虎と羊の小冊子 その七
虎と羊の小冊子 その七 です。
本を目掛けて僕と依里子が駆け寄る。だが、スタンガンの痺れはまだ残っていて上手く足腰が立たない。それならばと、僕は依里子を立ちあがらせないように足へとしがみついた。
「離せ!」
由里子に比べると弱い打撃のお陰で耐えることはできた。
「もういいで。井上さん」
本を手にした桜子ちゃんが依里子を睨みつけている。
依里子は力任せに僕を振り払い桜子ちゃん目掛けて突進していくも、出足払いを貰って簡単に転げた。
「あんた言っとったもんな。妹と違って体を動かすのは得意じゃないって。そんなあんたがうちに勝てると思うなや」
余裕を持って話している桜子ちゃんに僕が叫ぶ。
「早く、依里子を取り押さえて。そいつらは複数の本を所持しているはずだ」
この姉妹は技術書を集めることを目的としている。いま桜子ちゃんが持っている本一冊だけという保証はない。
僕の言葉の意味を理解した桜子ちゃんだが、遅かったようだ。依里子は何事もなかったかのように立ち上がりベッドの上に立った。その姿を見て桜子ちゃんも僕も身動きが取れないでいた。
依里子の手にはすでに新しい本が握られていたからだ。
「二人とも。人として生活できないと覚悟しなさい」
「それがどんな本なんか知らんけど、こっちだって本はあることわすれーなや」
「その本の使い方も知らないくせに。例え知っていたとしてもこちらが早いのよ」
依里子は余裕を取り戻したのか口調が元に戻っている。玄関の方角から轟音が響いて部屋全体が揺れた。身の危険を感じて動こうにも力がいまだに足腰に力が入らない。そこへ桜子ちゃんが肩を貸してくれてようやく立つことが出来た。
僕らは支え合うように寄り添った。
「依里子!」
由里子の声が聞こえてくる。こちらが早いという意味は由里子に連絡をしたということなのだろうか。すぐ近くに待機していたとしても、来るのが早過ぎる気がする。
「由里子。早く、こいつらを」
部屋に駆け込んでくる由里子だったが、僕らを見向きもせず依里子に駆け寄った。
「こんな奴らどうだっていい。まずいことになったんだ。あいつが現れたんだ」
「あいつって?」
「石田春生だよ」
僕の袖を掴んでいた桜子ちゃんの手がより一層強く握られた。
「お兄ちゃんが? なんで」
桜子ちゃんの呟く声が由里子の耳に届いたらしく、こちらに詰め寄ってくる。
「なんでだと。ふざけやがって。お前ら全部知っていたんだろ? 私達を嵌めるために全部!」
「由里子、どういうことなの。説明して!」
取り乱す由里子の両腕を抑えて依里子が問い詰める。どうやら二人ともそうとう焦っているらしい。
「私だってどこから説明していいのかわからないんだよ。本当にやばかったんだ。依里子が私を呼び寄せてくれなかったら捕まっていた。いや、待てよ」
由里子が桜子ちゃんに掴みかかろうとする。依里子と違って俊敏な動きだが、僕のほうが一歩早い。僕が桜子ちゃんの壁になり由里子の手が届かないようにさせる。
「なんだよ。お前は!」
僕の頬に由里子の拳が突き刺さる。腰くだけそうになるのを必死でこらえる。ここが正念場だ。耐えろよと言い聞かせる。
由里子は僕が一撃で倒れなかったことに苛立ったのが腹部に硬い拳を突き刺す。渋谷ではこの一撃で突っ伏したが、僕の膝が地に着くことはなかった。
「その女を渡せよ。そうすればあいつだって」
今度は由里子の左拳が僕の右脇腹をえぐる。穴が空いたかと思うほどの衝撃。痛みよりも苦しみのほうが強く出ていたが、それよりも意地のほうが勝る。僕は由里子の両腕を抑えるように抱きついた。
「前に言っただろう。この子に手を出すことは許さないって」
「だから、それがなんだ」
汚物を見るような目をした由里子は僕の右足親指を踏みつけた。ゴリっという鈍い音が耳にまで届く。痛みに耐えかねて由里子から離れてしまった。僕との距離が空いたことを良いことに、由里子は僕の腹部目掛けて蹴りを打ち込んできた。瞬発力と重みのある一撃に吹き飛ばされた。
「井上さん!」
桜子ちゃんの叫び声が聞こえる。守らなくちゃ。春生から一方的に交わされた約束だからじゃない。僕自身が彼女を守りたいんだ。
顔を上げる。
由里子に羽交い締めにされながらも、暴れる桜子ちゃんが見えた。なんで泣きそうな顔をしているだろう。僕が傷めつけられたからなのかな。
