真夜中の冒険
「幽霊を捕まえに行くぞ」
官舎の窓をこじ開けて、キャスロードが叫んだ。窓枠が外れて床に落ち、硝子が割れて飛び散った。陽も隠れて久しく、周囲の部屋からざわざわと、何事かと声が飛び交い始める。
洗い晒しの髪の隙間から、クラン・クラインはげんなりした目でキャスロードを一瞥した。何も言わずにブランケットを頭まで被る。怒ったキャスロードが窓枠に這い登り、部屋に乗り込んだ。
「起きないかクラン、寝ている場合ではない」
馬乗りになって、ブランケットを引き剥がそうとする。
窓の外のマリエルとコルベットが辺りを見渡し、静かにましょう、と部屋の中の二人を諫める。不意に隣の窓から顔を出した男と目が合った。慌てるマリエルとコルベットを見て、何となく状況を察したようだ。
いい加減、隣近所も慣れ始めている。
窓の落ちた窓枠から、ブランケットが飛び出して来た。キャスロードの高笑いが近隣に響き渡る。同情の眼差しがいたたまれず、二人の従騎士はブランケットを被って身を縮めた。
「幽霊と言えば夜だからな、この機を逃すわけにはいかん」
先頭を歩くキャスロードが、振り返ってそう言った。瞳が好奇心にはち切れている。
四人は第一市環の夜陰を小走りに行く。官舎で騒動を起こしたにもかかわらず、キャスロードは身を潜めているつもりだ。無断で宮殿を抜け出した以上、見つかる訳にいかないからだ。
ふふん、とクランに顎を逸らして、キャスロードは胸を逸らした。クランの表情などお構いなしに、どんどん先に進んで行く。すっかり夜の冒険に夢中で、到底、忍ぶどころの態度ではない。
「臣下だろ、止めろよ」
クランはげんなりした顔で、マリエルとコルベットに恨みがましく囁いた。
魔術師塔で見つけた手掛かりを元に、第三市環跡にある浄水橋の調査を命じられたマリエルとコルベットは、何の成果もない代わりに、現場で幽霊の噂を聞いた。手ぶらというのも恰好がつかず、つい、口を滑らせてしまったのだ。
「ああなったら、聞く訳ありません」
「そうなんだよ、先生が止めてよ」
マリエルとコルベットは端からキャスロードの説得を諦めている。
「それなら俺を巻き込むな」
クランが呻いた。
「共に参りましょう」
「一蓮托生っすよ」
エレインに叱られるところまで予想のついた二人は、すでに事態を諦観していた。
通りの街灯から距離を取り、四人は暗い官舎の敷地を抜ける。晴れの夜は、月の周囲がほのかに明らむ。夜陰を照らすほどではないが、見咎められ、誰何されるほどには丸見えだ。
「このまま第三市環跡まで行くつもりか?」
クランがキャスロードに声を掛ける。このまま見つかるのも手だが、王女と一緒はさすがに拙い。パルディオあたりに王女誘拐、と難癖を付けられでもしたら、問答無用で牢屋行きだ。
「声を立てるな」
キャスロードが振り返ってクランを叱った。腰に手を当て、不敵に笑う。
「おまえに我が王権の一端を見せてやる、名誉なことだぞ」
威張るキャスロードを眺めて、クランは余計にげんなりした。
「なんだ、また通廊を通って行くのか、遊びに使って良いのか、あれは」
もったいぶって明かした王権通路を軽くあしらわれたばかりか、遊びと言われてキャスロードは慌てた。夜目にもわかるくらい頬を染める。思えば、クランとの出会い頭に、通廊から出るところを見られていた。
「遊びじゃない、遊びじゃないぞ、サルカンの手掛かりを探しているのだ」
「幽霊と関係ないだろ」
両手を振って否定するキャスロードにも、クランはまるで取り合わない。
「幽霊がサルカンを攫ったかも知れないではないか」
「幽霊ごときに攫われる大魔術師なぞ、ただの間抜けだ」
どうしてこうも、子供のように言い争えるのか。キャスロードも王女なりに落ち着きがなく、クランもまったく大人げない。マリエルとコルベットは顔を見合わせ、仕方なしに割って入た。
「大声を出すと見つかりますよ」
「入り口に着く前に、捕まっちゃうかもね」
宮廷環の内側はもちろん、ワーデンの至る所に王権通廊は張り巡らされている。それは、直系王族にのみ付与された、王印と呼ばれる魔術刻印で開閉する隠し通路だ。
王印の授受は厳選されている。キャスロードの姉エルダリアも、オーリヤ領主に輿入れの際には、王印を返還した。その前の返還はカーディフ大公、国王ゲルドワースの王弟だ。
