エピローグ 天国へ捧ぐ
「ねえ、ゼロは地球に行ったら何がしたい?」
「私はね、学校に行ってみたい。お母さんとじゃなくて、同じ歳の子たちと一緒に勉強するの」
「友達ができたら、私、ゼロのこと一杯自慢する! 優しくて、なんでもできて、カッコいいって、みんなに教えてあげるの!」
「それでね! それで、みんながゼロのこと知ったら――――」
「きっとゼロにも、友達が一杯できるよ!」
二〇四九年、二月十六日。
ヘブンズガーデンの崩壊から一年と少しが経った、地球でのこと。
ゼロは、日本にいた。
「おーい! ゼロ! 今日の仕事はその辺にしときなさい!」
とある豪邸の庭で、植木の手入れをしていたゼロは、窓を開けて縁側に出てきた初老の男性にそう言われ、園芸用ハサミを腰に吊るしたポーチにしまった。
雲も少ない、良く晴れた日だった。
「ありがとねぇ、ゼロ。ナタリーも、もうすぐ学校から帰って来るだろうから、家の中でゆっくりしていましょうか」
今度は年老いた女性が、玄関でゼロを出迎えた。ゼロは頷いて、足をよく雑巾で拭いてから、家に上がった。
老夫婦と共に、居間の机に用意された、専用の鉄椅子にゼロは座る。
老婆がテレビを点けると、老人が映った映像を見て、笑った。
「おーおー。やっとるやっとる」
それは、海に集まる大勢の人を映す、ニュース番組だ。
テレビに映るレポーターが告げる。
「先週、太平洋沖に落下したスペースコロニーの残骸を見に、大勢の人たちがこの海岸を訪れました。現在、調査のため警察により海岸周辺は封鎖されており、海岸に入ることはできません。去年、ヘブンズガーデンから生還したナタリー・クルスさんの証言と、試作護衛ロボットのゼロさんの記憶データから判明した、クルス一家によるヘブンズガーデンでの非人道的実験と、そこで起こった一連の事件は、未だ世界中で話題となっています」
その後、番組はヘブンズガーデンが崩壊してからの経緯の説明に入った。
「長年連絡が途絶えていたヘブンズガーデンで行われていた、残酷な人体実験。その凄惨な内容は世界中を震撼させた。そして、ナタリーさんと地球に脱出してきた、護衛ロボットのゼロ氏の処遇には、多くの議論が交わされてきた。人に危害を加える可能性もあるとして、AIの消去や解体を提案する声もあったが、ヘブンズガーデンでのゼロ氏の行動と、その記憶データを見た世界中の人々からの署名活動の効果もあり、ゼロ氏はナタリーさんと共に、イーストン・クルス氏の恩師であり、親交の深かった日本人工学者の村田氏の自宅に引き取られることとなった」
その村田老人が、ゼロの背後を指差して、ゼロに頼んだ。
「ゼロ、後ろの棚に入ってるみかん取ってくれ。お、ありがとう」
「ゼロ氏は現在、武装を全て解除されているとのこと。AIの性格も温厚であり、護衛対象の危険時以外、人間に攻撃できないようプログラムされていたことから、安全性を認められた」
ゼロがみかんを一つ手に取って、器用に皮を剥く。それから、指の先から細い金属針を出し、みかんの白い筋も丁寧に取った。
ゼロはその真っ黄色のみかんを、村田夫人に渡した。
「ありがとう。ゼロがいると助かるねぇ」
「おいおい。みかんの筋を取るなと何度言わせるんだ。筋には栄養がたくさんあるんだぞ。ゼロに下らないことを頼むんじゃない」
「うるさいジジイだよ!」
「うるさいとは何だ!」
喧嘩を始める村田夫妻を、ゼロが慌てて仲裁する。ゼロは両手の平を夫妻に向けてから、テレビを見てくれと指差した。
テレビに映っていたのは、インタビュー映像だった。
インタビューを受けているのは、村田宅から近くの私立小学校に通っている、ナタリーだった。学校の制服を着たナタリーが、顔を赤くしてテレビカメラの前に立っている。
このインタビューは録画であり、ナタリーが学校にいる時に取材を受けたのだとか。
先月くらいから度々流れる、このインタビュー映像を見かける度に、ナタリーは恥ずかしそうに顔を俯かせていた。
Q、日本での生活は慣れた?
「はい。ええと、日本語難しいけど、みんな私と仲良くしてくれます……、です」
Q、ヘブンズガーデンであったことは、どう思ってる?
