暗闇
階下の様子探り見て、ラルクは二人に合図した。ラエルは疲労困憊し、半ばエレインに寄り掛かるように駆けて来る。施術の呼吸に我を失い、暫しは梯子も降りられない有り様だった。
ラルクの刀身に施したラエル術は、何とか黒い獣を霧散させることができたが、本来は階位に不相応な難度の術式だ。巧く行ったのが不思議なほどでもある。それでも、ラエルは悔しくてならなかった。
同じ施術は当面、無理だ。今の自分はお荷物に過ぎない。
ラエルはエレインを盗み見た。殿下を案じて焦っているのに、置いて行けと言っても聞こうとしない。自分もそうだ。非合理的だとわかっているのに、この手を振り切る意地もない。
ラルクは回廊の先に避難坑に似た窪みを見つけた。位置的に見ても、灯りが回廊の奥に消えたのはここに違いない。クランが追ったのもこの先だ。だが、あの黒い獣は、あとどれくらい仕掛けられているだろう。
「その辺に転がってなければ、取りあえずクランは大丈夫だろう」
ラルクは二人にそう言った。
エレインは頬を強張らせた。安堵を隠そうとした反動だろうか。燈を掲げて痺れた腕も、緩まぬ歩調に縺れそうな足も、エレインは意識から切り離そうとしている。疲れを二人に気取られたくはなかった。
皆を嗾けたのは自分だからだ。
殿下を護ることが第一義だった。可能性の危険も、それが事実であったなら尚更、同じことだ。剣技と魔術と無駄知識を駆使し、使い捨てても、目的は遂行せねばならない。
だが、クランの行動は無謀だった。無駄に手駒を失う可能性もあった。ラエルもそうだ。置いてはいけない。殿下をお救いする為に必要だ。これは情動ではない。合理的な判断だ。
そう、自分に理屈を刻もうとしていた。
「エレイン、燈を落とせ」
ラルクは背中を一瞥した。
「ラエル、この術はあとどれくらい保つ」
「使わなくて一時、使えば使うほど短くなるから、一概には言えないけれど」
ラルクは小さな吐息を洩らした。
「そうか、面倒くさいのが出なければいいが」
さて、宮廷の騒動は他に何が出たのだったか。ラルクの厨房には洩れ聞こえなかった。モルダスに引き摺り回されたとぼやくクランの愚痴を、もう少し詳しく訊いておけばよかった。
互いに会話の段取りが苦手で、言いたいことしか言ってこなかった。互いの話が通じていたのかも、よくわからない。しかも、ラエルはその正反対で、聞くだけ聞いて、話すのが苦手だった。
思えば三人の、時には四人の厨房の会話は、どうやって成り立っていたのだろう。
今もそうだ。ラルクの背には、悶々としたものが伝わって来る。頭でっかちで根が似た二人だ。間の抜けた緩衝材でも、少しは役に立っていた。今はそれが必要なのだ。だが、ラルクにはそうした資質が欠けている。
ラルクの言葉は感覚的で理屈がない。正直な物言いが反感を招くことも多い。実際、ラルクの意思疎通は、剣と料理に頼っている。言葉が通じるのは、正直、クランくらいのものだった。
枝道の縁に身を伏せて、ラルクは暗闇の気配を窺った。
囚われの王女は勿論、あの物ぐさな皮肉屋も取り戻さねばならない。皆の抱えたものが、何か大ごとにならない内に。
ラルクは二人に視線を投げると、通路の闇に滑り込んだ。




