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ぎこちない梅



男の人になってしまった矢野様が、お客様として現れた最初の日は散々だった。


「 こんにちは 」

「 い、いらっしゃいませ・・・」

帰られたお客さんの皿を片付け小屋から出てきたところに、笑顔の矢野様が立っておられた。

心臓が非常に驚いたようだ。呼吸を再開するのに自分の意思が必要なほど強く打っていた。

ここ数日、矢野様がいらっしゃった時に備えて心の準備はしておいたはずなのに、迎える声も細く震えるようなものになってしまった。


駄目だ。私がこんなことでは、酷い勘違いをせっかく水に流してお客様に戻るとおっしゃってくださる矢野様のお心が無駄になってしまう。

気まずい空気にしてはいけない。以前のように自然に、と自分に言い聞かせるが、緊張し焦っている心は全く言うことを聞かない。

動悸が激しくなるばかりで一言も続く言葉が出てこなかった。

どうしてだろう、この間はまだましだった。会話が出来ないような状態ではなかったはずだ。

サエとあんな話をした所為で、余計に矢野様のことを男の人として意識してしまい緊張を誘っているようだった。


矢野様を見つめたまま固まってしまった私に、矢野様がにっこりと笑いかけられた。

優しい穏やかなお顔を見て、私の硬直が解けた。どきどきは更に強まった気がしないでもないが。

「 座ってもいい?」

「 あ!はい!もちろんです。ごめんなさい!」

矢野様は微笑を絶やさず、私が茶の準備をするのを眺めておられた。

柔らかい矢野様の雰囲気に助けられてはいたが、見られていると思うと手が震えて粗相をしてしまいそうで尚更緊張した。


お茶をお出しして一息吐いたところで、矢野様が私の方を見ておっしゃった。

「 どうしてそんなに離れてるの?」

少しだけ困ったような微笑に胸が痛いような動悸がするばかりで、どう答えていいのか全く思いつかない。

まとまらない考えの隙間に、目に入ってくる今まで気付かなかった矢野様の男らしい部分がぎゅうぎゅうと詰まっていくような感じだった。

男の人だ、男の人だ、男の人だ。意識すればするほど何も考えられなくなる。

「 やっぱり、あんなことがあった後では気まずいかい?」

あんなことって何だろう?頭が働かない。

でも、これはきっと気まずいのとは違うだろう。

私は取り合えず無言のまま首を横に振った。

矢野様がわずかにほっとした様な表情をなさった。

「 そう。ではもう少し居ても良い?いや、こんな聞き方をしては君が断れるはずはないな」

矢野様が笑みを引っ込めて少し目線を下げられた。

「 いえ、そうじゃなくって!いらして下さってとっても嬉しいんです!でも、あ・・・・」

嬉しい、と言ってしまってから、またやってしまったと後悔した。こういう男友達としては行き過ぎる私の言動が矢野様を傷付けたのだ。

気まずい顔の私に気付かれた矢野様は、何も言わずとも私の気持ちを理解されていらっしゃる様だった。


「 いいんだよ。客として本当にそう思ってくれているということだろう?勘違いはしないから、言いたいことを我慢する必要はないよ」

そうおっしゃったが、その目を見ているとどうしても、私の言動の所為で元気がなくていらっしゃった時の寂しい色を探してしまう。

「 でも、それでは・・・」 

「 大丈夫。また私が落ち込んだりしないかと気を使ってくれてるんだろう?君の気持ちが分からなくて随分大人げない姿を見せてしまったからね・・・。自分で言ってて情けなくなるな・・・」 

矢野様が視線を下げて自嘲気味におっしゃるので申し訳なくなった。

私が勘違いなどしなければ、あんな常にないお姿を人に見せられることもなかったのだ。

謝りたかったが言葉が出ない。

矢野様が顔を上げられて私を見つめられた。

「 もう君を心配させたり困らせたりはしないよ。私はただの客で、君がそうやって好意を素直に表してくれているのは、女友達だと勘違いしていた時があったからだ。ね?今はちゃんと分かっているから勘違いのしようもないよ。そうだろう?」 

矢野様はとてもお優しい表情でそうおっしゃった。

私は何を言っていいのか、どうして良いのかも分からず黙っていた。

見つめられたまま黙っていると、息の仕方を忘れたかのように息苦しさを感じた。


「 だから、何も心配せずに思ったことを言ってくれないかい。好意でも嫌気でも良いんだ。その方が誤解はないだろう?もちろん、好意が客としてのものだってことは肝に銘ずるよ」

良く分からなくなってきた。それで良いんだろうか。

でも、確かに私は矢野様の訪れを嬉しいと感じていたし、それを隠してまで矢野様のことを遠ざけたいとも思っていなかった。

そして、息が苦しかった。思考を邪魔する動悸も煩わしかった。早くこのぎこちない自分から抜け出したかった。

「 ・・・分かりました。すぐには難しいかもしれませんけど」  

矢野様がほっとしたように目を細めて、嬉しそうに微笑まれた。

また動悸が強くなる。

「 良かった。改めてただの客として何も気にせずに普通に話してくれると嬉しいよ」 

相変わらずお可愛らしい笑顔をみると、ぎゅっと胸が締め付けられる様だった。

普通に?普通ってどうするのだったかしら?この動悸と息苦しさで普通にお話なんて出来るのかしら?

一方で、もっと笑顔を見たいとも思った。

男性の矢野様とも、以前のような、私の言葉に声を上げて笑ってくださるような関係になりたかった。

ちょっと親しいお客様と給仕として感じていた、あの穏やかで楽しい空間を取り戻したかった。

でも今は二人きりのこの空間が苦しくて仕方がなかった。

相変わらず私を見つめていらっしゃる綺麗なお顔に耐えられずうろうろと視線を彷徨わせる私に、矢野様がもう一度穏やかなお声で尋ねられた。

「 もう少し居ても良い?」

「 ・・・はい」


矢野様はそれから、ほとんど返事も出来ない私相手に根気良く優しく話しかけられた。それでも顔が強張り作り笑いさえ出来なかった。

矢野様は笑顔で店をあとにされたが、もういらっしゃらないかもしれない。

お客様が給仕に気を使わなくてはいけない茶屋など存在意義もないだろう。

いらっしゃらなくなっても当然だった。

上手くしゃべれなかった自分に、せっかく矢野様のおかげで繋がっていた縁を自ら切るような真似をしてしまった自分に、涙が出た。



しかし矢野様はその後も店にいらして下さった。

驚く私に優しく微笑んで下さった。

きっと矢野様は私が以前のように戻るまで待っていてくださる。頑張ろう。そう思った。












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