黒豹の小冊子 その一
新章 黒豹の小冊子 その一 です。
「ふーん」
井の頭公園へ移動中の車内。明大前を超えた辺りで小冊子を読み終えた桜子ちゃんの第一声がこれだった。
「面白くはなかった?」
桜子ちゃんは閉じた小冊子を眺めながら首を傾げる。
「うち、本ってあんま読まんからよーわからんけど。小説ってなんかこう、なんていったらいーだか。会話ばっかじゃなくて、人の心ん中を書いた文章がよーけ書かれとる気がすーに。これってさ、会話だけでまとめちょる感じがすーわ」
「物語の内容も簡素で短いから、余計に読み応えがないと感じるかもしれない」
「それにしても、加藤って酷い奴だが。ほんに信用していいのか迷うわ。物語のうちじゃなくて、本物のうちだったら加藤なんて半殺しにしてやっとーにか」
神泉で乗車した車両では座席は空いておらず、僕らは立つことを余儀なくされていた。乗客数が減ったのは下北沢に到着してからだ。車両から半数以上の乗客が下車するとようやく僕らは座席にありつけることが出来た。ところが、座席に座ったのは僕と桜子ちゃんだけで加藤は座ろうせず僕の前に立っていた。この下北沢に到着した頃でも桜子ちゃんは小冊子を読み続けていた。読書中、彼女は斜め前の加藤を何度か睨んでいた。その理由は小冊子に描かれていた佐藤(つまりは加藤になる)の描写が理由だったようだ。
「半殺しって。女がいう言葉じゃないな。俺にも読ませてくれ」
加藤は桜子ちゃんから小冊子を受け取ると、熟読するのではなくぱらぱらとページを捲って目を通すだけだった。何度かページを戻したり進めたりを繰り返してから自分の目と小冊子を閉じた。
「俺はここまで千弦を痛めつけてはいない」
「殴ったことは否定しないんだ」と僕が口をはさむ。
「否定はしない。それでもだ。これはあまりにも酷い。悪者は悪者らしく書く必要があるかもしれないが、俺に女を殴って喜ぶような趣味はない」
「どげだーかね。加藤が嘘を付いている可能性だってあーけんね」
「嘘を付くメリットがない。だいたい、小冊子に書かれていることは実際に起きたことの半分くらいしか書かれていないんだ。キャラクターを引き立てるための脚色だ。あいつらだって色々とやりたい放題だったんだぞ」
二人が大きな声で話し合うので周りにいる乗客の視線が痛い。
「話すならもう少し声を小さくして」
僕に注意されてようやく自分たちが車内で注目されていることに気づいて萎縮した。
声を潜めながら、二人に話しかけた。
「たぶん、春生は三ヶ月前になにが起きたかを簡素にして伝えたかったんだ。春生と泥棒である中村さんとの出会い。中村さんを追う加藤と渡辺姉妹。そして、盗まれた本の特殊な力。重要なのはこんなところで、他の出来事は省いた」
「そげな風に考えーと、内容の薄さにも納得がいくわ。でも、井上さんて本を読むのは好きなんでしょ。別に長く書いたっていーが」
「桜子ちゃん、あまり本読まないでしょ?」
「ちゃんはやめーってゆーたが」
「ごめん。えっと、この小冊子は初めから僕と桜子…さんに読ませる為に書かれた。けれど、本をあまり読まない桜子さんに春生は三ヶ月前の出来事を簡素にまとめて伝えたかったんだ」
「なんか、まるでうちがアホの子みたいでやだわ」
読書に頭の善し悪しは関係ないと伝えてみたが「そんならいーわ」と言いながら桜子ちゃんは頬を膨らませていた。
簡素に書かれた理由はあくまで僕の考えだ。本当のところは春生にしかわからない。
加藤が持っている小冊子を眺めた。小冊子に書かれていたことが、半分以上は事実だと仮定したとしても創作部分しか見当たらない。本から動物ないし悪魔や精霊などが召喚される話はありふれている。こんなファンタジーを現実に起きたと信じてしまったら、僕の頭がおかしくなっている証拠だ。唯一の事実といえる部分は登場人物だ。名前こそ違うが実在している。
