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第二十五話

「はははは……堅苦しい挨拶はなしだよ。私と君の仲ではないか」


 皇帝は四十代半ばくらいのやわらかな物腰の男性で、人懐こい笑みを浮かべつつも、威厳が溢れている。


 そのとき、新樹が小さく舌打ちしたのを百花は聞き逃さなかった。


「で? 大きくなったなっていうのは嫌味か!」


 新樹のあまりにもの態度の変わりように、百花はぎょっと目を見開く。


「いやいや、本当のことだよ。以前会ったときよりも、これくらい、大きくなっている」


 右手の親指と人差し指で「これくらい」を表現した皇帝だが、それは今にも指がくっつきそうな隙間しかない。


「ふん、俺たちを呼び出して、いったいなんの用だよ」


 皇帝に対してもいつもと変わらぬ態度の新樹だが、皇帝の言葉は無視して、テーブルを挟んだ向かい側のソファに座り、足を組んだ。


「百花も座れ」


 新樹が隣に座れと言いたげに、ソファを叩いたため「失礼します」と断りを入れてから腰を下ろす。


「おい、昂焔。出てきてもいいぞ」


 新樹の言葉を合図に、ごそごそと昂焔が鞄の中からぴょんと飛び出した。


《ふぅ。窮屈だったぜ》

「おや? 君の式神は、いつから衣替えをしたのかな?」

《衣替え言うな!》


 昂焔も皇帝相手だというのに、いつもと同じ様子だ。


「相変わらず、新樹の周りはにぎやかだね」


 穏やかな笑みを浮かべる皇帝の視線は、百花を捉えている。それがあまりにも冷たく鋭いもので、百花は小さく身体を震わせた。


「あぁ、申し訳ない。驚かせるつもりはなかった。新樹が選んだ相手がどのような人かと思ってね……藤澤百花さん。礼の契約書、確認させてもらったよ。天璃華の言葉だというのによく気がついたね。しかも解説がわかりやすい。あれを例にして、国内に周知させようと思ったんだ」


 皇帝の言葉には不思議な力があるのか、あれだけ緊張していた百花の気持ちも、すっと凪いでいく。


「ありがとうございます」


 すんなりと、礼が口から出てきた。


 いつの間にかテーブルの上にはお茶やらお菓子が並べられており、新樹はすすめられる前にお菓子に手を伸ばしている。


「新樹様」


 百花が小さく注意すると「こいつに気を遣う必要はない」と返ってくる。


 先ほどから新樹が皇帝に対して失礼な態度しかとっていないため、百花はヒヤニヤしていた。さらに今、皇帝を「こいつ」呼ばわりしている。


 いつもの新樹だと言えばそうなのだが、今日の相手はこの国のトップにいる人だ。

 それでも皇帝は気にしないのか、にこにこと笑顔を崩さない。


「航平、君の分も用意したんだ。いつも新樹のお守りで気も休まらないだろう? ここにいるときくらいは、お守りをしなくてもいいよ」

「皇帝陛下のお気遣いに感謝いたします」


 堅苦しい挨拶に聞こえたが、恐らく航平の態度が正しいと思われる。


 航平は、新樹を挟んで百花と反対側に座った。つまり、新樹は真ん中にいる。それでも彼は我関せず、自分のペースでお菓子を食べ、お茶を飲んで、またお菓子を食べる。


「新樹が私の前でこんなくつろいだ態度を取るのは珍しいね。それは君がいるからかな?」


 意味ありげに首を傾げた皇帝に対し、百花は「なんのことでしょう?」と首を傾けた。


「なるほど。だけど、彼女がそうなんだろう?」


 皇帝の言葉に、クッキーをぱくぱくと食べていた新樹の手がふと止まった。


「うん。私から見ても間違いなく彼女は()()だよ。新樹の回復が早いのも、彼女がいるからだ。昂焔もそう思うだろ?」

《おうよ!》


 元気よく返事した昂焔は、いつの間にか航平の膝の上でおとなしくしている。


「……だけど、困ったね。彼女は間違いなくただの人だ。霊力がまったく感じられない」

「だから、俺も前からそう言ってるだろ!」

「新樹の両親のことが思い出されるね」


 やわらかな声には、どこか物悲し気な響きが含まれていた。


 しかし百花は、新樹の両親についてはよくわからないのだ。父親が亡くなったから新樹が当主を継いだという話くらいしか知らない。彼の両親がどうして亡くなったのかなど、聞いたことがなく、新樹の闇に触れたような気がした。


