいのだ。庭園で一人寒さに震えて眠っていたあのころとは違う。


 だから早く来て。眠いし寒いから。また明日起きたら楽しい思い出をいっぱい作ろう。


 そうしてベッドの上でうとうとするミオは、目をこすりながらゆっくり開く。いつもココットならすぐ優しい声で返事をくれるのに、と。



「……ココット……?」



 ――眼を開けたミオの前にはココットは居らず。代わりに……冷たい目で自分を見る刃物を持った人間の男達が居た。










 ♢










「付き合わせて悪いな」




 私は夜の森の中、キエルにそう言った。


 キエルはランプを持ちながら、私の隣を歩いている。その表情は何とも言えないものだったが、私は別段気に留めなかった。疲れているのかもしれんから連れ出したのは少し悪かったか。とはいえ他に頼れるものもいなかったしな。


 クォートラやゾフに途中で出くわし、出かけるなら護衛をと言われたが聖女との対談に備え静かに考えを纏めたいと言ってツォーネ同様置いてきた。


 もちろんそれも嘘ではない。むしろ本命だ。だが、今はついでの方が大事だ。


 殆ど心の中は決まっているのだから。


 月光が木の葉の隙間から落ちる森を歩き、夜風を肌で感じる。冷たい風と静けさが頭の中をすっきりさせてくれる。


 色々考えはした。だが、結局私が出した答えは。



 と、そうこうしているうちに目的の場所についた。


 私がゾフを伴って偵察に出た時に見つけていた花畑だ。色とりどりの花が咲き乱れるその花畑は、月光の明かりで幻想的な美しさを持つ場となっていた。



 私はすぐに花畑にしゃがみ込み、花に触れる。どれも綺麗で、美しかった。すぐにキエルを呼べば、キエルはランプを置いて私の隣に座った。



「あの……」



 キエルがとりあえず呼ばれたので来ては見たがと言った顔で呆けている。そうか、目的を言っていなかった。


 私は手ごろな花を手に取りながら言う。



「お前ならこういうモノに詳しいだろうと思ってな。ルイカーナでも花の知識があっただろう」


「それはどういう……」


「花を摘みに来たんだよ。ミオにやるんだ」



 キエルはそれを聞いて目をぱちくりさせた。そして私と花畑を交互に見て、小さく笑った。


 私はその笑みに別段腹を立てることも無く、頷いて同じように笑った。



「さ、探すぞ。縁起がいいのを選んでくれ。花言葉とか、そういうのもあるだろう?」


「はい」



 私とキエルは月光の下、花を選び始める。


 しかし、花をプレゼントなど、私もなかなか良い思い付きをしたものだ。


 まったく、花など眺めても今まではまったく何も思わなかったものだが、誰かにと思うだけでも見方が変わってくるのだな。


 どの花なら喜ぶか、どの花が一番きれいかなどと、目を凝らして探す私を自分で見ればさぞ滑稽に映るのだろう。復讐復讐と心をどす黒く塗りつぶしたはずの私がまさか花などを熱心に選んでいるとは。


 まるで子供のようにこっちの花はどうだとか、これは綺麗じゃないかとか、四つん這いになりながら花畑を動き回っては摘んだ花をキエルに見せた。


 その度にキエルは花の名前だとか、花言葉だとかを教えてくれた。色も形も申し分なしと思って自信満々に見せた花は、あまりいい花言葉ではなかったのでむくれながら放り捨てた。というか適当に言ったが本当にこの世界にあったんだな、花言葉。


