7 帰って来たマリー
その日はとりあえず、商会の従業員寮に戻ることにしたマリー。
夫ファビアンは「イヤだ! もう、このままこの屋敷で暮らせばいいじゃないかぁ! 必要な荷物があれば使用人に取りに行かせるから!」と、まるで母親に置き去りにされそうな子供の如く(姿は【恐怖のミイラ男】だけどね)マリーに取り縋ったが、さすがに1年間お世話になった職場を挨拶も無しにバックレるのは人としてダメだろう。いくらテキトーなマリーでも、そのくらいの常識は持ち合わせていた。
結局、執事のセバスチャンが「旦那様。きちんと手順を踏んで奥様をお迎えするべきでございます。少しくらい我慢なさってください」とファビアンを説得してくれて、何とかマリーは従業員寮に帰ることが出来たのである。
それから2週間後。
商会を退職し、従業員寮を出ることになったマリーを、伯爵家の面々が迎えに来た。DV夫と正式に離縁したマリーを、故郷の家族が迎えに来たという設定である。ちなみに平民の離縁は貴族とは違い、簡素な手続きで済む。
父親役、執事のセバスチャン。
母親役、メイド長。
兄役、庭師。
弟役、調理人見習い。
という配役だ。
見送ってくれる商会の皆に、まずセバスチャンが挨拶をする。
「皆さん、うちのマリーが大変お世話になりました」
メイド長は目頭にハンカチを当てながら声を絞り出す。
「あのDV男からマリーを助けてくださって、本当に感謝しております」
身体の大きな強面の庭師が誓う。
「皆さん、ありがとうございました! これからは俺たち家族がマリーを守ります!」
まだ15歳の調理人見習いはキョドキョドしていたが、メイド長に脇腹を小突かれ、台詞を思い出したようだ。
「お、俺もマリー姉ちゃんを守りましゅ!」
噛んだ……
マリーを可愛がってくれた商会長の妻が、安堵の表情を浮かべる。
「こんなにしっかりしたご両親と頼もしい兄弟が一緒なら安心ね。マリーちゃんがいなくなるのは寂しいけど、王都にいればまたあのDV男が近付いてくるかもしれないし、故郷に帰るのがマリーちゃんにとって最善だと思うわ。マリーちゃん、1年間ありがとうね」
従業員達も口々に「マリーちゃん、ありがとう!」「元気でね!」「俺達のこと忘れないでくれよ!」「幸せにね!」「またいつか会おうね!」と温かい言葉をかけてくれた。
「皆さん……お世話になりました。本当にありがとうございました」
演技ではなく、マリーの目から涙が溢れ出る。
こうして商会の皆に別れを告げ、マリーは伯爵邸に戻った。
伯爵邸に着くと、夫ファビアンが嬉し泣きをしながら出迎えてくれた。
「おかえり、マリー」
今こそ、あの台詞の出番ではなかろうか? と、マリーは思った。そして口にしてみた。
「お前に会いに来たんじゃない。風に呼ばれて来ただけだ」
マリーの【一度言ってみたい台詞】自分ランキング堂々の第1位! 歌劇中の勇者の台詞である。
呆気にとられる使用人達。だがファビアンだけは一人、目を輝かせた。
「勇者よ。それでもアナタは来てくれた。アナタだけが俺を見捨てずに来てくれたんだ……ありがとう、ありがとう、勇者よ」
ノリノリで歌劇の台詞を返してくれる夫。
マリーと夫ファビアンはひしと抱き合った。そして二人で叫んだ。
「「ともに生きよう! ともに光をつかむのだ! この虹の向こうに、きっと明るい明日がある!」」
もう勝手にしてくれ……使用人達は心の中で呟いた。
翌年、マリーは夫にそっくりな男児を出産した。
その後も次々と子を授かり、結局、数年後には4人の子の母となったマリー。子供が出来ずに悩んだ3年間は一体何だったのかと思うが、人生なんてそんなものかも知れない。
子供達はやかましい時もあるが、やはり可愛い。
夫ファビアンとも概ね円満だ。
きっとこんな日々を人は「幸せ」と呼ぶのだろう。
ちなみに、夫から貰った例の金は未だ返していない。
さすがにもう時効ではなかろうか? 知らんけど。
終わり