第7話:神域への侵入と、崩れる足音
第81層から第87層——人間が集団と物量、莫大な資産と最高峰の装備を注ぎ込んでもなお、生存すら危ぶまれる「人知の限界領域」。
この階層に立ちふさがるのは、単なる魔物ではない。一国を滅ぼし得る災厄級のガーディアンたちが、地形そのものを変形させながら襲いかかってくる死の領域だ。
「……なるほど。これが『人間には不可能な領域』の理由か」
目の前にそびえ立つのは、第85層の守護者『深淵の巨神像』。
全高50メートルを超える漆黒の岩石生命体が、空間そのものを震わせる巨拳を振り下ろす。その威力は、かすめるだけで騎士団の陣形を一瞬で蒸発させるほどの物理破壊力を秘めていた。
だが、アレンの表情には焦りすら浮かんでいない。
『——敵攻撃速度:マッハ2.4。質量による空間歪曲を検知』
『——回避行動:不要。足元より3度左へ軸を移動。余波による衝撃波エネルギーの干渉を相互相殺』
**ズゴォォォン……!!**
地響きとともに地面が爆砕し、巨拳がアレンの鼻先数センチを通り過ぎる。
本来なら衝撃波だけで全身の骨が砕けるはずの距離。しかし、アレンは【真・鑑定】が割り出した「衝撃波が打ち消し合う一点」に静かに立っていた。
「そして……崩壊点は、ここだ」
アレンは胸ポケットから取り出した一本の細い鉄針を、巨神像の足首の関節隙間へと静かに突きたてた。
『——特定周波数による振動伝達。分子結合解体率:100%』
**パリィィィン……!!**
まるでガラス細工が砕け散るかのような不協和音が響く。
50メートルを超える巨神像の全身に一瞬で亀裂が走り、次の瞬間にはただの砕け散った小石の山へと姿を変えた。
「87層突破。……追いついたぞ」
追放されてから、わずか一日。
人間が『神域』と呼ぶ限界地点を、アレンは傷一つ負うことなく踏破した。
◇
第97層。勇者パーティの最前線陣地。
「な、なんだって……!?」
ルクスの手から、羊皮紙の報告書が力なくこぼれ落ちた。
いつも沈着冷静で、絶対の自信に満ち溢れていた彼の顔が、青ざめて引きつっている。
「第87層の通信結界が……突破されただと……!? 冗談だろう! あの階層は、王国中の物資と軍隊をかき集めても突破できるか怪しい場所だぞ!?」
「ル、ルクス様……落ち着いて……!」
聖女セリアも、声の震えを隠しきれずにいた。
勇者パーティの他の仲間たち——超能力のような魔法を操る魔導士や、一撃で城壁を穿つ大剣士たちも、息を呑んで顔を見合わせている。
「誰なのよ……!? 追放されたアレンなんかが生きてるわけないじゃない! あの『ただの辞書』がこんな真似できるはずないわ!!」
セリアがヒステリックに叫ぶ。
自分たちが人類の頂点に立ち、最高峰の賞賛を一身に浴びていた揺るぎない世界。それが、背後から迫る「正体不明の影」によって、音を立てて崩れ去ろうとしていた。
その時——。
**ガコン……!!**
第97層へと続く重厚な大門が、前触れもなくゆっくりと開き始めた。
「ひっ……!?」
セリアが悲鳴を上げてルクスの背後に隠れる。全員が武器を構え、冷や汗を流しながら開かれていく扉の先を注視した。
そこに立っていたのは、数千の軍隊でも、伝説の英傑でもなかった。
泥のついた服を着た、丸腰の青年。
かつて彼らが「役立たず」と蔑み、5層の闇へ叩き落としたはずの男——アレンだった。
「やあ、ルクス。セリア。……ずいぶんと遅い攻略だな」
静かに微笑むアレンの瞳には、冷ややかな演算の光が宿っていた。




