黒豹の小冊子 その七
黒豹の小冊子 その七 です。
早い話、春生は僕に厄介な本を残したということだ。
小冊子に描かれている同姓同名の主人公が、この状況に置かれたとしたら、どのように立ちまわるのだろう。もちろん、三ヶ月前の出来事を体験しているのは石田春生ではあるけれど、創作物の中では井上優太が主人公だ。馬鹿げた話だけれど物語の井上優太と現実の自分を比較してしまう。
マグカップから目を話して桜子ちゃんに目を向けると、小冊子をテーブルに立てて読んでいた。表紙に描かれた黒豹が僕を見ている。正確には僕が黒豹の絵を見ているわけだけど。この小冊子探しをしている中で引っかかっていることはまだある。なぜ春生は僕だけでなく、桜子ちゃんまで小冊子探しに参加させたことだ。春生の手紙には僕ら二人で小冊子を探して、自分を見つけろと書き残されていた。探すだけなら僕一人でも良かったはずだ。さらにもう一つ。春生が手に入れた本がなんであるのかを知ることができないということ。
小冊子探しについても整理してみよう。
小冊子及び春生が手に入れた本を見つけ出すには、僕と石田桜子だけ。
小冊子は誰でも読めるわけではない。
第三者が小冊子を閲覧するには井上優太が読まなければいけない。
こんなところか。
小冊子を僕以外読むことが出来ないという不思議な力がどんな原理で働いているのかわからない。
中村さんは魔法というような超常の力ではないと明言している。
そうだな。次は、現時点でわからないこと。
小冊子を特定の人物にしか読ませない原理。
小冊子を四つにわけた理由。
渡辺姉妹が使ったという結界。
巨大動物の出現方法及び退出方法。
思い浮かべただけで軽い溜息が出てしまった。なんだ、これは。非現実過ぎる。創作系の物語に登場する主人公であれば簡単に受け入れてしまう事実かもしれないが、僕にはいまだに信じられないでいる。よく現実を受け入れろと言われるが、非現実を受け入れるのは容易なことではない。
もうわからないことを考えても無駄だ。せめて、考えても答えが出そうな問題でもやってみようか。
僕は電車の中で行った水平思考の問題を再思考してみた。
本を読むと老人になる。
男が老人になったのは本を読む以外になにかをした。
さらに老けているように見えて実年齢はそのまま。
その本は読んだとしても、老人以外にもなれる。
これらの矛盾を解くことが難しい。紙とペンがあれば箇条書きにして、もっと思考が広がるはずだけど、あいにくそういうのは持ち合わせていない。こういう時にだけ、手帳があればいいなと思う。毎日が予定の無い日々だから、持っていても宝の持ち腐れになるのはわかっていたから購入してこなかったけど考え方を改めたほうが良さそうだ。携帯電話にあるメモを使ってもいいかもしれないけどメモを残す行為では、何かを考えることには向かない。やっぱり頭の中に入れ込むには紙とペンなんだろうな。
ダメだ、集中力が続かない。頭の中がもやもやし始める。コーヒーを一口のむ。すでに温くなったコーヒーが胃に落ちていく。
考えるのも疲れた。目の前にあるフィッシュにタルタルソースを付けて食べる。今更だけど、フィッシュが美味いとか不味いとかじゃなくて、このタルタルソースが美味しいのではないのかと思えてきた。
フライドポテト数本を摘んでぽりぽりと齧る。桜子ちゃんのほうは小冊子を読み続けているけれど、ハンバーガーは食べ終えていた(本当に早いな!)。
今のうちにと、目の前にあるのにその存在を忘れていた加藤のために注文したテイクアウト用の箱に触れた。
「これ、加藤に届けてくるよ」
「ん。わかった」
僕がテイクアウト用の箱を手にして立ち上がると「待って」と桜子ちゃんが呼び止める。
「これ、ありがとう。助かったわ」
そういって、いまのいままで羽織っていた僕のジャケットを返してくれた。