中村千弦が盗んだ本と巨大動物は繋がっているのは確実なのはわかっていても、春生が考えだした「本から動物が出てくる」という脚色が邪魔をして新しい発想が出てこない。
物語の事実を聞くとすれば、目の前にいる加藤に聞けば済む話だけど、聞くに聞けない。消えた春生が残した小冊子を探しているだけで、痛い目に遭っているのだ。これ以上、厄介な揉め事に巻き込まれたくないのが本音だ。
「怖い顔しとらいけど、どげしたで?」
桜子ちゃんが眉を潜めて僕の顔を伺ってきた。
「ちょっとね。色々と起きたから整理していたんだ」
変に真面目な所があるとよく言われている。常に考えていないと落ち着かないのだ。再び、僕は思考の中に飛び込もうとしていたが、桜子ちゃんは変わらず僕を見続けている。
「どうかした?」
何か言いたそうだが口篭っている。
「あんな。うちな。今のうちに、謝りたかったに。いきなり井上さんに迫って、自分勝手なことばっか言って。井上さんのことなんも考えんかった」
「春生が行方不明になっているんだし、必死だったんだから。謝らなくてもいいよ」
「ダメだで。うちはちゃんと言わんといけん。井上さん、ごめんな」
意固地な子だなと思いつつ、まじまじと僕を見る桜子ちゃんは十代特有の肌艶を持っていて可愛らしかった。
「いいよ。大丈夫。僕は気にしてないから」
「お兄ちゃんがね。井上さんを頼れって言ってくれて、ほんに良かったわ」
「僕はまだ、なにもしてないよ」
「何いってんだ。井上さん、あんた桜子を一瞬とは言え守ったんだ。瞬殺で倒れたけどな」
加藤が茶々をいれてくる。君も左斜め前にいる女の子に瞬殺されたけどね。
「あれは、体が勝手に動いたというか。そんな深い意味を考えていたわけじゃないよ」
ちょっと待てよ。僕が由里子に殴られて倒れたところを見ていたのなら、すぐ近くにいたということになる。
「見ていたのなら、すぐにでも助けてくれれば良かったじゃないか」
「俺が見たのは由里子に殴られて倒れた直後の井上さんだ。だから急いで駆け寄ったんだ。結果的に助かったんだからいいだろ」
「あの場を助けてくれたんは加藤だけどな。そんでも、あの忌々しい女の前に井上さんが立ってくれた時は安心したに。うちは嬉しかったで。井上さん、だんだんね」
最後のだんだんの意味はわからないけど、かといってどういう意味なのか聞けば、いま漂っている空気を壊しそうだった。僕にできたのは照れ笑いで誤魔化すしかなかった。
各駅停車の電車は永福町へ到着した。井の頭公園に到着するのはまだ時間がかかりそうだ。
永福町に着くと、乗車客は更に減った。急行の乗り換えの為、乗客がほとんど降りてしまったのだ。座席も空席が目立ち加藤が僕の隣に座った。加藤は手にしていた小冊子に描かれていた狼をじっと眺めた。
「絵の名前を読むだけで本当に動物が出てくると思うか?」
加藤が小冊子の絵を指で弾きながら聞いてくる。
僕が聞きたかった質問を軽々しく口にした。もしや、巨大動物と盗まれた本の関係は、そこまで重要なことではないのか。変に勘ぐったのが恥ずかしくなる。
「巨大動物は確認された。動画や写真もみた。あれは本物だと思う。本から動物が出てくるのは飛躍的すぎる。少しでも現実的に考えるなら、科学実験とかで巨大化した動物が現れた、かな」
「それはそれで面白いな。本ばかり読んでいるからそういう発想力があるんだろうな。井上さんも石田春生を見習って小説でも書いてみたらどうだ」
「僕にはなにかを作り出すことはできないよ。発想力だけじゃ小説は書けない。物語は作れるかもしれないけど人間を描くことはできそうにないよ。人間味がない物語は物語とは言わない。ただのお話だ」
「そうかもしれないが、俺が言いたいのは……違う。話が逸れた。本から動物がでるのかという話だったな。事実は違う。本から動物は出てきてはいない」
