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わがまま王女の迷宮譚  作者: marvin
忌語りの茶会
27/48

迷子の事情

 がちゃん、しゃりん。

 姉さまの額に翳された王笏が、時計のような音を立てる。

「エルダリア・ニア・ラスワード」

 名を呼ばれる。

 たったそれだけで、父上は姉さまの王印を奪った。

 呆気ないほど簡単に、血族の印は消えてしまう。それは絆も同じだろうか。もう、姉さま独りでは、この儀式場さえ出られない。

 家族だけの王の間で、エルダリア姉さまは王印を返還した。あの日のことは覚えている。侍従もいない、騎士たちもいない、父上と母上と姉さまだけの、あれは家族の儀式だった。

「えん、えん、えん」

 言葉のような控えめな咳払いが、キャスロードを講義室に引き戻した。

「ええ、市環建造を主とする国家事業で培われた、土木魔術の数々が財源となり、」

 社会学士のモルテン教授は、再び眠気を誘う呪文を唱え始めた。

 怠惰な姿勢もお構いなしに、キャスロードは机に突っ伏した。背中を突つくコルベットもおらず、傍で寝息を立てるマリエルもいない。いつもに増して、意識を留める気力が湧かない。

 幽霊騒動以来の軟禁だが、二人がいないと退屈もひとしおだ。扉に差し込まれたアディ救出の伝言に燥いだのも束の間、二人は待ち伏せされたエレインの手下に捕まってしまった。

 モルテン教授の淡々とした講義は、右から左に流れて行った。何も頭に入って来ない。

 キャスロードは、ただ、ぼんやりと、関係のないことばかり思い返している。輿入れしたエルドリアの思い出が多いのは、王権通廊でクランが王印の一端を説いたせいか。それとも呟いた叔父上の名のせいか。

 姉さまの輿入れは、それはそれは美しかった。重ねたヴェールが水面のように煌めき、真っ白な婚礼衣装は風のように揺れ、頬に掛かる黄金の髪はお日様のように輝いていた。

 あんな風になれたらきっと、クランも少しは、

「うわああ」

 突然のキャスロードの大声に、教壇のモルテン教授が仰け反った。

 我は寝惚けている。寝惚けているに違いない。キャスロードは激しく頭を振り、はた、と気づいて真っ赤になった。

「すまぬ、教授殿、続けるがよい」

 モルテンに告げて、姿勢を正した。

 姉さまは賢くて綺麗だった。自分には未だ、綺麗になれず、淑やかにもなれず、魔術のひとつも使えない。鬱々とした思いに苦しくなる。最近は、こんな気の滅入ることも少なかったのに。

 頭を冷やして、ふと気がついた。キャスロードの記憶の中では、姉と叔父がひとつ所に収まっている。華やかな姉と、顔もよく覚えていない叔父が、何故ひと組みなのかがわからない。

 エルダリア・ニア・ラスワード、姉には魔術師の二つ名があった。オーリア妃として嫁ぐ際は、武官、文官が大勢、随行した。宮廷魔術師のルカ、ラルクの父君も衛士として城を出た。

 カーディフ・アル・ラスワード、叔父の記憶はほとんどない。死の理由さえ、あやふやだ。禍々しい噂は聞いた。わざとキャスロードに囁く者もいる。だが、その真偽は問えなかった。

 皆が話題を避け、伏せようとした。それを知り、訊いてはいけない事なのだと、幼い頃から思い込んでいた。何より、父の表情が怖かった。母とエレインだけが、知るべき時には教えると言ってくれた。

 それがいつかは、わからないが。

 キャスロードの視線は、ぼんやりと窓の外を彷徨った。

 眼下に、芝を横切る人影がある。身形は隙のない黒服だが、あの丸めた背中は間違えようがない。クランだ。

 考え事でもしているのか、心許ない足取りで歩いて行く。案の定、躓いた。

「殿下?」

 突然、吹き出したキャスロードを、モルテン教授が怪訝な目で見る。キャスロードは慌てて教壇を向き、背筋を伸ばした。教授が机上に目を落とす隙を見て、再び窓に視線を走らせる。

