大嫌いなんです
(志朗様はぜっっったいに、なし――!)
――て、思ったけど。
あれ以来、志朗様を見かけない。
(なんだよ。口だけかよ――)
『ふふ』
思わず毒づいてたら、姫が笑う。
『期待しちゃってた?』
『してないっ』
『……志朗は本気よ』
『なんで?そもそも好かれるが理由なくない?』
何が良くって私なんだろ。
鉢かぶってる身元不明女――。
おかしくない?
『おかしくないわよ』
とにかく見かけないのは好都合だ。
なるべく近寄らないようにしないと。
この世界での生存がかかってるんだから――。
その日は特別暑くって、湯殿には清涼感のある野草を用意していた。
昼過ぎ、厩の方がざわざわしてると思ったら、炊事場に人が飛び込んできた。
「大変!志朗様が――」
いやな予感がして、他の使用人と一緒に私も駆け出す。
のぞくと馬から降ろされ、筵に寝かされている。
吐いたようだ。
汗びっしょりで、着物が肌に貼り付いてる。
顔色には血の気がなく、紙のように白い。
熱中症――?
バタバタと人が走り回ってる脇を抜けて、そっと志朗様に話しかけた。
「志朗様――。わかります?」
うっすら目が開いてこちらを見る。
弱々しく笑った。
(良かった。意識はある)
私は医者じゃないからわからないんだけど……。
「お水、ちゃんと飲んでましたか?頭は打ったりしてませんよね?あと、お腹が痛いとか――」
弱々しく首をふる。
近くにいた使用人に着物を緩めるように言い、炊事場に走った。
熱中症って、どうするんだっけ?
体を冷やして、経口補水液……は、えーと塩分と糖分を――。
大急ぎでそれらしいものを作って再び走る。
「志朗様!お水!飲めますか?」
匙ですくって差し出すと口を開いた。
吐かずにちゃんと飲み込めてる。
(良かった。大丈夫そう)
「これ!今みたいにお願いします!ちょっとずつで!」
お椀と匙を近くにいた使用人に渡して後を頼む。
もう一度炊事場に引き返す。
冷やさなきゃ!
えっと手ぬぐいと、井戸水と――。
志朗様が立って歩けるようになったころには日が傾きかけていた。
「起きてて大丈夫ですか?」
翌日どうしても気になって、奥様にお願いしてお見舞いさせてもらうことになった。
二人きりにならないようにと志朗様付きの女房がそばに控えている。
「うん。はちのおかげでずいぶん楽になったよ」
志朗様はまだ具合が悪そうで、声にいつものような張りがない。
「大ごとにならなくて良かったです」
いろんな人に頼んで手に入れた麦茶を差し出す。
志朗様は一口飲んでポツリと言った。
「かっこ悪いとこ見せちゃったね」
バタバタと介抱してるときに初めて見た彼の顔が頭を離れない。
横になってたから彼の顔がよく見えて――。
志朗様からは私の顔が見えたのかな?鉢の中は暗いからどうだろう。
でも切れ長の目がこちらを見て笑ってた。
(あんな弱ってる顔しか知らないなんて嫌だな……)
ぽつりと小さな声で彼が言う。
「はちを困らせないように、しばらく近付かないようにしようと思ってたんだけど――」
やっぱりわざと姿を見せないようにしてたんだ。
珍しく弱っている彼に何かを言わなきゃいけない気がして、おもむろに息を吸う。
「――私と志朗様はなんでもありませんが」
しゃんと背筋を伸ばして言う。
『ちょっとはち、何言ってるの』
『え、だって横で女房さんが聞いてるし』
『だからって……』
志朗様は黙って聞いてる。
どう思ってるのかな?
「元気な姿は見せていただけると安心します」
「……今の前置きなに?」
志朗様がびっくりしたような声で言う。
私はピシッと背筋を伸ばしたまま澄まして答えた。
「なんでもありません」
「……くっくっくっく」
志朗様が笑いだした。
なんで笑ってんだ?
