一冊目
小冊子小説『音読解読』の一冊目です。
二月末。寒空の下。自作の紙芝居を読み終えた井上優太は深々と頭を下げた。
拍手は聴こえてこない。
顔を上げて誰もいない園内をみる。週に一度だけ彼は自作の紙芝居を夜の公園で披露しているのだが、彼を待ちわびている客はいない。一時期、夜の紙芝居屋として巷で噂になったことがあるのだが、雪もちらつくこの時期に紙芝居を楽しむ酔狂な人はいなかった。
客が訪れなくても構わない。所詮、趣味で始めた紙芝居なのだ。
紙芝居の道具を片付け始めていると、一人の女が全速力で駆けているのが見えた。女を目で追っていると後方から女二人、遅れて男一人が女を追っていた。
目の前を通り過ぎていく三人をみて優太の心は踊り、すぐに彼らの後を追った。彼はトラブルを好み、そして自らその渦中の中に飛び込んでいく。残念なのは彼が動く理由は困っている人間を助けたいという善意ではない。自分が楽しむために動くのだ。
足の速さに自信のあった優太が前方を走る彼らに追いつくのは簡単だった。
まず男の襟首を掴んで力任せに後ろへ倒した。次に前方を走っていた女たちと並ぶ。優太はひとりずつ肩を掴んで突き飛ばした。
倒された三人は優太に向かって怒声を浴びせるが、当の本人は気にするどころかむしろ楽しげに笑い、三人から逃げていた女に追いついた。
「逃げるなら俺に着いて来い」
走り疲れているのか、女は苦しそうな顔で優太を見た。
「あんた、誰よ」
「自己紹介なんて後だ。やばいんだろ? 逃げるなら一緒に来い」
優太は先頭を切って走りだし公園を抜けて住宅街へ入ると路地から見えない住宅の合間に隠れて追手の駆け足が遠ざかるのを待った。優太たちの隠れる場所から三人の足音が徐々に離れていく。路地へ出て辺りを見回す。どうやら近くにはいないようだ。
優太たちは再び公園へ戻り人目の付かない場所を探して身を潜めた。
走り疲れた二人は近くの木に背中を預けて息を整える。
「まさか元の場所に戻っているとは思わないだろ」
「助けてくれたのはありがたいけど、目的はなんなの?」
「あんたが追われていたからだよ。面白そうだから助けた。そんだけだ」
「なにそれ。おかしな人」と女は初めて笑った。
「おかしな人はないだろ。助けたんだから。俺は井上だ。井上優太。あんたは?」
「石田桜子。このお礼はいつか必ずしてあげる。じゃあね」
優太は立ち去ろうとする桜子の手を握る。
「いつかじゃない。後回しにされたら、すべてが終わった後だろ。それじゃ助けた意味が無い。お礼は今だ。大丈夫、体とか金とかそういうつまらん要求はしない。桜子、あんたが何をしたのか教えてくれ」
「これ以上関わるといいこと無いよ」
「いいね。それ。是非とも関わらせてくれよ」
「彼らはとても希少な本を所有していたの。本を利用せず所持しているだけなら良かったけど、悪用したから盗んだ」
「本を悪用? いまいち想像しにくいな。具体的になにをしたんだ?」
「詳しくは言えない。佐藤と渡部姉妹は…あ、さっき追ってきた三人の名前ね。佐藤カゲミツに渡部姉妹は双子で姉のヨウコと妹のユミコ。彼らはあの本を使って世間を騒がせたの。しかも人まで傷つけた」
本で人を傷つける意味が優太には理解できなかった。希少な本であれば物理的に殴るとは考えにくい。
「傷害事件なら警察だって動いているだろ」
「無理よ。だってあれは事件というより事故だからね。彼らを捕まえることなんてまず不可能なの。立証することすらできないでしょうね」
どこまで信じていいのかわからないが、桜子が追われているのは事実だ。
「これからどうするんだ?」
「ちょっと探しものをしなくちゃいけないから、朝になるのを待とうかな」
それなら、ウチへ来るかと優太が誘うと遠慮しとくと笑いながら答える桜子。
「何を探すって?」