優しいな、君は。
僕のことはいいんだ。僕は他人にも自分にも興味を持たずに、つまらない日常を小説という物語を読むことで逃避していたんだ。
ようやく、僕は誰かに興味を持ったんだ。
「井上さん! ごめん。うちなんか守らせてほんにごめん!」
謝らなくてもいいのに。僕が好きにやっているんだ。謝る必要なんてひとつもないんだ。
「暴れるな」
由里子が桜子ちゃんの髪を掴んで平手打ちをした。一瞬にして頭に血が上る。由里子に大してじゃない。弱い僕自身に怒りがこみ上げてきた。
「やめろ」
自分の声とは思えないくらい大きな声を上げた。拳を床に叩きつけて立ち上がろうとするも、自力で立てることが出来なくて、絨毯に顔を埋めてしまう。悔しくて涙が出そうになっていた。
なんで、僕は物語の主人公じゃないんだ。
「もういいよ。うちは大丈夫だけん。心配せんでいいよ」
「依里子。ここから移動してくれ。こいつさえいれば石田春生は何も出来ない」
肉体的な痛みもあるが、自分の情けなさが強すぎて顔を上げることが出来ない。駄目だ。諦めるな、抗え。強い物語の主人公じゃないことくらい自覚しているんだろう。だったら、使い捨てにされる脇役ぐらいの仕事をしろ。
そうだろう、井上優太。
気を失いそうなのを堪えるため口の中を噛み付いた。鉄の味が口内を巡る。いまいちど自分を奮いたたせる。手をつき、膝を立てる。立てた膝に今度は手を。震える両膝に力を込める。前かがみになりながらも、僕は立ち上がった。
「その子を傷つけるな」
「女の前で粋がってて恥ずかしくないのかよ。虫唾が走る。いいよ。移動する前に今度は完全に意識を──」
由里子は続く言葉をいうことが出来なかった。玄関から疾風の如く現れた男の手によって口を塞がれたからだ。
「いい女の前で粋がる男は格好いいんだよ。こういう恥ずかしい男が実は格好良かったりするんだ」
ほんの少しの間だけ聞けなかった声なのに、懐かしいと思えた。由里子の口元を力いっぱいに握りしめている加藤の背中だった。
僕は心の中で「あーあ」と呟いた。何も出来ず、用意されたご都合主義によって僕は助けられたようなものだ。いいや、いいんだ。これで。都合よく助かってもいいんだ。桜子ちゃんを助けたのが僕でなくても、いいんだ。
加藤は由里子を依里子の方へと突き飛ばした。
由里子がそばに来ると依里子は取り乱しながら必死に本をなぞっている。が、なにもおこらなかった。移動が出来ないのか。
「無駄だ。移動先のほうは千弦が破り捨てたはずだ」
そう聞かされた依里子は本を閉じた。劣勢の立場であるにも関わらず、あの余裕をもった笑みをこぼしていた。この女は渋谷で対面した時と同じように逃れようとしている。
「それで、私達に復讐を果たすわけね」
「復讐か」
加藤が言い淀んでいる。
「完全に優位に立っている今なら簡単に果たすことができるでしょう。いまのあなたは変わったそうじゃない。自分のことを棚に上げて、私達だけを懲らしめるなんて筋違いじゃない?」
「それも、そうだな」
僕らには目的を果たせと言っておきながら、自分はその重大な目的を放棄するつもりなのかとは、言えなかった。僕だって依里子と由里子には酷い目にあってほしいとは思っている。だからといって、一方的に暴力で片付けるのは違うと思う。
「ちょい、待てや! うちは許したりせんからな」
答えない加藤に桜子ちゃんが痺れを切らせて動き出す。
「やめとけって。こんな女にお前の技を使う必要なんてないよ」
「井上さんがあぎゃん風になったんはこいつらのせいだで! あぎゃんことされて、なんもせんとか無理だわ! こげなダラズ女たちを許しちゃいけんて」
「こんなバカ二人にお前が手を出す必要はない」
「ほんならこのまま逃すってことかや」
「代わりはいる」
加藤が玄関に向かって千弦と叫ぶと、玄関からどかどかと大きな足音が聞こえてくる。
「はーい、呼ばれました!」
元気な声を上げながら千弦さんが部屋に入ってきた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
虎と羊の小冊子 その七 は如何でしたでしょうか。
楽しんで頂けたのであれば、ありがたいです。
井上優太が頑張ってくれました。
力の強さより、心の強さに僕は人間らしさを感じます。
明日も投稿します。
よろしくお願いいたします。




