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その4

 <4>


 先を行くキキの後を追って、わたしは隣のC組教室に入る。綾子は宗像をどこへ連れて行ったのか、教室を覗くとふたりの姿はなく、数人の生徒が残っているだけだった。最初から引き戸が開かれたままだったので、わたし達が入ってきたことには誰も気づいていない。

 キキはすでに見ているというのでスルーしたが、廊下に設えられている生徒用ロッカーは上下二段になっていて、上が男子、下が女子と分けられている。もちろん生徒数がいつもロッカーの数と一致するわけじゃないので、どうしても使われないロッカーが出るが、そうした空きスペースは悪戯防止のために開けられなくなっている。

 被害に遭った六人のロッカーは当然すべて下の段にあるが、改めて見てみると、偶然とは思えないもう一つの特徴が見えてくる。キキは、ロッカーに書かれている名前をすべて記憶していたから、宗像から話を聞いただけでその特徴に気づけた……いや、それだけでもう驚異的なのだが。

 C組の女子生徒を出席番号順、つまり名前の五十音順に並べると、六人の名前は一つ置きに並んでいるのだ。一定範囲に規則的に並んでいる人だけがチョコを用意し、それが一斉に盗まれるという、極めて不自然な状況が見て取れた。

「キキ、もしかしてこれって……」

「たぶんその想像は当たってるよ。でももう少し詰めが必要になるかな」

 そう言ってキキは、窓際で談笑している二人の女子に近づいていく。

「ねえ、ちょっといいかな」

「ん……? あなた、その制服って燦環中のじゃない?」

「ええ。燦環中学校二年生のキキといいます」

 キキはにっこりと微笑む。が、宗像と違ってこの二人はときめかなかった。まあ、今の笑顔は相手を籠絡(ろうらく)するほど強烈じゃない。

「なんで他校の生徒がここに? 生徒指導の浜口に怒られるよ」

「あ、その先生の話ならさっき聞いたよ。そっかぁ、わたしがいるだけでも怒るのか。だったら早めに済ませよ。お二人も、今日のチョコ騒動は見ていますよね」

「チョコ騒動? ああ、あれ酷いよね」

「ねー、せっかく作ったチョコが盗まれたうえ、ドロドロにされてトイレに撒かれていたんでしょ。あれよっぽどバレンタインに恨みある奴の仕業だよ」

「だよねー、ぜったい」

「あの……とりあえずこいつの話を聞いてくれませんか」

 放っておくと愚痴や恨み言がヒートアップしそうなので、わたしは止めに入った。すると二人は、わたしを見て目を見開いた。

「わっ、坂井もみじだ! 本物!」

「えー、坂井さん、この美人さんと知り合いなんですか?」

「知り合いってか、友達だけど……わたしのことはよく知ってるんですね」

「そりゃあ学校中の噂になるくらい有名ですよ。なんでも、バッファローの大群に挑んで打ちのめしたとか」

「そうなのっ?」本気で驚くキキ。

「んなわけあるかっ! 水牛もバイソンも見たことすらねぇよ!」

 なんでわたしには根も葉もない、というかいい加減な武勇伝が広まっているのだろう。いっぺん噂の元凶を調べ上げて、卍固めでも決めてやろうか。

「そんな馬鹿な噂はどうでもいいから、こいつの話を聞いてあげて」

「ではご指名にあずかりまして」と、キキ。「チョコを盗まれた六人、今はどちらに?」

「たぶん、みんな部活とかに行ったと思うよ」

「心ここにあらずって感じだったけど」

「じゃあ……保坂(ほさか)潤也(じゅんや)って人はどちらに?」

 なんかいきなり知らない名前が出てきたぞ。

「保坂くん? さあ……あいつ、何か部活に入ってたっけ」

「しらなーい。そんな目立つ奴じゃないし」

「てか、保坂くんがどうかしたの」

 その保坂(なにがし)は女子の間で平均的評価の域を出ないようだ。キキは、なぜそんな男子生徒のことを気にしているのだろう。

「保坂くんって、チョコを盗まれた六人の女の子の誰かと、親しくしていたって事はないかな。話している所を見たっていうだけでもいいけど」

「そういや、萌と幼馴染みだって聞いたよ」

「斎藤萌さん?」キキが確認する。

「なんだ、知ってたんだ。あれさ、萌も本命用意しているって言ってたけど、絶対保坂くんに渡すやつだよね」