「だって。春日、聞いてた?」
志朗様が突然、女房さんに話しかける。
「……はい」
春日と呼ばれた女房さんは、なんだかおかしな様子で返事した。
え、ひょっとして笑ってない?
「俺とはちは何でもないからね。母上にそう伝えて」
あれ?その言い方、なんか余計にあやしくない?
「志朗様――」
「違うの?」
「違いません!」
気付いたら女房の春日さんまでクスクス笑ってる。
なんかおかしなこと言った――?!
『ほんとばかねぇ……』
姫の呆れた声が聞こえる。
でも志朗様が笑っててよかった。
――なんて、私はのんき過ぎた。
ほんとばかだ。
俺とはちはなんでもないからね、って言いながら、志朗様がしょっちゅう遊びに来る。
はっきり言って前よりひどい。
(なにもないって言ったよね?なんで来るんだ?)
あ。これ、ひょっとして諦めた説ある?
気持ちがないからかえって気安いみたいな。
『ないわよ』
『だよね』
これは、マズい。
だって私がちょっとおかしい。
志朗様が来ると、あの時見た弱ってた彼の顔がちらついちゃうんだよね。
私弱ってる人を見たい願望があるのかな――?
『ないわよ』
『だよねぇ!?』
モヤモヤを抱えたままなのに、邸の居心地はどんどん良くなる。
志朗様の応急処置をして以来、みんながフレンドリーになった。
「はち、腕が痒くって……」
「はち~、なんかお腹の調子が……」
「はち!探してた野草ってこれ?」
ちょっとしたことを気軽に相談しに来てくれるようになったし、野草集めにも協力してくれる。
「はち、もうすぐだよ」
野草摘みに向かいながら志朗様が明るく言った。
いつものように手がつながれていて落ち着かない。
「なにがですか?」
さりげなく離そうとすると余計に引っ張って笑ってる。
「はちの家がわかるかもしれない」
「え――」
『……』
そんなこと、姫は望んでないんじゃないかな。
それに――。
「こないだ俺を助けてくれた件で、母上もだいぶ変わったよ」
「……」
「はちはこの邸に必要な人だって、みんな思ってる」
あれ以来、志朗様のお兄様方まで湯殿で声をかけてくれるようになった。
(志朗様、それでしょっちゅう私のところに来るようになったのか――)
「だから――」
志朗様の声の調子が変わって、思わず身構える。
手をぎゅっと握られた。
「はち」
「志朗様!あの――」
何か話題を変えようとするけど間に合わない。
「ずっと一緒にいてくれないかな」
手をふりほどこうとするのにますます握りしめてくる。
弱々しく笑ってた顔がちらつく。今どんな顔してるんだろう。
――ダメだ流されちゃ。
「鉢の問題が片付いてません」
「うん、そうだね」
手が汗ばんでるのに冷たくなってきた。
「でも問題はやっぱり3つだけなんでしょ?」
「……」
母上と身元と鉢の3つ。そう言った。
でも本当にそうなのかな。
「私はこの世界のことを何も知りません」
「うん――?」
「たとえ鉢が取れたって、志朗様のお相手が私で足りるとは到底思えないんです」
「俺が足りるって言ってる」
低い声で言う。今までの志朗様じゃないみたいだ。
「でも――」
「はち、後出しは卑怯だよ」
言葉が私を追い詰める。
「はちの気持ちは――」
「だいっきらいですっ――!!!」
一瞬彼の手が緩んだ隙を逃さず、私は駆けだした。
「はち!」
追いかけてくるけど構わず逃げる。
邸に戻って、炊事場に飛び込んだ。
ここなら人がたくさんいるから、おかしなことにならないはずだ。
戻ってきた志朗様に、邸の者が声をかけているのが聞こえる。
何か大事な用事があるようだ。
ようやく息が整ってきた。
『ちゃんと話さなくてよかったの?』
『うん、いいの』
だって話し合うって何を?
頭の鉢も、姫の中にいる私も、どうにもならない――。
邸がざわざわしている。
使用人たちの噂話が私にも届く。
潮時だ。
『姫、私ね――』
「はち、奥様がお呼びよ」
ほら――。




