二冊目
音読解読 二冊目 です。
成人男性の三倍はあろう狼の背に揺られながら優太は体をゆっくりと起こした。街の風景が移り変わっていく。車で見るそれとは違って早く感じられた。本から狼が飛び出してきた。そして自分はそれに助けられ、背に乗せられている。何が起きていたのか把握は出来ていた。しかし現状を受け入れるのには容易ではない。
「もうすこし休んでいればいいのに」と狼の毛並みに横たわっている桜子が口を開いた。
「この狼は本物なのか」
「どちらでもないよ。本物でも偽物でもない。この本から飛び出してきた狼、それだけ」
桜子は本を見せた。確かにその本からこの狼は出てきた。信じるとか信じないとかの話ではなく、納得する理由が優太には欲しかった。
「その本はいったいなんだ? 理屈を教えろよ」
「理屈はあたしも知らない。戦前まで描かれた動物を呼び出すことができる職人がいたんだって。今では失われた技術で現存しないはずの本なの。本と言うか、一枚の紙に描いた絵を一つに纏めているだけなんだけどね」
「なんで、存在しない本がここにあるんだ」
「例外はいつの世にだってあるもの。職人の末裔がこの本を家宝として保存していたの。佐藤と渡部姉妹は職人たちの末裔ってこと。あたしはそんな特殊な本専門の泥棒ってわけよ」
「たまらなく面白い話だな。それで、これからどうすんだ? 逃げ回って終わりなんてことは無いんだろ? 俺にも一枚かませてくれよ」
優太はこの危機を楽しみ笑顔をこぼしていた。
「まだ関わるつもりなの? 呆れるほど怖い人ね。下手したら死ぬかもしれないのに、それでもいいの?」
「平坦な日常を送るより、刺激的な一日を迎えたほうがいいだろ」
「なにを言っても無駄か」
桜子も体を起こし、自分の腹部をさすった。まだ痛みが残っているらしく辛そうだった。
「桜子を殴った男、たしか佐藤だったな。俺がやり返してやるよ」
「あたしとしては会わないまま、目的を果たしたいんだけどね」
桜子の目的。それは佐藤を逆上させた原本のことだと察した。
とにかく今はあの三人から逃げてどこか落ち着く場所に身を潜めなければと桜子は考えていた。
「俺の家だったら近いし寄っていくか」
優太が冗談とも本気とも取れる事を言ったが桜子は無視するように後方に体を向けた。
後方にはなにも見当たらない。だが、桜子から流れこんでくる緊張感は変わらない。桜子は上空を見上げた。
「やばい、追いつかれた」
二羽の鳥が近くに飛んでいるだけかと優太は思ったが違った。近くにあるものが大きく見えるのではなく、大きなものが遠くに居たのだった。
「空から捕捉されたら逃げ場なんてないぞ」と優太が叫ぶ。
「この子にどこへ行くか指示して。優太くんじゃないとこの子は言うことを聞かない!」
狼は優太の命令を聞いて方向転換をするも、狼の走る速さが落ちていく。さらに姿さえも薄ぼんやりとして今にも消えそうだった。
「おい! この狼、消えかけているぞ」
狼が住宅地を抜けると止めてしまい姿も消した。二人はそのまま地面に落とされてしまう。地面に落とされた優太は桜子に詰め寄る。
「どういうことだ」
「君の精神力が切れたの。まずい。逃げるよ」
辺りを見回すとそこは井の頭通りで人も多かった。歩行者は優太たちの後方上空で旋回している二羽の鳥を目撃し絶叫しながら離散していく。
巨大な鳥が翼を広げると翼の影が優太たちを覆い隠した。一羽だけでも驚異なのだが、二羽も同じように翼を広げられると圧巻だった。鳥達は甲高い声を上げて周囲にいる人々を威嚇した。
巨大な鳥達が現れたことによってあたりはパニック状態を引き起こしていた。路上を歩いていた人々は物陰に隠れ、鳥に気づいた車の運転手はその巨大さに驚愕し車を乗り捨てた。
桜子は優太を引き連れて乗り捨てられた車を奪って走りだす。
