今日はデートなのだけど、ここはどこっ?
「佐倉さん、やっとふたりっきりだね」
気のせいだろうか、キラキラと辺りに金色の光が舞っているような気がする。柔らかな光に包まれた長瀬くんは、いつもの当社比三割り増しくらいにイケメンだ。向かい合って立つと、あたしの頭が彼の胸の辺り。顔を合わせると自然に、上目遣いになってしまう。
「長瀬くん……」
とっさに言葉が出て来ない。喉がつかえたような感じだ。あたしは唇を噛むと、彼からそっと目をそらした。
視線の先には、先ほどの喧騒に包まれた広場とは打って変わって、なにもない町外れ。家すらもまばらで、眺めがいいことこの上もない。知らず、唇から大きなため息ももれる。
「とりあえず、――ここがどこか確認しない?」
◇◇◇
いえね、一番悪いのはあたしだってのは解ってるのよ。
いくら早く捕まえなきゃって焦ったとしても、全く土地勘のない人間が犯人逮捕だなんて、上手くやれっこなんてないよね。子供とはいえ腕にも自信ないし。
案の定、途中でまんまと撒かれて、市街地の真ん中で立往生する羽目になった。なんてことでしょう。
しかしどうしたことかと悩む間もなく、肩を叩かれ目を上げたところに天使さま――じゃなかった、長瀬くんがいた。いや、マジ後光が見えたよ!
颯爽と登場した長瀬くんは、力強くあたしの右手を握りしめ、前へ立つと手を引いて歩き出した。おぉ、カッコいい! 素敵!!
うん、そう思っちゃうくらい途方に暮れてた。今ならあたし、長瀬くんの犬になってもいいよ! あ。でも、期間限定でお願いします。
心細くなりかけてたあたし、心の中でひたすら感激しつつ、先に立って歩き出す背中を追いかけてしばし着いて行ってたんだけど。
どこに向かうんだろうと疑問に思い始めたのは、だんだん少なくなる人通りと建物に気づいた辺り。
おかしい。
「え~っと、長瀬くん。どこに向かってるの?」
そんなわけで冒頭に戻る感じなのだけど。
努めて冷静に冷静にと、自分に言い聞かせて尋ねると、ぴたりと足を止めた彼、こちらを向いてあたしの手を取ったという次第。
長瀬くんはそんなあたしをじーっと見ていたのだけど、やがて首をこてりと横に倒した。
「さぁ?」
「へっ?」
「どこに行くんだっけ?」
「ええぇぇぇ~っ!?」
えっ、待って待って。なに朗らかな笑顔浮かべちゃってるの?
「大丈夫だよ、佐倉さん」
ぎゅっと、包み込むようにあたしの手を握る天使さま。合わさっていた視線を横に向けると、一方向をじっと見る。
「この国って、東へずっと歩いて行くと、海に着くから」
「はい?」
今度はあたしの方が首をひねった。え~っと。確か先日オフの時間はいつでも来ていいと言われた、王宮の図書館で見た世界地図を思い出してみる。この国って、確かオーストラリアみたいな形した、大陸になってるのよね。この国があるのはちょうどその右下の辺り。他にもいくつかの国があって、海の向こうにも大陸があるみたいだ。
あたしが形を思い描いているその間にも、長瀬くんは説明するように、あちこちを指差す。
「西だと砂漠、南は森林地帯。北は切り立った山脈で、歩いて行けば、どこかに着くよ」
「いや、どこかにって!?」
大真面目な顔で言われてもっ。
「この世界って大きな樹の上にあるらしいよ。でも見た人はいないんだって。天動説ってやつだね。現実は地球みたいに丸いか、ちょっと試してみても面白いかも」
地球でも数世紀前には象の身体の上だったり、果てから海の水が落ちてたりするって言ってたんだった。でも仮に試すにしても、何年かかるのだろう。
口元に手を当てて、クスクス笑う長瀬くんを見て、あたしはようやくからかわれていることに気づいた。
「ごめんごめん、不案内な場所でいきなり走り出すんだもの。ちょっとお返し」
茶目っ気たっぷりに向けられた笑顔。そりゃまぁ、あたしが悪いんですけどね。携帯も使えないだろうこの世界、一度はぐれたらまた出会えそうにないし、治安だって悪いだろう。準備もなく飛び出したのは、今更ながらに軽率だったと思う。
それでもなんとなく面白くなくて、手を伸ばして彼の頬を引っ張った。
「いたたっ。佐倉さん、伸びちゃうよ」
「長瀬くんのイジワル」
あたしはこう見えて純真なんだぞ。すぐ信じちゃうでしょ!?