 いつも見つけるのは窓の外だ。

 クランは真っ直ぐ中庭を横切って行く。そのままなら宮殿の端、先にあるのは従事者の建屋だけだ。否、近衛の営舎がある。第九隊の調理場だ。きっとラルクの所に違いない。

「特定修練を行う工房の運営、協会を通じた魔術師の派遣など、わが国の、」

 モルテン教授は口籠った。唐突に、キャスロードが熱心な目を向けて来る。

「先を続けよ」

 反して、モルテン教授は不安になった。王女の目が怖い。真面目に聴くほど早く終わるはずだ、と妙な確信が目に見える。その勢いに気圧されて、教授は知らず早口になった。


 とうとう髪に指先を入れ、クランは思うさま頭を掻き回した。

 前髪が目の前にないことには、どうにもこの世界は眩しくて仕方がない。呆れたような、何か問いたげなエレインに乱暴に手を振って、クランはさっさと宮殿の外に逃げ出した。

 さて、波風の立たない日常を保つのは、中々に骨が折れる。飽きて全てを放り出すのも構わないが。クランは小さな吐息を吐いた。少々、柵を抱え過ぎた。

 望まざると抱えた面倒ごとに唸りながら、クランは中庭を横切って行く。衛士や侍従の挨拶も、上の空で通り過ぎた。どうせまた何か仕出かしたのだろう、そう思われるほどには、もう馴染んでいる。

 二、三度、蹴躓きながら、クランはラルクの詰所に行き着いた。

「大将に会いに来てやったぞ」

 扉の歩哨に声を掛けると、歯を剥き出して威嚇された。

「猿かおまえは」

 さっさと退け、と追い払うように歩哨に手を振る。

「フン、おまえは通してよいとの指示がある」

 歩哨は下唇を突き出したまま、渋々といった体でクランに道を譲った。

「物分かりのいい大将だな、励めよ」

 笑いながら扉を潜る。

「当然だ」

 背中でムッツリとした声がした。

 揃いも揃って歩哨と似た顔をする衛士たちを眺めながら、クランは待機室を抜け廊下を横切った。目指すのは食堂だ。誰に何の断りもなく、クランは厨房を臨む端のテーブルに陣取った。ここに来てまだ日は浅いが、飯場は早々に確保している。

 気づいた料理番がラルクを呼びに行った。

「仕込み中だぞ、少し待て」

 厨房の奥からラルクの声がした。揃って体格のよい板場に指示を出している。

 少しして、仕事に区切りが付いたのか、ラルクは襟に手を遣った。コックコートの留め具を外すと、素早く人が走り寄り、甲斐甲斐しく衣類を持ち去って行く。

「少しは働く気になったようだな」

 厨房を出たラルクが、クランの向かいの椅子を引いた。

「王女殿下の教師だぞ、給与以上に働いている」

 おまえこそ本当に宮廷衛士の隊長か、そう問うのを堪えて、クランは肩を竦めた。

 マッカーノ家の嫡子は、血も技も秀でた剣士だが、料理人を目指した変わり種だ。我が侭を通して板場に入り、厨房荒らしと遣り合って、厨房騎士と名を馳せたのが一〇年前のことだ。厨房荒らしは言うまでもなく、騎士に任じたのもクランだった。

 例の事件で功名を立て、ラルクは王の名の下に、宮廷衛士に採り立てられてしまった。褒賞でなければ断れた。むしろ、そうして厨房に入ったというのに。これが王の横暴に見えないのだから、ゲルドワースは運が良い。

 クランの不貞腐れた顔を見て、ラルクは裏も毒気もない顔で笑った。

「ラエルの弟子は助けられたか?」

 クランは思い出してラルクを睨んだ。

「弟子を焚きつけたのはお前だろう、面倒なことをしやがって」

「マリエルはいい生徒だ、料理は荒いが剣筋は自由だ」

「俺の講義じゃ寝てるがな」

 剣の師範というだけでなく、ラルクの門下は料理も学ぶらしい。混み合う厨房を見るに、もしやこちらが本道かも知れない。ならば厨房の中の連中もみな衛士か。道理で熊のような板場が多いはずだ。

「その顔は、厄介事を引き当てたか」

 ラルクは唐突にそう言って、胸元で指を組んだ。目を細めて鼻先をひくつかせる。

「陛下だな?」

 因果応報、とまでは言わなかったが、そう思っているに違いない。クランはテーブルに肘を突き、投げやりな目で厨房を眺めた。しばし黙って、厨房の香りを堪能する。

 ラルクにせよ、ラエルにせよ、どういう訳か、一緒にいて沈黙を気にしたことがない。むしろ、ひと所にいて違うことをしている。一〇年前はそうだったが、どうやら今も同じのようだ。

