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科白空白  作者: アサクラ サトシ
第三章 虎と羊の小冊子
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虎と羊の小冊子 その一

新章 虎と羊の小冊子 その一 です。


楽しんでいただければ嬉しいです。

よろしくお願いします。

 依里子の背中を追いながら、僕らはホテルブレーメンのエントランスへと入った。広々としたエントランスは必要以上の明かりが設けられていないせいか薄暗い。ラブホテル特有の演出だ。もしここが明るければこれから情事を行うために来店するカップルと、情事を終えたカップルが鉢合わせになった場合を考えると非常に気まずい。下手をすればお互いの顔を見合うことにもなりかねない。この薄暗さは雰囲気と利用客へ対する思いやりがあるのだ。入り口で男女の興を覚まさせたら商売にならない。

 いまおかれている状況に対してホテル経営に対して冷静に考えているのも不自然かもしれないが、こんなことでも考えていないと冷静さを失いそうなのだ。

 入口正面には各部屋の空き状況が確認できる大きなパネルが設置されていた。パネル左手にはお互いのプライバシーを守るためのスモークガラスが張られている受付がある。

 エントランスの奥地にはエレベーターが見える。

「このホテルの従業員方には空いていた部屋で休んでもらっているの。ここはあなた達二人のために貸し切りにさせて頂きました」

 依里子はくるりと回って僕らと顔を合わせた。彼女が起こしている動作の一つ一つが演技かかっていて、それを見せられているこちらとしてはかなり辛いものがある。

「休ませたのではなく、軟禁したのでしょう?」

 こちらの嫌味に表情すら変えず依里子は僕の眼前まで顔を近づけてくる。妹の由里子とそっくりな顔立ちなのに受け取られる印象が違う。女性特有の柔らかさがあった。顔以外の違いと言えば、彼女から甘い匂いが香ってくる。外見の良さに加えて、女性らしい甘い匂いが男心をくすぐらせる。初めて会った時にも思ったけれど魅力はある。もし違う状況で出会っていたのなら、僕は彼女に惹かれていただろう。

 耳の奥にバチリという音が聞こえると同時に左脇腹が瞬時に熱くなる。体全身に静電気の波が駆け巡った。僕は呻き声を上げながら地面に突っ伏す。

 桜子ちゃんが僕の名を叫びながら背中に手を当ててくれた。心配してくれている彼女の声に大丈夫と応えながら、僕を見下ろす依里子の右手を見る。携帯電話とは違う、しかしそれと同じ大きさくらいの黒い機械が握られていた。

「私、ユリちゃんと違って体を使うのは苦手なんですよ。これは護身用にいつも持ち歩いているオモチャです」

 依里子のいうオモチャはスタンガンだ。予備知識にあるスタンガンは衝撃を受けただけで気絶するものだと思っていたが、実際に受けてみると違う。局所的な痛みと全身に広がる電流によって身動きがとれなくなるだけだった。

「今後、私に反抗的な言動を起こしたら即座にお仕置きしちゃいますからね」

「そうするよ」

 腹部の痛みはまだ感じられたけれど、我慢できないほどではなかった。

 大丈夫と桜子ちゃんの声は、僕への心配というよりも依里子へ対する怒りのほうが強く感じられた。その証拠に、彼女の右手は強く、そして硬く握られていた。

 依里子はこちらの都合などお構いなしにルームパネルの前に立った。どの部屋もライトが消えているのに、一つだけ光り輝いている部屋があった。

 三○一号室だ。

 従業員全員が空いていた部屋で休んでいるとも考えにくい。

「あんたがここへ来る前に、部屋を利用していた人達はどうしたんだ。彼らも閉じ込めたのか」

「延長料理金がかからないのだし、その分、いい汗を流せばいいだけですよ。まぁ、一汗かいた後に予定がある人には悪いですけどね」

 依里子が三○一号室のパネルボタンを押すとパネルの明かりが消えた。部屋の鍵は自動販売機の用に出てくるわけもなく、依里子がジャケットのポケットからルームキーを取り出した。本来であればパネルボタンを押して、受付からこのキーを受け取ることになるのだろう。

「あの時」

 依里子はプラスチック製のキーストラップを両手で握りしめた。

「私の手を握ってはくれませんでしたけど。これは受け取ってくれますよね」

 両手を開いて、僕らに向けてキーを差し出してきた。

「僕に期待しないでほしい。続く小冊子を見つけ出すことは出来るかもしれない。けれど、春生はおろかあんたたちが探している本を見つけ出すとは約束できない」

「約束して頂かないと、あの二人を解放することはできませんよ。それにあなた方の目的は本を見つけることが目的ではなく、本を私達に渡すことです。お間違いのないように」

 安っぽいありきたりな悪役が提案しそうな交換条件だ。今回は差し出された依里子の手を、ではなく鍵を握った。

「無関係の人まで巻き込んでまで欲しがる技術書とはなんだ。あんたたちはすでに複数の本を所有しているじゃないか。結界や加藤たちを瞬時に移動させるような本を持っているんじゃないのか」

 言い終わった後に後悔をしてしまった。依里子を挑発するような発言をしてしまったら、またスタンガンの餌食になってしまうと思ったからだ。大した筋力のない腹に力をいれた。