 元々花摘みはついでと思って思いついたのだが、本命の方はもうほぼ済んだと言っていい。


 先述の通り元々は聖女との対談にどう答えるかだったのだが、もう答えを出しているのだから目先の事に集中しよう。


 少し、誰かのための花探しも楽しくなっている自分もいる事だし、な。



 そうして花探しに没頭して幾許か。なかなか納得できる花が見つからない所で、私は熱心に花を選んでいるキエルに体を向ける。


 そして少し深呼吸をした後、口を開く。



「なあ、キエル」


「はい?」


「聖女の申し出、受けようと思っているんだ」



 突然の私の言葉に、キエルは酷く驚いたようだった。


 私はエルクーロ様と聖女を引き合わせる仲介をする選択を口にしたのだ。



「それは……」


「なんだ、ダメなのか?」


「いえ、そうではなく……ただ」



 キエルは驚いた顔をしたまま、花を選ぶ手を止めて私をじっと見た。


 私の言葉の意味、聖女の申し出を受けるというのは即ち和平への道を選んだ、と受け取られてもおかしくない。


 何か言いたげなキエルの表情に私は頬を掻いた。



「……私も迷った。それから早合点はするな。私がするのは聖女とエルクーロ様を引き合わせるだけ。エルクーロ様が和平を拒み戦いを選べば、私はそれに従い戦いを継続する。私の選択は、ただ一時待つことにしたというだけだ」



 私の選択、それは待つこと。エルクーロ様に選択を委ねること。私はそういう意味を込めてキエルに言った。


 もちろん私のこの選択が和平への道の一つであることは明白。だがエルクーロ様が否と言えば私はただ今まで通り戦いを続ける。やっぱり人間と魔族が手を取り合う事なんかできなかったなと首でも振りながら。


 ただ、それだけ。変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。


 それでも、人であるクーと魔族であるエルクーロ様が手を取り合うのならば。そのどちらでもない私はその選択に従う。そういう選択を私はした。


 守るためには選択しなくてはならない。憎しみはまだある。忘れようはずもない。


 だが、それではダメだと思い返す事が出来た。



「ただがむしゃらに恨んで戦うだけでは……守れないからな。ミオも……お前も」


「えっ……?」


「聞き直すな。私だって言うのは恥ずかしかった。だが、紛れもない本心を偽らない事にした」




 そんな私の言葉を聞いたキエルの顔を見て私は驚いた。


 こいつは本当に嬉しそうな、安心したような顔で私を見ていたから。



「よかった。貴女がその選択をしてくれて。貴女にとっても難しい決断だったでしょうに」


「なんだ急に……まだ戦いが終わると決まったわけじゃないんだぞ。エルクーロ様が戦いを選べば私はこれまで通り人間を殺すぞ」


「ごめんなさい……それでも嬉しくて、安心したんです」



 私は面食らい、顔を背けた。


 レイメが死んだのはユナイル教が元凶だ。たとえ和平が為ったとしても私たち悪魔の相がこの身に受ける扱いはすぐには変わらない筈だ。だが、クーなら……どうにかしてくれるんじゃないか。ジジもそれを信じていた。


 悩んだ末に結局、ジジに言われた通りの選択をしたんだな、私は。恨みばかりで心を埋め尽くしたら、気づけなくなる、か。私は気づけたんだろうか。失いたくない、大切な者。ミオ、キエル。それからクォートラ達。復讐を成し遂げさせてやるなどと言ってしまったあれは、撤回できるだろうか。戻ったら皆を集めて私の考えを伝えなくては。


 もしこれで全部が丸く収まって平穏が訪れたら……恋を、してみるのもいいのかもしれない。……なんてな。


 ジジが聞いたらどんなことを言うか。私が、間違っていたのかもな……。


 そうしてキエルから顔を背けたままの私は、胸元のネックレスを握りしめて仄かに笑った。




 ――これでいい。これでいいんだろう? レイメ……。











「この花はどうだ?」



 私が選んだ花は小さいが、5枚の花弁が広がるもの。中央が仄かに赤くグラデーションとなっている白い花弁を持つ。私達と同じ色だから選んだが、悪魔の相と同じ色合いの花など花言葉が物騒だったりしないだろうか。それでも妙な魅力を感じてキエルに見せてみた。