「うん、騙されやすくてチョロそうだから、気をつけてね。僕以外の人には」
これは心配されてるというより、やっぱりからかってるよね。肩が震えてるのって、絶対笑いを堪えてる。おまけに笑い上戸ときたもんだ。
「大丈夫だよ。佐倉さんがたとえ世界の果てにいても、ちゃんと見つけるから」
細くて長い指が伸びて来て、あたしの頭をぽふんっと撫でる。くるくる変わる表情は、いつもクラスの真ん中にいた頃と変わらない。あたしが走り出す前から見ていてくれたんだろうなぁ。
そう思うと心配させた手前なにも言えない。
「なんか、ちょっとズルい」
「え、そうかな?」
「うん」
ちょっとカッコよすぎるもんね。反則だ。でもそれは言ってやらないことにする。
「ところでどこに向かっているの?」
長瀬くんは、真っ直ぐにこちらの方向に歩いて来た。人通りの多い場所からどう見ても市街地の端の方へと。
「あ、うん。少し心当たりがあってね」
危ないよと、差し伸ばされた手に捕まる。なにこのさり気ない気遣い。こやつ、デキルな。
デキル男、長瀬くんは、繋がった腕を揺らしながらゆっくり歩く。ぶらんぶらん、ぶら~ん。小さな子みたいだ。あたしも負けじと手を揺らす。
男の人の手だ。あたしのふにゃふにゃの手じゃなくて、頑張った人の手だ。
ちょっと地面を蹴って、彼の隣に並ぶ。長瀬くんはこちらを見ると、ほにゃりと柔らかい笑みを浮かべた。あたしもなんだかおかしくなって、えへへと笑う。
なんかいいな、こういうの。
長瀬くんの長い指が、あたしたちが来た道を指差す。遠くに見える塔のような高い建物。王宮の尖塔だ。
あ、そう言えば長瀬くんが言っていた。この町は王宮を中心に道が伸びてるって。
「そうだよ。だからもし迷ったら、町の中心に行けばいい。佐倉さんの顔を知っている人を呼べば、王宮に帰れるよ」
それを先に言ってくれたら、こんな町外れに来なくてもよかったのに。って、こっち王宮とは反対方向よね。
「この先に教会があるんだ。祀られてるのはもちろん僕たちの世界のとは違う神さまなんだけど」
見えて来た建物は、教会というより神殿と言った方が近そうだ。
「この世界を生み出した、すべての母たる女神の教会だよ」
かつては真っ白な柱に支えられていたのだろう。大きな円柱の柱は崩れ、屋根も半分くらいない。寂れた町外れに相応しい感じもするけど、こういうのやっぱり寂しいな。見ていてしょんぼりしちゃう。
「我が神イナンナ、とこしえの大樹よ。すべての始まり……う~ん、後なんだったかな」
風に飛んで紛れてしまいそうな小さな声。自信なげに紡がれる力強い言葉は、寂寥とした空間に思ったより響いて、あたしの耳に届いた。もしかしてここに祀られている神さまだろうか。
「うん、よく歌ってる子がいたんだ。その子小さい頃から神さまに仕えててね」
懐かしそうに目を細める。その子のことを思い出してるのだろうか。
「彼女もそう言えば方向音痴でね。よく迷子になってみんなで探したよ。特にハルトは心配性だし」
え、あの第二王子にまた新たにそんな属性が? 後あたしは方向音痴じゃないからね。
文句を言うと、「ふぅん、そうなの?」って。信じてないねその顔は。
「佐倉さん誤解してると思う。ハルトはいいやつだよ。面倒見もいいし、僕らのパーティのリーダーに相応しいやつだったよ」
ふむ、勇者パーティってやつだね。こないだ第二王子から色々聞かされたっけ。
あたしの知らない過去のこと。もう終わったことなんだし、別にどうでもいいのだけど。
つい先日まで同じ教室にいたはずなのに。あたしの知らない君は、どこまで行ってしまったのだろう。
ほんとどうでもいいことだけど。仕方ないことなのだけど。ほんとに。
あたしは繋いだままの手に力を込めると、ぶんぶんっと振った。
「よし!」
ついでにその手を振り上げて、反対の手でガッツポーズなどもしてみたり。そんなあたしを眺めていた長瀬くん。こてりと首を横に倒した。
「どうかしたの? ずいぶん凛々しい顔してるけど。落武者みたい」
「ちょっと、気合いを入れてみたよ」
「そか」
あれ、するっと流したけど今なんか変な形容詞ついてなかった? 落武者? それってオンナノコに使う言葉だろうか。しかしてこの場合的確な表現とは思えないんだけど。長瀬くんの感性が解らないよ!
