2-29. 贖灯
※9月16日(2-30話)より、作品名の変更を予定しております。
英字をカタカナへ、サブタイトルの言葉を追加いたします。
引き続き、どうぞよろしくお願いします。
世間を賑わせた数日後、学院から正式な声明文が発表された。
それは当然のように新聞の一面を飾り、多くの人が紙面を食い入るように読んだ。
そして……。
席巻していた熱は、潮が引くように静りはじめた。
《フロライト学院
試験運営規則改定および過去事案に関する声明
学院長 ドゥゴール・レッチフィル》
本学院は、本年度発生した不正行為事案に関し、以下の通り声明を発表いたします。
一、過去事案の取り扱いについて
本学院は、十数年前に発生した試験妨害事案について、当時の調査体制および規則運用の不備により、事案が適切に処理されなかったことを深く反省し、現在の辺境伯夫人フランシカ殿に対し学院として正式に謝罪いたします。
二、試験運営規則の改定について
本学院は、今回の事案を受け、試験運営に関する規則を以下の通り改定いたします。
1.試験会場・試験内容に変更が生じた場合、複数名の教員が責任をもって伝達することを義務化する。
2.伝達手段は複数とし、口頭・書面・掲示・学院内通信網など複数併用し、生徒が確実に確認できる方法を取る。
3.通常試験および飛び級資格試験を含む全試験において、曖昧な運用を禁止し、統一された規則に基づき実施する。
4.妨害行為が確認された場合、関与者に対し厳罰をもって対処する。
三、今後の対応について
本学院は、上記の再発防止および規則改正をもって、建学当時より記録に残っている妨害事案等については追及を行わないことを、正式に決定いたしました。
当該事案は、当時の調査体制及び規則運用の不備に起因するものであり、学院としての責任を認め、既に関係者への謝罪を行っております。
今後は、同様の事案が二度と発生しないよう、試験運営体制の強化と規則の厳格な適用を継続し、生徒の学習機会と未来を守るための環境設備に努めてまいります。
以上
新聞を読み終えた者達は、紙面を閉じることができず、ただ見つめ続けた。
「追及しない、か。」
「でも学院は隠蔽したことを、やっと謝罪されたのね。」
十数年前、フランシカを陰ながら見守っていたファンクラブの面々は、当然のように声を上げた。
しかし当時の先生達に握りつぶされてしまった怒りは、年月を経てもなお胸の奥で燻っていた。
その燻りが、ついに終着した。
「規則も変わるらしいわ。」
学院が過去を認めて謝罪し、規則を改めると宣言したことで人々はようやく息をついた。
だが、一定の人々の胸には、消えない影が残っていた。
当事者の一人は、夜更けの書斎で机に手を置き、震えを抑えられずにいた。
窓の外では虫の声がかすかに響き、静けさがかえって胸を締め付ける。
机の上には、学院への寄付申請書。白い紙が、まるで自分の罪を照らす灯りのように見えた。
「こんな紙切れで、償えるとは思わないが…」
声は掠れ、誰に向けた言葉でもなかった。
目を閉じると、記憶の奥底にしまい込んでいた十数年前の光景が鮮明に蘇る。
夏休みに入り、補習や課題が間に合わなかった者が集った教室。
窓から差し込む強い日差し。
奇しくも、今日、この下の教室では、飛び級資格試験を得た生徒の受験している。
「ずいぶんと、違うものだな。」
ちょうどチャイムが鳴り、追試の課題が配られる。
虫の声が、先日、父に成績の悪さを怒鳴られた声と重なり、耳にうるさく響いていた。
ぼんやり見つめた窓外には、必死で息を切らしながらこちらへ向かてくるフランシカの姿があった。
「え、あれ。気づいちゃったみたいだな。」
「でも、もうチャイム鳴っちゃったよね。残念ね。」
教室の後方で、クスクス笑うクラスメイト達。
自分も、ほんの少しでだけ胸がすく思いをしていた。
帰りがけに、必死で試験会場が変わったのではと訴えている彼女を見た。
だが、関わりたくなくてみ見ないふりをした。
あの時、クラスメイトの悪行を話していれば、何か変わったのかもしれない。