 するとキエルは少しだけ驚いたようにこの花を見た。



「その花、珍しいんですよ。あんまり贈り物とかにはその、向かないんですけど」


「……それはこの花の色か?」



 キエルにそう問えば静かに頷いた。ま、そんなところだろうな。いかに珍しくても悪魔の相を連想させる花など。


 これもダメかと放り捨てようとしてその手を止められる。



「……でも、花言葉は『幸福』……私はその花、好きです」


「……そうか」



 幸福、か。ミオには幸せになってほしい。いや、幸せにする。まじないではないが、ぴったりだろう。この贈り物は私の決意の形でもある、か。


 これにすると言った私にキエルは笑って頷いてくれた。


 満足そうに私はその花を眺める。幸福の花。



「こんな色をしていても、幸福になれるんだな……」



 私は自身の髪を撫でながら、しばらくその花を見つめていた。





 と、そんな私をじっと眺めていたキエルは少し逡巡したような顔をした後、おもむろに口を開いた。



「あの、ココット……様」


「ああくそっ、もう無理して様と付けようとしているのが見え見えだ! 面倒くさいから好きに呼べばいいだろ」


「あっ、はい……ココット、あの」


「なんだ」


「聖女様の事なんですけど……」



 聖女……クーの?


 私は続けて話すよう促そうとして、ぽつり、と頬に冷たい水滴が落着したのを感じた。


 はっとして空を見上げれば、先ほどまで花畑を照らしていた月も星空も灰色の雲に覆い隠されていた。


 雨雲だと理解すると同時に、徐々に勢いを増して雨が降ってきた。私は思わず舌打ちをして、摘んだ花をポケットにしまい込むと立ち上がった。



 ツイていないな。また雨か。最近よく振られる気がするな。


 早く戻るとしよう。雨粒で折角の花びらが散ってしまうのも味気ない。



「キエル、すぐ戻るぞ。風邪を引いたらかなわんからな」


「あ……はい!」



 私達は急ぎ立ち上がり、駆け足で駐屯地へと向かった。


 駐屯地に戻るまでに雨脚はどんどん強まり、辺りがもう闇夜に包まれたのも災いして何度か転びそうになった。


 ずぶ濡れだ。髪が頬に張り付いて気持ち悪い。無駄にダボついている将軍装束が雨を吸って重くなってきた。びしょびしょのままでは風邪をひく。明日は会合だというのに



 やっと辿り着いた駐屯地で、私は一目散に駆け足でテントへと向かった。クォートラ達に方針を伝えるのはまず着替えてからだな。それに、早くミオに花をプレゼントしたい。あ、でも寝てるか……うーん、枕元に置いておけばいいだろうか。


 何にせよ、ミオの喜ぶ顔が早く見たい。あの太陽のような笑顔を。


 私は息を切らしながらテントの前に立ち、ちょっとドキドキしながら一度胸に手を当てる。


 なんだ、私。プレゼントなんか今までいっぱいあげてきたじゃないか。ああもう、胸下あたりがムズ痒い。こんな感情知らないぞ。わくわく、しているのかな。これも、心に余裕ができたから気づけた感情かな。


 テントの中は静かだ。やっぱり寝ているんだろうな。起こさないように静かに入るとしよう。



 私はテントの入り口の幕を静かに開き、中へと入る。



「ミオ、戻ったよ」



 テントの中は真っ暗だ。


 ミオはぐっすり眠っているのか、物音ひとつしない。私は入り口の燭台の蝋燭に慣れた手つきで火を灯し、照らされたテントの中を見て……息が、詰まった。



「……あ」



 世界から音が消えたような錯覚を覚えた。時が止まったような感覚に襲われた。


 呼吸もできず。身動きもできず。


 それを見てしまった私はただ視線を縫い付けられるようにして沈黙するしかできなかった。


 眼は見開かれ、口は半開きのまま。


 どれだけの時間が経ったのだろう。一瞬、のはずだった。まるで時間の感覚など忘れたように私はありとあらゆる面で停止していた。


 だが氷が解けるようにゆっくりと脳が状況を理解しようと働き始める。


 私の視界に映るのは、蝋燭の明かりを照り返す赤。そしてその赤の中に――――。



「ミオ……?」



 なん、だ? 私は何を見ているんだ?