当然だと言いながら僕は鼻で笑った。左隣にいる桜子ちゃんも「ありえんわなぁ」と呟く。
この様子だと気軽に聞けばすんなりと答えてくれるかもしれない。
「あんな巨大な動物を人が飼えるはずがない。当事者なら知っているんだろう。あの動物たちはどこから現れて、どこに消えたのかを」
僕と桜子ちゃんの視線を浴びながら加藤は座席シートに深々と体を預けた。
「それをいま聞くのか。んー、教えてもいいのか迷うな」
迷うということは、問題があるのか。ここは防波堤を張っておこう。
「もし、動物たちのことを聞いたら危ない目に遭うとかなら、聞かない」
「その心配は無い。あの動物たちは二度と現れないからな」
二度と現れない? なぜそんなことが言えるんだ。
「勿体ぶらんで、さっさと言いや」
「だから、普通に教えても芸がないから考えているんだ」
言い切った後、加藤は腕を組んで車内の天井を見上げた。
「なにも問題がないのなら、普通に教えてくれればいいじゃないか」
加藤は非難する僕を無視してひとり考え込んでいた。女性二人に銃を突きつけた男とは思えなかった。
向かいのホームに急行電車が停車する。僕らが乗車している車内にはこれから先、停車する駅のアナウンスが流れ始めたと同時に加藤は「そうだ」と言って膝を叩いた。
「水平思考って知っているか?」
桜子ちゃんと顔を見合わせて、お互いに首を傾げた。聞いたことのない単語だった。
「よし、じゃあこれでいこう。ルールなどはやりながら覚えればいい。まずは例題だ。いいか?」
半ば強引に話しを進める加藤に僕らはなぜか逆らうこともなく耳を傾けてしまった。人と引き付ける力が彼にはあるようだった。
「ある若い男が本を読み始めました。本を読み終えると若い男は老人になりました。なぜでしょう?」
「なぜって……そんな少ない情報で答えられるわけがない。そもそも本を読んで年をとるとか考えられないだろ」
「あ、わかったで。本は浦島太郎みたいな玉手箱みたいな仕組みで、煙が出ておじいちゃんになるんじゃなくて、本を一ページ開く度に一年の年を取った!」
加藤は無言のまま、首を横に振って呆れ返っていた。
「まず、井上さん。いきなり頭の固い発言をするな。あと桜子、発想力はいいがルールをまずは聞け。この水平思考という問題は出題者が考えた答えを回答者が想像して言い当てるゲームだ。井上さんの言う通り、この問題は情報量が少ないから、答えなんてまずわからない。そこで解答者は出題者に質問をする。出題者は解答者の質問に対して、イエス、ノー、わからないもしくは関係ないしか答えられない。質問はなんだっていい。例えば『若い男はその本を購入しましたか』の質問だったら、俺の答えはイエスだ。だが、質問を続けていくと矛盾が出てくる。『男は本当に年を取りましたか』の問いなら答えはノーだ。老人なのに年は取っていないという矛盾が出てくる。こんな感じで矛盾を見つけ出して『なぜ男は本を読んで老人になったのか』を想像して当てるんだ。時間を潰すにも良いゲームだろ」
加藤の解説が終わるころには乗車している電車はすでに走り出していた。
「うち、考えるのは苦手だわー」
「そういうな。さっきみたいな発想力を生かして、俺に質問をし続ければいい」
僕を挟んで二人が会話を楽しんでいる中、僕は幾つかの質問を考えた。頃合いを見て僕は加藤に小さく手を上げてみせた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
黒豹の小冊子 その一 はいかがでしたでしょうか。
楽しめて頂けたのなら嬉しい限りです。
本文に出てきた水平思考ですが、
ラテラルシンキングとも言われています。
代表的な問題で「ウミガメのスープ」があるのですが、
興味があれば試しに挑んでみるのもいいかもしれません。
明日も投稿します。
よろしくお願いいたします。