「お前、本専門の泥棒じゃないのか」
「こっちは捕まるわけにはいかないの! 死にたくなかったらシートベルトを締めて!」
桜子はギアチェンジしてアクセルを踏み込んだ。井の頭通りから吉祥寺駅へと向かう。
猛スピードで走らせる桜子の運転は丁寧ではなかったがハンドルさばきは素晴らしかった。十字路に差し掛かろうとした時、上から強い衝撃が加わりそのまま車は横転した。
割れたフロントガラスの破片を被ったせいか二人とも切り傷が目立った。シートベルトを外して、ドアを蹴り破ると巨大な鷹と鷲が十字路のど真ん中で佇んでいた。
優太と桜子は半壊した車に背をもたれる。
「こんな目に遭っても楽しい?」
「ノーコメント」
巨鳥から佐藤と渡部姉妹がそれぞれ降り立った。
「これ以上、騒ぎを大きくしなかったら早く本を返せ」
佐藤が乗っていた巨大な鷹が甲高い声を上げる。あの巨大だった狼も恐ろしいとは思えたが、規格外の大きさをもった鳥を目の前にするとさすがに臆してしまう。
遠くからサイレンの音が鳴り響いていた。
「なにか手はあるのか?」と優太が呟く。
「着いて来て」
車から離れてゆっくりと佐藤たちの元へ歩んでいく。
「あたしが走ってと叫んだら、振り返ってそのまま走って。立ち止まらず全速力で。いい?」
優太が合意の頷きを見せると桜子は着衣していたダウンのジッパーを下げた。
佐藤たちのところまで数メートルというところで「走って」と叫ぶと同時に優太は振り返って走りだした。走りだす直前、優太は桜子がダウンの懐からあるものを掴んでいることに気がついた。思わず足を止めて振り返ると桜子が手榴弾を佐藤たちに向かって投げていた。
「おい!」
「バカ! 走りなさい!」
走りだして数秒としない内に、まばゆい光と炸裂音が響き渡る。たまらず後ろを振り返った優太が見たのは硝煙の上がった道路だった。
「お前、なにしてんだよ!」
「これでいいの。この衝撃で向こうは精神的に参って鳥を維持できなくなったはず」
言われたとおり、いくら逃げていても上空には鳥の姿は見えなかった。
野次馬をかき分けながら、吉祥寺通りを走りぬけてビルの一角に逃げ込む。
「向こうが出せないなら、一気に引き離したほうがいいだろ」
「ちょっと待って。また本を使うつもりなの?」
「今使わないで、いつ使うんだよ」
優太は桜子が腰に隠していた本を取り上げてページを捲り、目当ての動物を見つけて名を読んだ。
『黒豹』と。
本から黒豹が現れると二人は背中に乗った。
「これなら暗闇に紛れて移動できるだろ」
優太たちを乗せた黒豹は走る速度を上げ、住宅の屋根に飛び移り移動していった。
「それで何処へ行くの?」
「ホテルだよ。ホテル。もうどこかで休みたいだろ。安くていいビジネスホテルがあるから、そこで休もうぜ」
屋根の上を次々に渡って行き、目指していたホテルブレーメンに到着した。
優太たちは唯一空いていた三○一号室にチェックインした。
〈続〉
二人が休んだ部屋は三○一。
部屋に目的の本はない。
流せば自動で水が貯まる白い陶器の樽の中にそれはある。
蓋を開ける時は二人で開けることが条件である。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
音読解読 二冊目 はいかがでしたでしょうか。
明日は新章を投稿いたします。
「狼の小冊子」に比べ「黒豹の小冊子」は、
話数こそ多いのですが、実際は同じ原稿用紙枚数です。
狼は一話につき原稿用紙二十四枚分でした。
黒豹は一話につき十六枚です。
明日から投稿する新章の原稿用紙枚数は十二枚程度になります。
こちらの都合で申し訳ありませんが、
引き続き読んでいただけるとありがたいです。
いつになく長い後書きになりましたが、
今後ともよろしくお願いいたします。