 ミオが寝ている筈のベッドは空っぽで、床には赤い水が池のように広がっていて、その真ん中にミオが倒れている。


 血だまりに倒れピクリとも動かず、表情に苦痛を張り付けて、涙と血でぐしゃぐしゃになった顔に、目は開かれたまま。



「ココット? ミオさんはまだ寝ているんじゃないですか――――えッ!?」



 後からテントに入ってきたキエルは中の様子を見て口を覆った。


 呆然と立っていた私はキエルの声が聞こえたと頭の片隅で理解して、だがそれでも目の前で何が起きているかを理解したくなくて。


 酷く緩やかな足取りでぴちゃぴちゃと赤い水たまりを進み、床に転がるように仰向けに倒れるミオの下へ向かった。



「ミオ……? なにやってるんだ? こんな所で寝ちゃダメだろう……? 早く、ベッドに行こう。一緒に、寝よう……プレゼントだって……」



 ミオは答えず、ただその見開かれたままの光のない目だけが虚空を見つめていた。


 いつもはくりくりした目を私にすぐ向けて笑ってくれるのに。


 なんで、そんな顔をしているんだ?


 ゆすってみても返事はない。触れた掌にはぬるりとした生暖かい感触があり、両の手を眺めれば未だ流れ出ているであろう真っ赤な血で染まっていた。



「は、う……ぅあ……なん、だ……何なんだこれは……」



 身体の力が一気に抜けていく。ぺたんと私はミオの前でへたりこみ、唖然とした。


 耳鳴りがする。目の前が真っ白になる。


 キエルが何か言っている気がする。テントの外も騒がしい。なんだ。なんなんだ。何が起きている?


 私を呼ぶ声が聞こえる。クォートラ、なのか。



 慌ただしくテントに入ってきたのはクォートラとツォーネ。クォートラは、へたり込む私と血で真っ赤に染まったテントの中の様子を見て一瞬たじろいだが、すぐに私に向かって叫んだ。



「姫! 姫! 指示を! 人間の臭いが残っている……これは敵襲です!」


「バカドラゴニュートッ! ミオが、ミオがあんなんなってるだろうがッ! 早く診てやらねえと……ッ」


「だがッ……! 既にもう……」



 クォートラとツォーネが問答をしている。混乱している状況。私は全く耳に入らずにただただ呆けた顔でぺたぺたとミオの体に触れる。血が流れ出ている傷は一つではない。あちこちから止めどなく流れ出ている。一つを両手で塞いでみても、別の場所の流れは止められない。また別の場所を塞いで、塞げなくて。


 もう一度ミオの顔を見てやっと、私にクォートラの言葉が遅れて届いた。


 敵襲。敵。敵がこれをやった、のか。敵ってなんだ。誰なんだ……こんな……ミオの身体を滅多刺しに……。






 ミオが殺された事を完全に頭で理解した時、世界に音が戻った。


 私は目の奥が白むような感覚に呆けたような顔のままゆっくりとクォートラ達に首だけをかくんと力なく向けた。



「奴らは……そう遠くには行っていない。ミオが……ミオがまだ、温かいんだ」



 両手に付着したミオの血を眺めながらそう呟いて、私は目尻が熱くなるのを感じ、歪みかけた表情を血まみれの両手で覆い隠した。


 そして歯が砕けんばかりに食いしばり、顔を覆った指の隙間から赤い瞳を覗かせてクォートラ達を見る。



「……殺せ」



 ただそう……命令を、した。



「ころせぇっ! ころせぇええっ! クォートラっ! ゾフっ! ツォーネぇっ! だれ、誰でもいいっ……これをやった奴らを、探し出せぇっ……!!!」



 懇願を、した。



「逃がすな……絶対に逃がすな! 追え……追って奴らの四肢を千切り取れ。その皮を剥げ。惨たらしく殺せ。この私の目の前でッ! 頼む……必ず、殺してくれっ……」




 私の絞り出すような言葉に、クォートラとツォーネは無言で頷き、早馬を駆ってすぐさま駆け出した。


 それを見送ると……私は眼下のミオにもう一度目を落とし、ゆっくりと赤く染まった服を捲った。


 生傷の跡がある細い腕。白い首筋。柔らかな体。そこに惨たらしく刻まれた新しい刀傷。念入りに、という事だろう。体に刺し込まれたであろう剣の傷は2つや3つではない。その目は見開かれたまま、驚きと恐怖に満ちていたのだからよっぽど恐ろしい目に遭ったんだろうなあ。



