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わがまま王女の迷宮譚  作者: marvin
王都大乱
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王の印

 ラエルは王笏の間近に立って、その複雑な機構を脳裏に見入った。今の知覚は触覚の延長だが、その絵姿は記憶にあった。カーディフ・アル・ラスワードの記憶だ。付随する情動は、誇り、屈辱、後悔、安堵。それら相互に矛盾した心の動きは、記憶と一緒に反芻できる。

 だが、何れのものか出自の明確な記憶とは異なり、人格には線を引けずにいる。当時の感覚か、後の感情か、それらも矛盾を抱えており、本性を問うてもカーディフとラエルの区別はつかない。恐らくもう、どちらでもないのだろう。

 クラン・クラインの名は、どちらの記憶にもある。クランとカーディフが知己であっても不思議はないが、時系列は混乱していた。出会ったクランがどれも同じだ。紐づいた感情がそうさせるのかも知れない。

 恐怖と不安、嫉妬と焦燥、それらが思索を鈍らせている。彼と笑う時でさえ、破滅の予感に苛まれていた。ここに来たのがラルクなら、懊悩の隙なく殺されていた。いっそ、それを望んでもいたのに。

 探求心、あるいは古魔術への妄執を触媒に、カーディフとラエルは融け合っていた。不完全な王権の発露も、その、どちらともつかない人格の副作用なのだろう。

 だが、王印は書き直すことができる。

 ラエルの触覚が王笏に触れた。魔晶石の黒い柄、術符を刻印した真鍮の帯、杖頭の飾りは精巧な銀の歯車でできている。それは、機械化された古魔術の永久装置だ。目の前の台座に据えられた王笏は、王印を付与し、剥奪する。

 かつてカーディフはそれに触れ、与えられ、奪われ、そして奪い返した。それをもう一度やればよい。事後の処理に必要なのは、この場にいる者の記憶改竄だけだ。それで再び道が開ける。

 ふと、背後に空隙を感じた。知覚を伸ばすまでもなく、防衛術式の解体とわかった。旧王城の粒子は、物質のような高密度だ。結合を解かれた黒い獣は、砂山のように崩れ落ちたに違いない。

 黒い霧が霧散するまでの間、半ば物質化した粒子は濁流のように周囲を埋め尽くすだろう。残した杖には座標を定める術式がなく、例えそれが使えたところで、獣の残滓に呑まれる距離だった。

 王女にも、皆にとって理不尽なことだ。だが、ラエルもカーディフも不本意に流されている。モルダス老が気づかなければ。クランを招聘しさえしなければ。解明の不完全な防衛式を使ってまで、事態を変える必要などなかったのに。

「それに、触るな」

 背中で声がした。今のラエルに方向の意味は薄いが、礼節のために振り向いた。

 引き摺る足音、床を打つ斧槍の柄先、すすり上げるような荒い息遣い。なるほど、従騎士が身を挺したに違いない。王女殿下はまだ辛うじて立っている。ラエルを目指して近づいて来る。


 ラエルでありカーディフである男を睨みつけ、キャスロードは銀の斧槍を腰に構えた。

 黒い獣が溶け崩れ、決壊した濁流が視界を埋めるや、御免、の声と一緒にキャスロードはマリエルに抱え上げられた。倒れたマリエルから放り出された後、意識があるのはキャスロード独りだった。ひっくり返ったマリエルも、杖を抱えたコルベットも、黒い霧に昏倒したまま動かない。

 キャスロードも無事とはいえなかった。腕も、脚も、重くて鈍い。まるで泥で出来ているようだ。だが、そうでなければ悲鳴を上げていた。黒い霧に全身の痛みが紛れたのは皮肉だ。

 キャスロードはまだ動けた。斧槍を構えることができた。ならば蹲る訳にはいかなかった。広間の先の王笏に、ラエルの姿を見つけると、キャスロードは斧槍を拾って床を打った。両足に括った重石を引くように、ゆっくりと歩いて行く。

「殿下を傷つけるのは本意ではありません」

 対峙したラエルの表情は変わらなかった。再び向ける切先にさえ、気に留める様子はなかった。幾つ障害を擦り抜けたところで、至る結果は同じだと、ラエルは確信しているようだ。

「勿論、もはやカーディフの意図を叶える気もありません」

「叔父上の意図だと?」

 キャスロードが思わず問い返した。

「投獄されたカーディフが、この城の地下に逃れたことはご存知ですか?」

 頷いた。対話に引き込まれるのは不本意だったが、叔父の真意は知りたかった。

「聞いたとも、その折、叔父上は古魔術の装置で貴様に乗り移ったのであろう」

 細かな差異を指摘すべきか迷い、ラエルは一拍の間を置いて話を続けた。

「では、そこに殿下がおられたことは?」

 大空洞の暗闇と、青い光が脳裏を過ぎる。具体的な記憶は何ひとつない。ただ、深淵に抱く恐れとは別に、つきまとう不安は確かにあった。同時に、訳もなくクランに縋りたい衝動も。

