梅の可愛いお尻
「 お早う」
縁台の端を持ち上げ少しずつずらしていると、後ろから矢野様の声がした。
慌てて背を伸ばし後ろを振り返ると、矢野様が微笑むというより可笑しそうに笑いを堪えていらっしゃった。
「 おは、おはようございます。じゃなかった、いらっしゃいませ」
お尻を突き出してうんうん言っているあんまりな格好を見られては、緊張どころではなかった。
しかも笑われている。恥ずかしいのを通り越し腹が立ってきた。
目を据わらせて頬を膨らませるが、矢野様はまだくっくと笑っていらっしゃる。
「 ひどいです。あんな格好の時に」
そうだ。せめて私が立ち上がるまで声をかけずにいて下さったらよかったのだ。
矢野様は私を見ながら堪えきれないといった様子で、くすくすと笑いながらおっしゃった。
「 いや、あんまり可愛くて、声をかけずにいられなくて。ごめんね」
そう言いながら、じっと私を見つめられたので、心臓がこれでもかと強く跳ねた。
男性からの褒め言葉は笑って聞き流す習性であるはずなのに、この動悸はどうしたことだろう。
「 いつもそんなに頑張って出してるの?これ」
縁台を指して尋ねられたので、頷いた。
「 可愛いね。仕事がなければ毎日見に来たいくらいだよ」
そう笑っておっしゃると、私にはかなり重たい縁台の真ん中を両手で掴んでひょいと持ち上げ、いつもの定位置に据えてしまわれた。
矢野様の可愛い、は大安売りだ。気にする必要はない。
そうは思うが、それとは別に男性特有の力強さに矢野様がいっそう魅力的に感じられ、胸が詰まる。
それに、腹を立てていてもこれではお礼を言わざるを得ない。
「 有り難うございます」
矢野様がにっこりと笑われた。
「 いいえ」
全開の笑顔が可愛らしすぎて頭がくらくらしそうだ。
動悸と緊張が酷くなるから笑わないで欲しい。
あんなに好きだった美人さんの笑顔を、初めて見たくないと思った。
ああ私はお優しい矢野様になんて失礼なことを考えているんだろう。
矢野様がお綺麗でお可愛らしいのは矢野様の所為ではないし、ぎこちない私が気まずい思いをしないようにと、優しさから笑って下さっているはずだ。
私が中身もお姿も綺麗な魅力的な男性に免疫がない所為でこんなにうろたえているのだ。
そうだ。矢野様は私がちゃんと話せないことに関しては何も悪くない。ただ、さっきちょっとだけ人がお悪かっただけだ。
動悸を受けて震える息を吸い込むと、何とか声を出した。
「 あ、ありがとうございます」
矢野様が怪訝なお顔をなさった。ついさっきも言った言葉だから当然だろう。
「 このくらい気にしないで」
「 いいえ、そうではなくて、あの・・・」
言葉を途切れさせた私をみつめて、矢野様が優しい表情に戻って待って下さっている。
「 うん」
ああ、駄目。この優しいお顔も駄目。また動悸が激しくなる。
「 あの、わたし、このあいだからちゃんとおしゃべり出来なくて、すごく失礼な感じなのに、いらしてくださって有り難うございます」
矢野様が微笑んだまま静かにおっしゃった。
「 いや、それこそ気にしないで。全く失礼ではないよ、話さなくても可愛いし。私が君に会いたくて来ているだけだから」
私の態度を不快には感じられていないと証明するような優しいお声に心底安心した。そしてその矢野様のお優しい気持ちが好ましかった。
「ごめんね」
不意に矢野様がそうおっしゃった。どうなさったのだろう。何に対して謝っていらっしゃるのかしら。
強張りながらも首を傾げた私に、縁台に腰掛けぽんと膝を叩かれた矢野様がおっしゃった。
「 お茶を下さい」
我に返った。
「 は、はい。すぐに」
その日から緊張しながらも何とか会話が出来るようになった。
矢野様が、私が上手く話せないことを気にならないとおっしゃったことで、ゆっくり元に戻れば良いのだと緊張が和らいだようだ。
上手く話せなくても矢野様はいらして下さる。そう思えることはとても心強い支えになった。
「 お早う。あれ?今日はもう出しちゃったの?間に合ったと思ったんだけどなあ」
矢野様が珍しく続けて早朝にいらっしゃった。
「 お早うございます。ええ、さっき清秋様が通りかかってひょいひょいと」
矢野様がこれまた珍しく苦々しげな表情で皮肉をおっしゃった。
「 そう。君の義理の兄上は過保護だね」
私もそれには反論する気にもならないので素直に頷いた。