王印による王権執行は多種に及ぶが、逸話にも登場する王権通廊はその代表格だ。表向き、内外に敵のいない今のリースタンでは、うわさ程度の口外は許容されている。
無論、その王印が仇となった一〇年前の事件については、市井に伏せられているが。
「ここだ、誰もいないな?」
官庁建屋の柱の陰に駆け込むなり、キャスロードは辺りを見渡して囁いた。薄暗がりに見えるのは、ただの壁にすぎない。キャスロードにしか見えない図形が、壁面に浮かんでいた。
キャスロードが指先で図形をなぞる。傍目には、何もない壁を擦る仕草だ。出し抜けに、壁の一画が沈んだ。音もなく、扉ほどの暗闇が目の前にある。奥底の知れない通路の入り口だ。
キャスロードが躊躇なく飛び込んで、皆を手招きした。
「早く入れ、閉まるぞ」
お供に慣れたマリエルとコルベットが続いた。溜息を外に残してクランも暗闇を潜る。背後に微かな石と風の音を立て、壁が閉じた。足首ほどの壁の高さに、青い光帯が伸びて行く。
「行くぞ、はぐれたら罠に掛かって死んでしまうからな」
物騒な一言を加えて、キャスロードが歩き出した。王印のない身には、青い帯だけが径の在り処だ。皆の足許だけが青白く照らされ、目の前にあるのは朧げな人影の蟠りだけだ。
「こら、待て、地図を共有しろ」
クランは慌ててキャスロードを引き止めた。
「何を言う、地図などない」
キャスロードの靴先がクランを向いた。王女には、辺りが昼日中の如く見えている。意識すれば、眼前に地図も映る。隠された扉に続く、正しい道筋だ。だが、それは王印の主にしか見えない。
「表示を寄越せと言っている」
キャスロードは首を傾げた。クランが何を言っているのかわからない。
暗闇に疑問符だけが飛び交う中、痺れを切らしたクランが手探りでキャスロードを捉まえた。何だ、何だ、と悲鳴を上げるキャスロードを弄って、心なしか硬直した頬に触れる。
「不埒者っ」
突き飛ばされ、クランは後ろにひっくり返った。
「ご無事ですか殿下」
「何をするか、この変態」
マリエルとコルベットがキャスロードを庇って前に立った。二人も足許しか見えておらず、互いにぶつかったり足を踏んだりしている。身体を起こして頭を掻くと、クランは頸を振った。
どうやら、本当に知らないらしい。
「殿下、王権の使い方をどこまで習った?」
「どこまでとは何だ、ここに入って出ること以外の何があるのだ」
キャスロードが上擦った声で言い返した。呆れたようなクランの口調に、何となく不安になって来たらしい。マリエルとコルベットも戸惑っていた。二人にも、王家の秘事はまだ教えられていない。
「ゲルドワースめ、手を抜きやがって」
クランは呻くように悪態を吐いた。どうやらキャスロードが知っているのは、避難経路としての使い道だけだ。魔術装置の余計な知識は、却って危ないと考えたのかも知れないが、城を抜け出すために使われているようでは世話がない。
クランは空覚えの柱の形をキャスロードに伝えると、それを探して触れと言った。こうした機能は基本操作の範疇のはずだが、王でもない身に王権の感覚的な手順など教えようもない。
キャスロードがあれこれ試してみると、不意に周囲の天井が仄かに光り、通廊が少し明るくなった。
「これは」
目の前に、淡く光る地図が浮かぶ。直線と曲線が入り混じる、王権通郎の俯瞰図だ。広範囲に渡って表示され、中央に四つの光点がある。どうやら、自分たちを示している。
「すげえ」
マリエルとコルベットが歓声を上げた。もっとも、誰より驚いていたのは、地図を出した本人だ。キャスロードは胸を張りつつも、挙動不審に目を泳がせている。こんな仕掛けがあったとは。
「扉の近くには、たいていこんな柱がある」
クランが言った。
「本当なら、殿下の目の中の地図も移せるはずだが、方法はよくわからんし、子供相手に不埒者と罵られるのは御免だからな、こいつで我慢しよう」
「誰が子供か」
キャスロードが血を昇らせた。意識が逸れたせいか、地図は揺らいで消えてしまい、辺りは再び青い薄暗がりに戻った。これも王権の一端だろう、操作できるのはキャスロードだけだ。
「殿下、殿下」
「集中して、ほら」
従騎士ふたりがクランを睨んで、余計なことは言うな、と訴えた。
クランはそっと肩を竦めて、キャスロードを眺めた。王女は柱を叩いたり撫でたりと忙しい。王印の魔術装置とはいえ、これも古魔術の一端だ。思いのほか、王は一〇年前の事件を気に病んでいるのだろう。
あるいは、弟との関係を。