その情けなさが、今になって吐き気を呼ぶ。
学園への寄付は償いにならない。
それでも何かしなければ、よみがえった記憶に自分がおかしくなりそうだった。
ある者は、寄付の封筒を手にしながら寝息を立てている娘の寝顔を見つめていた。
薄いカーテン越しの月明かりが、娘の顔を柔らかく照らしている。
今日、自分が大切にしてきた品を売ってきた。
…学院は追及しなかった。名前を晒さずにいてくれた。そのおかげで、今の生活は壊れずにすんだ。
娘の寝顔は無垢で、守るべき未来そのものだった。
誰かの未来を奪う側にいた自分が、今は子供の未来を守ろうだなんてね。
ふわりと体が揺れる。
寄付は償いにならないかもしれない。
これが意味のある事か分からないけれど。贖罪であり、同時に正しく生きるという静かな誓いでもあった。
娘が目を覚ます前にと封筒にそっと置き、必要事項を記入していく。
その音がやけに大きく響いた。
「またくだらないことで騒いで。十年以上も前だろう?どうでもいいじゃないか。」
いつものように軽い口調で話す父を、エリオットは見つめる。
「どうでもいいって。試験を受けられなかった人がいるんだよ。」
エリオット自身、先日の飛び級の資格試験を受験していた。
もし、自分が不本意に受験できなかったらと思うと、背筋が凍る。
「確認しないほうが悪い。それが分かっているから、あいつは文句も言わなかったんだ。」
あいつ…なんだ。
父は、あの事件に関わっているのだろうか。
エリオットの胸に冷たいものが落ちる。
まるで、誰かの未来が奪われた出来事を、昼休みに起きた小さな騒ぎのように扱っているようだった。
ざわりと心が重くなり、尊敬していた人が遠くなる。
学院からの声明文に含まれる意味を、多くの者が正確に受け取った。
学生時代、誰しも多少の過ちを犯したことがある。
便宜を図られた者、見逃されてきた者、曖昧な規則の隙間で救われた者。
そうした“記憶のほころび”は、思いのほか多くの人々の胸に潜んでいた。
建学当時から記録されている妨害事案。
大小さまざまな不正の影は、学院の長い歴史の中に折り重なるように存在している。
今さら掘り起こされたら困る者は、決して少なくなかった。
声明文の「追及しない」という一文は、
その者たちにとって安堵であり、同時に胸の奥を冷たく撫でる刃でもあった。
学院が規則改定と謝罪を示し過去の事案を封じることにより、これ以上は騒ぎ立てるなという意図を、丁寧に、しかし確実に滲ませていた。
シャルロットは、ソファーに深く腰をかけ左指を顎に添えた。
考え事をするときのいつもの癖だった。
机の上には、ここしばらくの新聞紙が積み重なっている。
紙面の端が少し寄れているのは、何度も読み返した証だった。
お母様が受けた理不尽を、ようやく世間が知ったのだと、胸の奥で安堵とも悲しみともつかない感情が揺れていた。
今の生活を大切にしている者達の、家族や人生を奪うつもりは本当になかった。
ただ、どこかで知らしめたいと、ずっと望んでいた。
けれど、ここまで大きな波になるとは、さすがに予想外だった。
ほんの少しでいい。
受けた痛みの欠片でも感じてほしい。
ひどいことをしたのだと、自覚してほしい。
若気の至りなんて言葉で済ませてほしくない。
誰かの未来を奪うことが、どれほど重い罪なのか。
それを、当時の加害者達が理解してくれたならそれでいいのだろう。
怒りではない。
復讐でもないんだ。
ただ、お母様が受けた痛みが、痛みとして存在したのだと、誰かに認めてほしかっただけ。
完全なる、自己満足だな。
窓の外では、夜風が木々を揺らしている。
その音が、どこかなぐさめのように聞こえた。
新聞の束にそっと手を伸ばすと、紙の冷たさが指先に触れる。
シャルロットは目を閉じた。
その表情は静かで、深く、どこか祈りにも似ていた。
その静けさは、シャルロットだけではなく、当時のフランシカを知るすべての人の胸にもゆっくりと沈んでいった。
まるで、長い年月を経てようやく届いた痛みの声が、確かに世界のどこかに刻まれたかのように。




