問題は気持ちじゃありません
「あなたがはち?」
縮こまって頭を垂れていると声をかけられた。
「……はい」
やばいやばいやばいやばい……。
『こここ、この状況!どうしたらいいかなあ!?』
『どうにかなるわよ』
『姫~~~!』
心の中で縋りついてるのに!冷たくない?!
「噂は聞いています。孫のあせもと夜泣きを治したとか」
「あ、はい……」
「湯殿の仕事も、ずいぶん評判だそうね」
「いえ、そんな……」
前置きの褒めが余計に怖いんだけど……!
「あの子は、昔から優しくてね」
「はい……」
うんうん、そうだよね。わかってます。わかってます~~~。
「困っている人を見ると、放っておけない子で……」
来たきたきたきた……。
「率直に言います」
「はい!」
「……っ」
「……?」
……どうしたんだろう?
『姫、何が起こってるの……?』
『なんか。つらそうね?』
「奥様、汗が……」
側に控えていた乳母が手ぬぐいを差し出す。
『汗が?』
『ええ、すっごく出てるみたいね』
それはひょっとして――。
「ちょっと待って――」
「あの奥様、差し出がましいようですが」
少し身を乗り出して、慎重に聞いてみる。
「突然汗が吹き出すの、よくあるんじゃありませんか……?」
「――ええ」
「眩暈や息切れは……?」
「ええ……」
いわゆる更年期というやつだろう。
「おつらいでしょう。おそらく血の道の乱れだと思います」
「突然あなたは何を――」
乳母が口を挟もうとしたのを、奥様が手で制した。
「志朗様のことはわきまえておりますのでご心配なさらないでください」
「……」
「あれこれ気に病まれるのもお体に差し支えますので」
「本当に、大丈夫なの――?」
汗を拭いた手ぬぐいを揉みながら心配そうに聞く。
「もちろんです。それより――」
こんな時こそ薬草だ――!
現代日本でもサロンがあるほどの効能を持つあれを……。
「はち……!」
「はい……?」
いつものように湯殿の掃除を終え、薬草ポプリを作ってたら予想外の声に呼ばれた。
「久しぶりによく眠れたわ。汗も出ないの」
私の手を取り嬉しそうに言う。
「あなたのおかげよ」
「いえ、奥様のお身体が素直なんですよ」
握った手も温かい。冷えも出てないみたい。
初めてのヨモギ蒸しだったから、様子見で短時間の軽めにしたんだけど。
「――?あなたどこかで……」
「はい……?」
「いえ、なんでもないわ」
それにしても奥様がこんなところまでお礼を言いに来るだなんて。よっぽど苦しんでたに違いない。
薬草、マジ尊い……。
「奥様、ひとつご相談がありまして――」
『じゃあ今日も野草摘みに行こうか!』
『いいの――?』
『なんで?完璧じゃない?』
奥様にお願いして、志朗様の代わりに野草摘みに付き合ってくれる人を付けてもらえることになった。
奥様はほっとしてたし、これであらぬ噂や誤解が立つのが防げちゃうもんね。
我ながらいいアイデアだと思うんだけど!
「なんで俺がお前の世話を……」
現れたのは湯殿の上司、毛むくじゃらおじさんだった。
実は名前がいまだにわからない。
「奥様の頼みらしいから仕方ねぇけどよぉ」
邸を出て歩き始めてからずっと、おじさんはブツブツ言っている。
「手伝わねぇからな。俺は腰が痛ぇんだ」
「腰痛?それなら……」
「はち!」
腰痛に効くお湯を提案しようとしたら後ろから呼ばれた。
(げっ)
この声は――。
「坊ちゃん――」
「俺が行くからいいよ」
志朗様はおじさんに近付き、耳打ちしながら何かを手渡した。
「いいんですかい?」
「――約束だよ」
握らされたものを見てちょっと嬉しそうなおじさんに、志朗様は冷静な声で返す。
「はち、行こうか」
「え――」
なんでーーーー!?
『やるじゃない』
姫の満足そうな声が聞こえた。
やるじゃないじゃないのよ!
こんなんバレたら、奥様にどう言い訳するの!
「――母上にバレたらって思ってる?」
「え……なんでそれを」
(志朗様って姫的なテレパシー能力が?)
笑いながら突然、彼が私の手を取った。
「――!」
びっくりした瞬間、足場が悪くなって滑りそうになる。
「気を付けて――」
「……ありがとうございます」
「わかりやすいからね、はちは」
「そうですか?」
「そうだよ」
なんか悔しいな。私は志朗様のことぜんぜんわかんないのに――。
「今も悔しいって思ってる」
「ぅ……」
「俺のことはぜんぜんわかんないでしょ?」
「……」
え、こわ。
ほんとに心読まれてる?
『ばかねぇ。んなわけないでしょ』
『じゃあなんで?!』
「俺ははちのことが好きだからね」
「……は?」
「見てたらわかる」
「……」
こ、これはどういう展開なんだろう。
なんで?そんなことになるきっかけあった?
いや。落ち着け、はち。
今の問題はそこじゃない。
流されるな。
「私、奥様に”心配ありません”って約束したからダメですよ」
「そうみたいだね」
なんで知ってるんだ?
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないですよ!」
「どうして?」
「だって。こんな身元もわからない鉢かぶりなんですよ?」
あんな大きなお邸の息子が、こんな得体の知れない女となんてあり得ない。
どう考えたって、奥様や乳母さんの考え方が普通だ。
「身元がわかればいいんでしょ?」
「え――?」
「あ、鉢もか――」
志朗様は顎に手をあて、何かを考えている風だ。
かろうじて見える口元が笑ってる。
「でもそこは……」
何かを小さくつぶやいた。
やっぱり何を考えてるのかぜんぜんわからない。
私がじっと見ているのに気付いて彼がふり返った。
「問題は母上と身元とその鉢?」
「え?――はい」
「はちの気持ちは問題ないんだね」
「……」
(”気持ち”?)
そ、れは――。
えーと?
『姫ーーー!どういうこと?』
『ふふ。意外と意地悪ね』
「じゃ、大丈夫だ!」
志朗様は明るく言った。
さっきから握った手を離さないままで。
「……手、離してください」
「いや?」
「……」
「危ないからね」
『ふふふ』
なんだか疲れた――。
採ってきた野草を葉と茎に分けながら少し考えてみる。
”問題は母上と身元と鉢――”
まるでどうにかなるような口ぶりだった。
『鉢ってどうやったら取れるの?』
『わからないわ』
だよね。
そんなのわかってたら何年も鉢かぶってないよ。
身元――。
『姫って――』
『……』
姫の家の話には正直触れたくない。
志朗様はそれをどうやって知るんだろう。
しかも姫の身元がわかったところで、鉢が取れるわけじゃない。
(姫が知らないことを、志朗様がどうにかできるなんてちょっと考えにくくない?)
鉢問題が解決できないとなると私、馬の刑どころか、この邸を追い出されるのでは……。
さっきのだって、見ようによっては私が奥様を騙したように見えるよね?
やっと馴染んできたと思ったのに。
なぜか突然、冷たい川の記憶がよみがえって悪寒が走る。
(志朗様はぜっっったいに、なし――!)