二人が休んでいた木の後ろから佐藤カゲミツが顔を出してきた。驚いた二人は木から離れたが、すでに渡部姉妹が囲んでいた。
佐藤から逃れようとする桜子だが腹部を渾身の力で殴られ膝から落ちる。女を殴ったことに腹を立てた優太は佐藤に立ち向かおうとするが、双子に取り押さえられる。
佐藤に髪を鷲掴みされて、無理やり立たされた桜子は痛みに耐えながら笑っていた。
「桜子。お前、なにを探す気だったんだ」
「さぁ、なんでしょうね」
軽口を叩く桜子に、佐藤は執拗に腹部を殴り続けた。桜子は小さな悲鳴を、殴られる度に上げ、その声を聞いて佐藤はいやらしい顔つきになる。
うつ伏せにされた状態で取り押さえられていた優太はその光景を見て頭に血が上っていくのがわかった。
「おい、てめぇ。女を殴って悦になってんじゃねぇぞ! こら!」
「俺だってこんな酷いことはしたくないが、人様の物を盗んだらそれなりの罰が必要だろう? この女はその罰をうけなければいけない」
佐藤は桜子の腹部を硬く握った拳で強打した。痛みに耐え切れず桜子は嘔吐しながら倒れてしまう。
「早く本を取り返したらどうなの」と優太を押さえつけていた双子の一人が佐藤に声をかけた。
佐藤は言われるがまま、桜子が背負っていたボディバッグから和製本を取り出した。
「ああ、俺の本だ。取り戻したぞ」と佐藤は双子に向けて喜びの声を上げた。
「子供みたいに喜んじゃって。あんた、原本を盗まれるのが怖いんでしょ? 本の力を奪われるのが、怖いんでしょ?」
原本という言葉を聞いて佐藤は顔を引きつらせて桜子の顔を踏み出した。
「お前、やっぱり狙いは原本なのか!」
佐藤は桜子の顔だけでなく全身に蹴りを入れ始める。桜子は襲いかかる暴力に耐えるため体を丸めた。
「本は手に入れたんだから、ここを離れましょ。そんなゴミみたいな女どうだっていいじゃない」と双子のもう一人が叫ぶ。
しかし、佐藤は双子の言葉を聞かずなおも桜子を痛めつけていた。
優太の我慢も限界に達し、そして、取り押さえていた双子を振りほどいて佐藤に向かって駈け出した。
殴りかかる優太の拳を難なく避けて、がら空きになった顎に向けて佐藤は拳を打ち付けた。優太はたまらず地面に倒され、桜子の代わりに暴力を受ける。
「邪魔しやがって。このクソが。クソが!」
怒りを露わにした佐藤は優太だけに集中していた。
そこに桜子が目をつけた。残っていた力を振り絞り、佐藤が左手に持っていた本を手で弾いた。
本はページを開きながら地面に落ちた。開かれたページには動物の絵が書かれていて、優太はなにを思ったのか、その動物の名を読んだ。
『狼』と。
本に描かれていた狼は紙の中を駆け巡り、そして本の外へと飛び出してきた。
あまりにも非現実的な光景に、優太は驚いた。
目の前に現れたのは全長三メートルを超えた狼と優太は目があった。優太はその狼が自分に服従しているとなぜかわかった。狼は優太の言葉にされない思念を目で受け取り、行動に移した。
狼は佐藤を突き飛ばして、渡部姉妹を襲った。
動けなくなった佐藤と渡部姉妹をしばし見つめた後、地面に突っ伏したままの優太を口に咥えてから宙に放り出して背中に乗せる。そして、自分が出てきた本を手にした桜子に背中に乗るようにと顔で促した。
優太と桜子は狼の背に乗って、夜の街を駆けていった。
〈続〉
二冊目は弁天から受け取れる。
彼女と会えるのは狼が現れた公園にあるお堂。
二十時から二十二時の間にお堂で待てば彼女から話しかけてくれる。
この時間以外にお堂へ訪れても彼女は話しかけてくれない。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
小冊子小説『音読解読』の一冊目はいかがでしたでしょうか。
章という扱いでもいいのですが、
ここまでが「狼の小冊子」です。
次は新章となります。
明日も投稿いたしますので、よろしくお願いいたします。