「城の下にあった地下道って、今どうなってる?」

 前置きを省いてラルクに訊ねた。

「王城倉庫の地下のあれか、俺の知る限りは、そのままだ」

 記憶を手繰るほどの間も置かず、ラルクが答える。

「二番隊の歩哨がいるから、入れないぞ」

「入るなんて、言ってない」

 口を尖らせるクランに、ラルクは片方の眉を上げて見せた。

「そうかい、俺はまた、あそこの大公殿下が化けて出られたのかと思ったよ」

 涼しい顔を唖然と見つめて、クランは諦めたようにテーブルに突っ伏した。恐ろしいのは天然の直感だ。この手の類は配られたカードを理屈で読まない。ある意味、ラルクはラエルの対局だ。

「いや、化けて出たのはモルダスさまだったか、こっちは他言無用だが」

 例の幽霊騒動には、宮廷衛士も駆り出されていた。他言も何も、ここの大半が目撃者だ。

「それが何か関係があるのか」

「わからん」

 ラルクが結論を先走らないよう、クランは釘を刺した。

 ラルクを面倒に巻き込むのは吝かではない。むしろ多少の面倒は追わせる気だった。クランは、自分が巻き込まれるのが嫌なのだ。今回の件は、どうにも端からモルダスに乗せられている気がする。

「やっぱり、サルカンがくたばってから戻ればよかったな」

 不謹慎なクランの嘆息に、ラルクが苦笑する。

「一二〇歳にして壮健なお方だ、本物の幽霊でなければ、おまえより長生きされるかも知れんぞ」

「そりゃあ、すごい」

 クランは鼻で笑った。

 巨躯の板場が盆を持って厨房から顔を出した。気が利いているな、と思いきや、緊張に震えている。板場はラルクに盆を差し出した。ラルクが皿を突ついて味を見る。そういうことか。

「飯には早いが、抓んで行け」

 盆をテーブルに置かせて、ラルクはクランにそう言った。どうやら及第点だったようだ。板場が一礼し、子供のように飛び跳ねながら厨房に帰って行く。厨房の奥で歓声が上がった。

 この衛士隊は大丈夫だろうか。

「モルダスさまがおまえを捜しておられたのは知っているが、まさか殿下の教師にするためだったとはな」

 ラルクの呟きに、クランは顔を顰めた。モルダスには一〇年前から、否、それ以前から跡をつけられている。

 国家の秘事を知る忌語りなら、仕方のないことだ。監禁されないだけマシだろう。もっとも、そうなれば他の国が黙っていないが。

「最近、捜していたのは、いつ頃だ」

 ふと気になって訊ねた。モルダスが、わざわざ探していると見せたのは何故だ。

「さて、半年ほど前か、連絡はないかと訊かれたが、思えば不義理だな、おまえ」

「いまさら責めるな」

 クランは慌てて矛先を躱した。

「モルダスさま付きの学士かと思えば、殿下付きの道化になって、今度は教師か」

「道化じゃない、御守り役だ」

 言って、クランは大きなため息を吐く。

「いや、似たようなものか」

 ラルクが呆れたような顔をした。

「少なくとも、殿下のおねしょを隠してエレインに叱られるのは、御守り役ではないな」

 不意に扉の向こうで鍋をひっくり返したような派手な音がした。

「申し訳ありません」

 複数の謝罪の声が一斉に上がり、片付けに走り回るような音がする。

「粗忽は隊長に似か?」

「俺が音を立てると思うのか」

「なら、剣の腕もまだ現役か?」

 惚けた視線を寄越すクランを、ラルクは一拍ほど見つめた。暗に言うことを悟るのは難しくない。ただ、その遠慮のなさに皮肉のひとつも言いたかった。

「さっきは行かないといった癖に、あそこは禁忌だぞ、俺に隊長の首を差し出せと?」

 クランが惚けて肩を竦める。

「晴れて厨房に専念できるじゃないか」

 ラルクは溜息混じりに肩を落とした。冗談にしても悪辣だ。ラルクでなければ、クランの本気のほどは嗅ぎ取れなかっただろう。

「今更あの大空洞に何がある」

 さすがのラルクも無意識に声を落とした。

「まさか、本当に大公殿下と関係があるのか?」

 モルダスの失踪や幽霊騒ぎに、カーディフ大公の名などなかった。クランだけがそう匂わせている。ただ、クランの招聘そのものが、一〇年前に近しい状況であるのは確かだ。あれも、切っ掛けはモルダスだった。

「それを確かめに行きたい」

 これは随分、分が悪そうだ。一〇年前と同様に。

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