「痛かったよな。怖かったよな。私がこんなものを取りに行っていたばっかりに……ッ」



 ポケットに大事に忍ばせていた白と赤の花弁持つ花を私は乱雑に投げ捨てる。何が幸福の花だ。こんな、こんなものっ……。


 そしてミオの顔に手を翳しゆっくりとその瞼を閉じると、胸にこみあげる思いのままその体に顔をうずめた。


 ……こんなに、こんなに温かいのに……っ。


 心臓の鼓動が……命の音が、聞こえない……。



「う、うぁあ……うぁああぁあああっ……」



 顔にべっとりと感じる、ミオの体から染み出した血の温かさを感じ、涙と血に塗れた顔を憚らずに私は……泣いた。







 ♢








「ひいっ」



 暗殺者の一人は、ミオの亡骸を抱えよろよろとテントの中から現れた私を見て悲鳴を上げた。


 血だらけの死体を抱える、目元を覆い隠す雨に濡れた白い髪とその顔を真っ赤な血でべとべとに染めた私は、虚ろな瞳で一同を眺めた。



 私の前に突き出されたのは、3人。全て魔族に拘束され、跪かされていた。



「……これ、だけか」



 私のつぶやきに、返り血で体を染めたクォートラが言う。



「10人ほど居りましたが、抵抗したものはその場で殺しました。この3人は投降した者たちです」


「そうか……」



 眼をやればゾフの大斧やツォーネの突撃槍もまた赤く染まっていて、震える手で得物を握る彼らは今にも暗殺者を殺してしまいそうなほどの表情をしていた。


 そんなやり取りの最中、当の暗殺者たちは私を見て絶望の顔色でいた。



「悪魔の相……もう一人いたとは……」


「俺たちが殺したのは替え玉だったというのか……して、やられた……」


「黙れ!」



 ぼそぼそとか細い声が耳障りだ!


 私は目を赤く腫らしたまま鬼の形相で暗殺者達を睨んだ。そういう事か。こいつらの狙いは私で、ミオを私だと思って殺したのか。替え玉? 替えなどあるものか! ミオは……ミオの代わりなど……!


 濡れた白い髪の隙間から赤い瞳が暗殺者たちを睨む。全身をミオの体から流れ出た血で真っ赤に染めた幼女の怒気に、暗殺者たちはひるんだ。


 何より、自分たちが暗殺せしめたと思っていた将軍が生存していたのだ。作戦は完全に失敗。苦し紛れと最後の望みをかけたのであろう投降も、わずかばかりの延命にもならんと知るだろう。


 私は荒い息をふうーっと吐いて、俯きながら短く言った。



「……死ね」



 瞬間、魔族達の咆哮が雨の中響いた。


 腕を一本一本もぎ取られていくもの。両足を掴まれそのままぶつぶつと裂かれていくもの。生きたままゴブリンに貪り食われるもの。


 魔族たちは私の望み通りに、私の気が少しでもまぎれるように。そしてミオを殺した者たちへの恨みを込めて、出来る限り痛みを伴う処刑を実施していく。


 私の為、そしてミオの為に。



 だが、悲鳴とともに聞こえてくる凄惨な音や光景を見ても、何も、何も感じない……。私はただ、目の前で行われる処刑を眺めていた。


 暗殺者たちが物言わぬ肉片と為った後、一瞬の静寂を経て魔族達は口々に声を荒げた。



「なんでこんなことを許しちまったんだ! 見張りは何してたんだよ!」


「想定していなかった。魔将軍を人間が暗殺などこれまでに有り得なかった……自殺行為だ。だが人間相手ならという事か」


「おい、それを今ココット様の前で言うんじゃねえ!」


「雨のせいで人間の臭いはおろか血の臭いにすらすぐに気づかなんだとは。魔物達にも気づかせない手練れを寄越して来たか」


「卑劣な手を……許せん……断じて許せんぞ人間め……!」



 魔族達も何やら口論をしているようだが、私の耳には入らなかった。


 やがて広場が肉塊と化した暗殺者たちから流れ出た血は海となり。私はゆっくりミオを寝かせると赤い海をぺちゃぺちゃと音を立ててふらふらと暗殺者の死体に向かって歩いていく。