「え……? んん……、恐いことがたくさんあったし、思い出すと辛いですが、ゼロが今もいてくれるので大丈夫ですよ」
「子供相手にずけずけと聞きおるわ。けしからん」
「ほんとにねえ。ナタリーが可哀想」
夫妻の怒りの矛先が逸れて、ゼロがほっとした時だ。小学校から帰ってきたナタリーが玄関のベルを鳴らした。ゼロたちは元気に帰ってきたナタリーを出迎える。
「ただいま!」
「おかえり、ナタリー」
ゼロを見るや、ナタリーはゼロに抱き付いて。ゼロがナタリーを抱き返す。
「ゼロ! お待たせ! 行こう?」
村田老人が笑いながら、二階の方へ上がっていく。
「おーい涼子! ゼロたち、そろそろ海岸に行くってよ!」
「はーい」
二階から下りてきたのは、村田氏の一人娘の涼子。近所の大学に通っている彼女も、ナタリーの面倒をよく見てくれている。
ルームウェアで薄着のままの涼子に、村田老人が憤慨する。
「涼子! お前、そんな格好で出歩く気か!」
「はぁ? いいでしょ、別に。あ、ゼロ! ねえ知ってる!? 結構前にアラスカであった作業機械暴走事件! 今調べてたんだけどさぁ、これ、あんたが興味ある系の話題じゃない!?」
興奮気味にゼロに語る涼子に、村田老人はますます怒り心頭に発した。
「おい! ちょっとはゼロの気持ちを考えろ!」
「うっさいなぁ。ゼロが教えてくれって頼んできたんだからいいの」
ゼロが涼子の言葉に合わせて頷くと、村田老人は呆れて黙った。
ゼロは地球に来て、地球では過度に発達した科学技術が起こす、多くの事件が存在することを知った。自分とも関わりのあるそういった問題に、ゼロは興味を惹かれるのだ。涼子はそういった情報に詳しく、ゼロはよく涼子に話を聞かせてもらっていた。
ゼロたちが涼子の車に乗るまでの間にも、村田老人と涼子は、言葉の小競り合いを繰り返していた。騒がしい村田親子の横で、ゼロとナタリーが顔を見合わせる。
ナタリーは、おかしそうに笑っていた。
「あ、ゼロ! ゼロだ!」
ゼロたちが車に乗ろうとすると、下校中の小学生たちがゼロに駆け寄ってきた。男子も女子も、ゼロの機体に飛び付いて。
「ねー、ゼロ! 踊って! 踊って!」
子供たちのリクエストに応え、ゼロが両手を前後に広げて腰を落とし、小さく、けれど力強く首を回した。歌舞伎の“見得”というやつである。
「それ踊りじゃなくねー!?」
子供たちは笑いながらゼロの体を弄りまわして、やがて満足すると帰り道に戻っていった。
「ゼロ! ナタリー! ばいばーい!」
「うん。また明日、会いましょう!」
ゼロはナタリーと共に子供たちに手を振っていると、一人だけ残った女子がゼロを見上げていた。
ゼロがどうしたのかと思って、その子と同じ目線になるようにしゃがむと、その子はゼロに両手を差し出した。
小さな手の平に乗っていたのは、折り鶴だった。
「学校で作ったの。あげる」
それを受け取り、ゼロは親指をぐっと立てて、ライトを青く光らせ、女の子にお礼の意を示した。それを見るや、女の子は急いでその場を去ってしまった。
「……」
ゼロの隣で、その様を面白くなさそうに見つめるのは、ナタリー。ゼロがナタリーの強い視線に気が付くと、ナタリーは怒った風にゼロを急かした。
「ゼロ! もう行くよ!」
車の後部座席に乗り込むナタリーを、ゼロが慌てて追いかける。
涼子は運転席に入りながら、ゼロを見て笑っていた。
「ははっ。ヒーローは大変だねー」
涼子に軽く肩をすくめて見せたゼロは、参った様子で車に乗った。
ゼロは車の中で、女の子に貰った折り鶴を嬉しそうに眺めた。けれど、ナタリーが気に食わないといった顔で睨んでくるので、ゼロは折り鶴をそっと胴部の収納ポケットにしまった。
淡々とした口調で語る、車のスピーカーから流れてくるラジオは、ゼロとナタリーの意識を吸いつける言葉を出した。
「話題続きのヘブンズガーデンですが、そこで行われていた人体実験の最終的な目的は、クルス・プロジェリア症候群の克服だった訳です」
涼子は黙ったまま、ラジオを消そうとボタンに手を伸ばした。しかし、ナタリーはそれを止めた。
「あ、あの……。聴かせてください。お願いします」
ナタリーの言うことに涼子もゼロも驚いた。涼子はボタンから手を離し、ゼロはナタリーの横顔を見つめた。