「佐倉さんのそういう元気で前向きなところいいよね」
にこにこ笑顔の勇者さま。ついでに髪も撫でられて。言いかけた文句が萎んでしまう。そいや学校でも人気あったよね、この人。誰かと付き合ってるとかいう噂は聞かなかったけど、よく女の子に呼び出されてるという話は聞いてた。いいけどさ。ここでもモテモテみたいだし。あれからアリシア姫以外の貴族の姫とかにも何人か絡まれ済みですよ、はい。
「で、これからどこにいくの?」
気を取り直そう。流れ的にはあの神殿っぽい教会だと思うんだけど。尋ねてみたところ、あちらと指されたのは教会――の隣にある、こじんまりとした建物。
「あそこはこの町の孤児院のひとつでね。たぶんアリシア姫の財布を持って行った子もいると思うんだ」
「よく判るね」
「こないだここに来た時、見かけた子だと思うんだよね」
先に立って歩き出す長瀬くん。どうやらよく知っている場所みたいだ。心当たりがあるなら、最初に言ってくれたら、――って、いう前に走り出しちゃったのあたしですよね、ごめんなさい。
「いいよ~。おかげで佐倉さんと二人っきりでデート出来るし」
えへへと、得意げな笑顔。慰めようと言ってくれてるのか、本気で言ってるのかよく分からないけど、そう言われてなんとなく気が楽になる。
「まぁ、ハルトたちは怒ってそうだけど、僕がついていったのは知ってるだろうし。あとで一緒にごめんねしよう」
ご迷惑おかけしますです、はい。うぅ、帰りたくない。
「帰りたくないね」
「え?」
一瞬そら耳かテレパシーかと思って尋ね返すと、長瀬くんはぎゅっと繋いだ手に力を込めてきた。痛いってほどじゃないけど、なんだか離すまいとしてるような。
「うん、このままずっと一緒ならいいのに。二人っきりでさ」
さっきと同じ、冗談なのかなって、思ったんだけど。瞳がちょっと真剣そうな気がして、なんとなくあたしも繋いだ手に力を入れてみた。
「そうだねぇ、一緒にこの世界を冒険するのも楽しそうだよね」
戻れないって、言われたんだ。一生お城にいるのも楽しくはあるのだろうけど、どうせならもっと色んなことを知りたいな。
例えば、今あたしの目の前にいる人のこととかさ。うむ、少なくとも勇者さまなのだから、戦闘シーンやサバイバルには強そうだ。あたしはというと、野外キャンプとかバーベキューしたことあるくらいだけど。
遊んでたMMOじゃ魔法職メインだったから、ファンタジーとか魔法は好きなのよね。ここでも魔法使ったりとか出来ないだろうか。隕石落としとか、なにが起きるかわからない、不思議の魔法とか。
夢は大きく、そのうち大魔法使いハルカとかいう称号もらっちゃったりして。いいね、それ。もっともあたし、ネットじゃ大魔法使い以前に殴り魔法使いとかいう不名誉なあだ名を貰ってたけど。違うのよ、単に敵を右クリックしたら、勝手にキャラが動いて殴りに行くだけなのっ。
「佐倉さ……うわっ!」
「ユキヤ!!」
長瀬くんがなにか言いかけた時、それに被さるように、甲高い子供の声がした。
見ると彼の腰の辺りに、女の子が抱きついている。
「ニーニャ?」
長瀬くんの言葉に、彼女はぱっと顔を上げた。
「いらっしゃい!! ニーニャに会いに来たの?」
くりくりした、猫のように丸いはしばみ色の瞳。サラサラの明るい栗色の髪。十歳くらいだろうか。将来が楽しみそうな可愛い子だ。
ニーニャというらしい彼女は、ぐりぐりと長瀬くんの太ももに頬ずりする。にゃんこみたいだ。思わず頭の中で耳と尻尾をつけたしてみる。うわっ、犯罪級に可愛い。
「そうだね、ニーニャがどうしてるかなとは思ったよ。院長先生はいるかな?」
「うん! ニーニャもかあさまもいるのよ!!」
ぴょんっと、飛び上がると、ニーニャはくるりと身を翻して、駆けて行った。長瀬くんと顔を見合わせる。
「ユキヤ! 早く早く!! こっちよ! かあさま、みんな!!」
建物の方から呼ぶニーニャの声に、あたしたちは歩く歩調を早めた。