「技術書?」

 依里子は首を傾げた。きょとんとした目をした後、何かを納得して「ああ」と呟いた。

「そういえば中村千弦はそのように総称であれを呼んでいましたね。技術書ですか。日本語って便利ですよね。同じような意味を持たすには丁度いい言語だもの」

「総称ということは、呼び方は別?」

 咄嗟に出てきた疑問が口に出た。だが、口では技術書のことについて言及したけれども、頭の中に浮かんだのは全く別のことだった。

 正しくは中村さんの上司である吉田の言葉を思い出していた。特殊な本の名称を偽ったことが『騙している』ということなのか。違う気がする。名称を偽ったくらいで騙すとはいえない。そもそも技術書の話をしていることを吉田という男が知るには盗聴でもしない限りわからないはずだ。それに特殊な本の総称なのだから嘘ではない。

 技術書のこと、騙されていることを考えていたはずなのに、まったく関係の無いところへ思考が飛躍していく。

加藤と中村さんが消えた直後に渡辺姉妹が突然あらわれた。

僕らにとっては突然だが、あの姉妹からすれば必然ではないのか。

 さらに思考する。

 二度目だ。渡辺姉妹がタイミングを見計らったかのように現れたのはこれで二度目。物語を演出するためのようなご都合主義。一度目、神泉駅付近で隠れていた僕らを簡単に見つけた。

 どのような手段を使って。

 総称は技術書。

 技術書ではない。

 これは護身用のオモチャ。

 騙されている。

 会話は聞けない。

 タブレット端末。

 気配なく消えた加藤と中村。

 複数の本を持っている。

 頭の中にあるメモ帳に箇条書きの文章が埋まり、各々をカテゴライズして整理する。

「なにをそんなに考えこんでいるのかしら。そんなに本当の呼び名を知りたいの?」

 黙っている僕に対して依里子が話しかけてくる。技術書の総称だと。そんことはどうでもいい。僕が「今」知りたいのはそんなことではない。お前たちは僕らがここへ来ることを事前に知っていたんだ。

 いいや、リアルタイムで聞いていた。

「三冊目を探す前に、取り外してもらおう。いや、解除のほうが正しいのか?」

「なんのこと?」

「盗聴器」

 依里子が真顔になる。その表情だけで導き出した答えは間違っていないと確信できたが、押すところは押さなければいけない。

 崩すのだ。この姉妹にこれ以上の先手を打たせてはいけない。

「もしくは盗聴器と発信機を兼ね備えた機械ないし技術書を使った。そうでもしなければ、このホテルへ先回りすることなんて不可能だ」

 依里子は小さい拍手を僕に贈った。

「石田春生が本の所有者としてあなたを選んだ理由がよくわかりました」

「もう所有者だとかそういうのはいい。本は渡す。そちらの条件を受け入れるんだ。僕らに仕込んだ物を取り外してもらおう」

「石田桜子さん。あなたがいつも身につけているものは?」

「これ?」

 桜子ちゃんが肩から下げているショルダーバッグを両手で抱え込む。

「それフレッシュレポートのバッグでしょう。あなたみたいなカジュアル系のファッションをする子には受けがいいからね」

「バッグの詳細なんてどうだっていい」

 ショップ店員でもないくせに薀蓄を垂れるな。

「そうね。そのバッグの背面に設置された収納スペースを開けて左奥隅を見て。鞄の裏打ちと同じような配色だけど薄いカード型があるはず。それを剥がして」

 桜子ちゃんは依里子の指示にしたがって盗聴器と思われるカードを剥がし取った。これは機械なのか、それとも技術書によるものなのか。

「井上さんが推測したとおり、盗聴器と発信器を備えた機械。既成事実をまとめあげたとしてもよく気づいたねって褒めるところかしら」

 僕は桜子ちゃんの手からカードを奪い取った。

「これ一つか? 技術書まで使ってないだろうな?」

「加藤が割り込んで来なければ渋谷であなた達を引き込んだ後に回収する予定でしたからね。本は使っていませんよ」

 依里子の言葉を信じたわけではないけれど、納得しておく。

 カードを折り曲げようとしたが、思った以上に硬い。こういう時は格好良く壊すのが物語の定石なのに。壊すことを諦めてカードを依里子の足元へ放り投げた。

「小冊子を見つけたらカウンターにコールをしてください。たいしたルームサービスはないけれど、私が出向いてあげましょう」

 僕は依里子の言葉に応じずに彼女の横を素通りした。桜子ちゃんの手を引いてエレベーターへ乗り込んだ。

 扉が閉じる間際、依里子と目があった。

 渋谷で初めてあった時と同じように、彼女は微笑んでいた。

 あの笑みが男を媚びるためではないと気付く。

 あれは、自分の思い通りに事が進んで満足しているお嬢様の微笑みだった。

 あの顔を歪めたいと思うのは、僕の性根が悪いせいだろう。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

新章 虎と羊の小冊子 その一 はいかがでしたでしょうか。


楽しんでもらえたのであれば嬉しい限りです。

明日も投稿いたします。


よろしくお願いいたします。

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