「あのとき、カーディフは殿下を攫って逃げたのです、私たちはそれを追い、大空洞に至った」

 それが事実であったとしても、キャスロードには疑問が残った。

 再び王印を得るためならば、初めからここに来ればよいはずだ。子供を連れて大空洞を下るなど、面倒に違いない。その問いに至るのを待っていたかのように、ラエルは言った。

「カーディフは、殿下に意識と記憶を移し、探求を続けようとしたのです」

「我にだと?」

 言葉の意味を理解するや、キャスロードの背中に怖気が走った。

「カーディフの選んだ最も安全な逃亡先は、王印と王家の庇護がある、殿下の中でした」

 ラエルの言葉に、キャスロードは真白な頬を強張らせた。

「変態か貴様」

 不意に足を踏まれたように、ラエルの眉間に縦皺が寄った。

「そう企てたのはカーディフです、私に移ったのは成り行きに過ぎません」

「ならば今は貴様がカーディフであろうが」

 キャスロードが半眼で睨む。

「それは、そうですが」

 ラエルは困惑の吐息を洩らした。どうやら殿下の物言いは、クランの悪影響のようだ。

「例え事が成り行きであれ、叔父上となって為したことを赦すと思うな」

 キャスロードは息を吐き、重い腕に力を込めた。切先が揺らぎ、微かに震えた。

「確かに」

 ラエルは頷き、キャスロードに問う。

「ですが、そろそろ限界では?」

 ラエルの会話は時間稼ぎだ。体力を削る姑息な罠だ。キャスロードは頭に血を昇らせて、ラエルに斧槍を突き込んだ。だが、切っ先は容易く弾かれ、逸れた身体はたたらを踏んだ。

 ラエルは平然と佇んでいる。

 慌てて斧槍を構え直した先に、真っ黒な影があった。獣と同じ目鼻のない濃い霧だが、人の姿をしていた。それはラエルを庇うように立ち、キャスロードを静かに睥睨している。

 輪郭こそ微かに揺らいでいるが、影には獣のような濃淡がなかった。何より特徴的なのは、両腕の肘から先が白いことだ。それは黒い霧よりも濃く、硬く、まるで固形化して見える。

「まだ、そんなものを隠しておったのか」

 キャスロードが呻くように呟くと、影の後ろでラエルは肩を竦めた。

「カーディフの術式の再現ですが、骨を折りました、一時は老師に奪われましたが」

 ラエルは言葉を切って懐から何かを取り出し、キャスロードに見えるよう頭上に翳した。それは、皆と魔術師塔で見つけたものだ。アディが師に解析を頼むと持ち帰った魔晶石だった。

「取り返していただいて助かりました」

 キャスロードの斬り上げた刃が躱された。影はどうやら獣のような、反射的な動きをしない。疲労に振れた切っ先など、擦りもしなかった。しかも、ともすればラルクより迅い。

「先にも言った通り、殿下を傷つけるのは本意ではないのです」

 影は斧槍の柄を掴み、キャスロードを床に引き倒した。技量差は圧倒的だ。ただ攻めることをしないだけで、最初から生殺与奪を握られている。キャスロードは呻きを堪えて立ち上がった。

「ほんの少しお休みいただければ、記憶を消して差し上げます」

 気のせいか、ラエルの声が遠くに聞こえた。

 斧槍を短く持ち替えて、影の懐に近く斬り掛かる。躱され、弾かれ、跳ね飛ばされた。考えろ。相手は目の前の影ではない。朦朧とした頭を振って、キャスロードは立ち位置を見極めた。

 影と真正面に対峙するも、幾度も転び、立ち上がるキャスロードは、今はラエルを背にしている。微かに呼吸を整えて、影に突き入れ、弾かれるその勢いで柄尻を背中のラエルに突き出した。

 寸前、影の白い指先が、斧槍の刃を掴んで止めた。柄尻がラエルに届かない。キャスロードがどれだけ力を籠めようと、斧槍はぴくりとも動かなかった。ふと、気配を感じて振り返る。

 目に入ったのは銀と真鍮の機械細工だった。

「キャスロード・ラスワード」

 王笏の頂部を取り巻く飾りが、ラエルの声に呼応して、がちゃん、と回った。固定された鎖が垂れて、しゃりん、と鈴の音を響かせる。この光景はあの日見た、姉姫エルダリアの姿だ。

 影が指先を放した途端、斧槍が床に吸い付くように落ちた。握り締めたが耐えきれず、キャスロードは引かれて敷石に投げ出された。斧槍が重量を増していた。王印の恩恵を失ったのだ。

「おやめなさい、殿下」

 大笏を掲げ、ラエルは言った。

 手を伸ばし、キャスロードは斧槍の柄を掴んだ。貼りついたように動かない。これが本来の重さだろうか。腕を引くと身体の方が滑った。もがくように床を掻いて近づき、両手で斧槍を掴む。

「今の貴方には王権もない、ただの子供だ」

「否、」

 そんなものは関係がない。

 腿が折れ、膝が外れてしまいそうなほど力を込めて、ようやく斧槍の柄が浮いた。弓のように全身を反ってキャスロードは刃を持ち上げた。腕の筋がひとつずつ引き千切れて行くように痛い。絶えず痛い。

 逃げるな、負けるな、考えてから動け、俺に格好いいところを見せろ。

「我は、キャスロード・ラスワードである」

 ラエルを睨む目が霞んでよく見えないのは、悔し涙のせいだろう。それでも、ここで逃げ出すのは嫌だ。絶対、このまま負けるのは嫌だ。

 最後の最後まで頑張ったら、俺を呼べ。クランはそう言った。きっと、どこかでそう言った。ならば、その名を呼ぶに値する自分になるのだ。

 そうしたら、クランはきっと。

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