 虚ろな目を虚空に向けて息絶える暗殺者の顔にはミオと同じように苦痛と恐怖が張り付いていた。


 だが、それでもまだ憎らしい。憎らしくてたまらない。



「くそっ!!」



 私は耐えられなくなりその顔めがけて足を思い切り踏み下ろした。



「くそッ! この、くそっ! くそぉっ……くそっ……この、このぉっ……!!」



 私は何度も。何度も暗殺者の死体を踏みつけた。


 何度踏んでも、何も……何も変わらないのに。私の心も、ミオも。


 それでも踏まずにはいられなかった。頭の中は真っ赤で、真っ白で、真っ暗だったから。



「ココット!」


「っ」



 私は、私を名で呼んだ言葉にはっとして、動きを止めてその方を見やった。


 そこには地面に膝を落としミオを胸に抱くように支え、その手を握りながら私を見て目尻に涙をためた、キエルがいた。



「もう、もう十分とは言いません。言いませんけど、もう、やめてください……」


「ッ……!!」


「そんなあなたを見るのは、辛すぎるから……」



 一筋の涙を零すキエルに、私は目を見開き、キエルに抱きかかえられているミオに酷くぎこちない動きで目を落とした。


 そう、だな。こんな私なんか、見せたら……見せたらきっと。



「怖がらせて、しまうよな」



 震える声でそう言い、暗殺者の体から足をどけるとふらふらとミオとキエルの下へ歩み寄る。キエルは再びゆっくりと自分の腿を枕代わりにミオを寝かせる。


 そして私もキエルと同じようにミオの傍らに屈み込むと、その手を握りながら酷く不細工な笑みを無理やり作った。





 が、それも一瞬の事。


 私は耐え難い胸の苦しさに思わず俯き、胸のネックレス……レイメの聖石をぎゅっと握りしめた。ミオが作ってくれたネックレスを。


 苦しい、心が。潰れてしまいそうなほどに痛い。涙が溢れて止まらない。枯れたと思っていたのに。


 なぜだ。どうしてこんな事になった。お前を守るために、私は生きる意味を捻じ曲げようと覚悟した矢先に。憎むべき相手と手を取り合う事を選んだ矢先に。


 世界はどうして、私にこんな仕打ちを。







 ――――ああ……そうか。これが、これが報いか。


 あの聖女などを、人間などをわずかでも信じようとした報いがこれなのか。



「騙したな……聖女クーシャルナ……」



 私はミオの手を握り、絞り出すような声で呟く。


 暗殺者たちに誰の命令かなど聞く必要はなかった。私が魔将軍であり、暗殺者を差し向ければ簡単に殺せる人間であることを知っている者は分かっているのだから。




「やはりそうだ……人間は、いつだって私を裏切る。いつだって私の大切な者を奪い取っていく」


「ココット……?」


「キエル……くく、ようやくわかったよ……ははっ、あはははっ! まだ私は、人間だったんだな……。くふふ、ふふははははっ!」



 笑い始めた私を、キエルは一瞬怯えたかのような目で見た後、ゆっくりと私に手を伸ばし、引っ込めた。


 そんなキエルに構わず、俯いたまま涙を零して笑う。胸の奥から噴き出す慟哭は、感情に押しつぶされて嘲笑めいた形を取った。



「もう、耐えられない。人の心を持つことに、耐えられない」



 私は……流れ出る涙が頬を伝う温かさを感じながら天を仰ぐ。


 満天の星空は未だ黒い雲に隠れ。顔に雨を受けながら私はその空を涙が溢れ続ける赤い瞳で睨み、歪んだ笑みを浮かべた。










「私は――――悪魔に戻るよ」











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― 新着の感想 ―
[良い点] ミオの最期が苦しそうで泣きそう。 100話おめでとうございます。
[良い点] 最近のココットは絆され物語の焦燥感がなくなってて興醒め感あったけど、ここへきて原点に戻った感じがしてドキドキする。 [一言] ミオが殺されたのは度し難い出来事ではあるけれど怒涛の勢いを失い…
[一言] あぁ…
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