「クルス・プロジェリア症候群の治療法はまだ見つかっていません。多くの科学者が研究を続けていますが、そこで使われているのは実験用マウス、ネズミです。脳移植に関する研究現場でもそれは同じです。もちろん、マウスだって生き物ですから、人間を助けるための犠牲にしているという意識と感謝を持たなくてはならない。だから、多くの決まりがあるんです。私たちが平和に暮らす裏には、多くの犠牲と、決まりを守りながらその手を汚す人たちの苦悩があるのです。だからこそ、決まりを破り、人体実験という禁忌を犯したクルス夫妻や、命を弄んだナタリー・クルスが許されることがあってはならない。私はそう思います。さあ、それでは次のニュースへ――――」
ラジオを切った涼子は、バックミラーでナタリーの様子を確認した。ナタリーはうつむいたまま、顔を上げない。
沈黙が続いた後、涼子は静かに口を開いた。
「もしも、私がめっちゃ頭の良い科学者で、私におんなじ病気を持った子供ができたとしたらさ」
ナタリーは顔を上げない。その肩を小さく揺らしながら、涼子の話を聞いていた。
「その子が助かる方法があるって分かったら、どっかの誰かが作った決まりなんて無視して、やっちゃうかもね。それがどんなに酷いことでもさ。だって、世界で一番大切な自分の子供のためなんだから」
その後、結局車を降りるまでナタリーは黙ったままだった。ゼロはバックミラー越しに涼子と目が合った時、彼女に向けてライトを青く、ちかりと軽く光らせた。
そしてゼロとナタリーは、例のヘブンズガーデンの残骸が見える海岸へとやって来た。涼子は車で待つと言って、ゼロたちを見送った。
警察に案内されて、ゼロとナタリーは海岸を歩く。ゼロの手には、黄色の花束。
かつて、ヘブンズガーデンで共に暮らしたあの子が好きだった、花の色。
ヘブンズガーデンの残骸が見える場所まで来たゼロたちに、警察の男が一つ付け足して、去って行った。
「ニュースで聞いているかもしれませんが、落ちてきた残骸は極一部だけです。調査で見つかった物は警察の方で保管していますので、確認が必要であればご連絡ください。それでは」
残されたのは、ゼロとナタリーだけ。
水平線に浮かぶ残骸を、ゼロたちは静かに見つめた。
鈍色の海と、澄んだ青空。
ゼロは思い出す。ヘブンズガーデンにいた人たちのこと。
イーストン。
ステラ。
ダッドやサーバント。
ジェイソン。
そして、ナタリー。
ゼロは空を見上げた。
地球で見る、本物の青空だ。
「なんか……、寂しいね。ゼロ」
ナタリーがゼロの体をぎゅっと掴むと、ゼロがナタリーに顔を向ける。
ブロンドの髪が潮風に揺れ、年相応の幼さが見える顔には、ヘブンズガーデンの残骸を見つめる潤んだ瞳。
「クルス・プロジェリア症候群の治し方、まだ見つからないんだよね……」
クルス・プロジェリア症候群の研究は、未だ続けられている。ナタリー以外にも、その病気に苦しんでいる人がいるのだ。
「多分……、誰かを助けるために、実験するのは必要なことなんだろうけど……、でも……」
ナタリーは悩みながらも、言葉を紡ぐ。幼いながらにも必死に考えて、ナタリーは自分の想いを、願いを、ゼロに伝えた。
「みんな……、できるだけ……、苦しまないで済むといいね……。実験に使われる生き物も。実験する人たちも。誰も、病気で辛い想い、しなくなれたらいいね……」
ゼロを見上げたナタリーの目から、涙が零れて。
ゼロはその涙を指でそっと拭った。それから、ゼロは泣きじゃくるナタリーの頭を撫でて、再び空を見上げた。
この地球で、ゼロはナタリーを見守ることを決めた。病気と科学技術に狂わされた、クルス一家の運命が生んだ、彼女を。
ヘブンズガーデンが残した、一機と一人。
残された彼らは、この地球で、ヘブンズガーデンのことを胸に抱いて生きていく。
ゼロは花束を持つ手を振りかぶった。
約束の青空へ向けて、高く、高く飛ぶように。
――――娘のために罪を背負った者たちへ。その犠牲になった者たちへ。
――――大切だった、あの人へ。
――――どうか、どうかこの花束が、みんなに届きますように。
ゼロは、そう願って――――
弔いの花束を、天高く放り投げた。
ヘブンズガーデン・ゼロ 完