ジャケットに袖を通して、加藤のハンバーガーを持って店外へ出た。加藤と中村さんは店先にあるベンチに座っていた。
加藤にハンバーガーを渡すと「待ってました!」と小さな歓喜の声を上げた。子供みたいな声をあげるほど腹を空かせていたとはね。
加藤が箱を開くと、これまた大きなハンバーガーが登場した。しかも、フライドポテト付きだ。箱の中にはハンバーガー用の包み紙があったが、加藤はその包み紙を使わずに、ハンバーガーを両手で掴んで大きな口を開いて齧り付いた。この男も美味そうに食べるな。
「さっき小冊子を読み終えたんですけど」
中村さんと向き合って話しかけた。
「次の小冊子は、中村さんたちが泊まったビジネスホテルのトイレにあるみたいなんです。どこのホテルだったか覚えています?」
「さすがに覚えてないなー。朝も早く出かけたし、宿泊したところなんていちいち覚えている余裕さえなかったからね」
「ホテルの名前はブレーメンという名前なんですけど」
「ホテル名を言われても、やっぱりピンとこないなー」
携帯でホテルの検索は何気に面倒だなと落胆していると、僕の肘を加藤が何度も叩いた。なんだよ、一体。
「あんたのチョイス抜群だな。これめちゃくちゃ美味いぞ!」
こっちはこっちでハンバーガーを貪りながらはしゃいでいる。こいつ、本当に渡辺姉妹と向かい合う気があるのか心配になる。
「井上さん、さっきビジネスホテルって言った?」
「言いましたけど」
「それっていつの話?」
「いつって。ここにいる加藤と渡辺姉妹から逃げるために黒豹に乗って、それからホテルにって書いてありましたけど」
「あの日の夜。あたしらビジネスホテルなんかに泊まってないよ」
「え。じゃあ、どこに泊まったんですか」
「ラブホ」
「なんで?」
僕はよく考えもせずに、思いついた言葉を中村さんにぶつけた。
「いや、なんでって言われても困るよ。とりあえず身を隠せて、休める場所を探していたらラブホがあったの」
「いやいやいや。あの、小冊子を探すためには僕と桜子ちゃんが一緒なんですよ。なんで、ラブホテルなんかに隠したんですか」
「春生くんに言ってよ。あたし関係ないじゃん」
分かっていますよ。わかっているけれど、このことを声に出さないでどうする。十代の女の子とラブホテルは、道徳的にまずい。都条例は大丈夫かもしれないが、年齢差のある場合、大人の男としてどうなんだ。
頭を抱える僕に中村さんが、そっと肩を触れた。
「桜子ちゃんとやりたいの?」
中村さんはからかう様でもなく淡々と質問を投げかけてきた。冗談交じりに聞いてくれたほうがよっぽど気楽になれる。というか、ストレートに聞きすぎでしょう。
「十代っていいよねー。あの子、スポーツしていたから色んな意味で引き締まっているよ」
「千弦」
加藤が低い声で中村さんを呼び捨てた。
「なによ」
「張られたぞ」
中村さんは首を振らずに、眼球だけを左右に動かした。加藤もだ。彼らには、何かが見えている。僕も釣られて辺りを見渡すが、彼らが見ようとしているものがなんだかもわからないし、なにも見えない。
「あ、マジだ」
中村さんの顔つきが変わった。それだけではない。彼女の周りから感じ取れる場の空気も違っていた。僕の地肌に針よりも細く氷のように冷たい繊細な刺のような物が感じ取れた。言葉にされなくてもわかる。ここにいると、まずいことになる。
「早く桜子を連れて来い」
言われるがまま、急いで店の中へと駆け込んでいった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
黒豹の小冊子 その七 如何でしたでしょうか。
ほぼ井上優太の独り語りでしたが、
現状把握をすることは彼にとっては必然だと思います。
明日も投稿します。
よろしくお願いいたします。