「君もあと三年で成人を迎える。だけど、その前後で著しく成長するだろうね。彼女と出会ったから」


 新樹のこめかみがひくひくっと動いたが、かまわずお菓子を食べ続けている。


「新樹の父親と私は幼馴染でね」


 急に身の上話を始めた皇帝の言葉に、百花も耳を傾け始めた。


「彼が運命の女性と出会ったと言って、結婚したときは驚いたものだよ。このまま、結婚しないんじゃないかと思っていたときだったからね」


 新樹の父親が皇帝と同じくらいの年だと仮定すると、新樹は父親が三十歳過ぎてから生まれた子となる。ほとんどの人が二十代のうちに結婚する稜穂帝国においては、遅いほうだろう。まして、帝国六家となれば、世継ぎという観点からも、成人するとすぐに結婚を望まれるという話を聞いている。


 もちろん、新樹にもそんな話がちらほらと届いているようだった。今のうちに新樹と婚約し、彼が成人したらすぐに婚姻関係を結ぶために。


「藤澤百花さん、新樹をよろしく頼むよ。新樹の父親と約束したんだ。新樹のことは私が責任をもって面倒をみるとね。彼は、私をかばって亡くなったから……」


 いたたまれない気持ちになった百花は、膝の上に置いた手を、ぎゅっと握りしめた。胸が苦しい。


「君が暁陽家にやってきてからというもの、新樹も明るくなったようでね。幼いながらも当主として仕事をこなす気になったみたいなんだ。だから私は、君の存在に感謝している。これからも末永く新樹を頼むよ?」

「おい、余計なことを言うな」


 百花が返事をする前に、新樹が茶々を入れた。


「さて、重苦しい話はもう終わりだ。まずは、お菓子でも食べなさい。といっても新樹が半分以上食べてしまったようだけどね。おかわりを用意しようか?」

「陛下も新樹様を甘やかしすぎです。新樹様はお菓子を食べすぎです」

「航平はすっかり新樹の母親役が身についたようだ」


 和やかな雰囲気に、百花もほっと息をついて白磁のカップに手を伸ばす。紅茶の香りが鼻腔を刺激し、その芳ばしい香りに気持ちも和んできた。


 それから、他愛もない話をし、昂焔にいたっては新しい依り代がどれだけかっこいいかを皇帝に自慢し始めた。


「皇帝陛下、そろそろ……」


 侍従がやってきて、皇帝に耳打ちしたところで、この集まりはお開きとなった。


「すまないね。楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまう。新樹、残ったお菓子は持って帰りなさい」


 するとすぐに侍従がお菓子を包んでくれた。


「藤澤百花さん。三年後を楽しみにしているよ。あ、そうそう、新樹。天雪家には気をつけなさい」


 それだけ言い残した皇帝は、部屋から出ていった。


「よし、俺たちも帰ろう」


 残ったお菓子の包みを手にした新樹は、すくっと立ち上がった。


「新樹様、お菓子はお預かりします。あわよくば帰りの車の中で食べようだなんて思っていませんよね?」

「思ってない!」


 必死で反論するところが、怪しい。

 来た時と同じ通路を戻り、皇城を後にする。車に乗り込んだときは、百花の緊張もほどけ、座席に身体をだらしなく預けてしまった。


「百花、疲れたか?」

「も、申し訳ありません」


 新樹が近くにいたというのに、みっともない態度を取ってしまった。


「いや、気にするな。ここには俺たちしかいないからな。誰もおまえを咎めたりはしない」


 それでも少しだけ姿勢を正して、背もたれに寄りかかった。


「皇帝は俺の後見人になっている。まぁ、俺の父親代わりみたいなものだ」


 とはいえ、皇帝に対してあのような態度が許される関係なのだろうか。

 その疑問が、どうやら百花の表情に現れていたようで、新樹がすぐに心の内を読みとった。


「俺だって、最初はもっと堅苦しく接していたんだ。いくら子どもとはいえ、あいつがこの国で一番偉い人だっていう認識はあったからな。だけど、あいつが言ったんだよ。堅苦しいのは嫌いだって」


 だから砕けた態度を取っているのだろう。


「そうなのですね……まだまだ新樹様については、知らないことばかりです」

「つまり百花は、俺についてもっと知りたいと思っているのか?」


 突然の問いに恥ずかしくなった百花は、どう答えたらいかわからず、口をはくはくとさせた。


「まぁ、いい。気にするな」


 気にするなと言われても、百花は気になって仕方なかった。


 それに皇帝が言っていた三年後。三年後にいったい、百花に何があるというのか。


 新樹に確認してみようかと、チラリと視線を向けたが、やはり先ほどの羞恥が燻ぶっており、言葉を発することができなかった。


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