「だよねー。こんな事にならなきゃ渡せたのに、保坂くんも気の毒な」

「でもこの騒ぎがなかったら、浜口が没収しただろうから、どちらにしても渡せないんじゃないかな。あーあ、よりによって浜口のクラスに当たるとかサイアクだし」

「ねー、浜口の噂ってずっと前からあったし、正直ハズレ引いた気分だわ」

 ……なんか、止めなければ延々と愚痴が続きそうな勢いだ。

「浜口先生って、没収したチョコはどうしてるんですか?」

 そしてキキは愚痴の勢いに拍車をかけるような質問を仕掛けてくる。こんな会話を聞かされて何かあるのだろうか……。

「さあ。案外、持ち帰って自分で食べてたりして」

「うわあ、それはマジ引くわ。だってあいつ、チョコ渡す現場に居合わせた時、泣くのも構わずチョコを取り上げたらしいよ。そこまでしといて自分が食べるなんて鬼畜じゃん」

「ねー、さすがにそれは先生としてまずいよね」

 酷評していても、さすがに教師としてのモラルは持っていると、この二人も考えているようだ。これでもし本当に言ったとおりだったら、どんな反応をするだろう……。

「浜口先生の担当科目って、何かあります?」

「ああ、浜口は男子の体育担当だよ。保健は別の人だけど」

「体育……C組の時間割って」

 キキはそう呟きながら、黒板脇に視線を向けた。そこには時間割の貼り紙がある。きょうは金曜日。ホームルームから始まって、国語、英語、美術、理科、給食と昼休みを挟んで、社会、そして保健体育。

「……六時限目の保健体育って、何やったの?」

「女子は教室で保健の授業、男子は体育館で……ねえ、男子って体育なにやった?」

 廊下側で何やらこそこそと話していた男子生徒たちは、女子からの突然の質問に驚かされた様子だったが、すぐに答えた。

「えっと……二組に分かれてバレーとバスケを」

「うちはC・D・E組の合同で、保健体育と芸術科目をやるからね」

 補足説明を行なったわたしに、キキが顔を向けてくる。

「ねえ、体育の授業の時は、やっぱり体操着に着替えるの?」

「うん、体育館に行ってからね……うちは制服の着用が任意で、私服で来る生徒も結構いるから、下に体操着を着ている人なんて滅多にいないからね。体育館の脇に更衣室があって、そこで着替えるの」

「そっか……もっちゃん、体育館ってどの辺にあるの?」

「その呼び方はやめい。校舎の見取り図なら……」わたしは制服の胸ポケットから生徒手帳を取り出す。「ほら、これに書いてあるから」

「生徒手帳、律儀に持ち歩いてるんだね……」

「なぜだかこういう時だけ優等生になるんだよね、わたし……」

 キキは生徒手帳をパラパラとめくり、見取り図が載っているページで手を止めてじっと見たあと、満足したようにパタンと閉じた。わたしに手帳を返しながら、再び男子生徒たちに向き直って尋ねる。

「ねえ、体育の授業中に体育館を離れた人っていたかな」

「ど、どうだったっけ……なあ?」「あんまりよく覚えてないよなあ」「どっちも六人ずつのチームでローテーションしてたからなあ」

 挙動がおかしいぞ、男子ども。どうやら宗像と同じく、キキにちらちらと視線を送っているようだ。

「あっ、確か潤也が二分くらい、トイレに立ったと思うけど」

「保坂潤也くん?」

「そうそう」

「もしかして、いちばん最後に着替え終わったとか」

「えっ、あ、はい……そのとおりです」

「分かった。ありがとね」

 そう言ってキキは柔らかな笑みを浮かべた。もちろんこれは、人を籠絡する威力が十分にあって、男子どもは締まりのない顔で笑い返した。

「わー、美人さんに感謝されて鼻の下伸ばしてるし」

「これだから男は……」

 さっきの女子ふたりにも散々に言われているが、そろそろどうでもよくなってきた。

「で、どうなの? 調査の首尾は」

 今度はスマホを操作し始めたキキに、わたしは訊いた。質問の意図のぜんぶが分かったわけじゃないが、わたしも仮説を詰められたかもしれないのだ。

「そうだなぁ……とりあえず、今できる最善の解決をするしかないかな。よし、送信」

 どうやらメールを打っていたらしい。キキは『送信』をタップした。

 直後、机のひとつから携帯の着信音が鳴りだした。

「? キキ、あれにメール送ったの?」

「いや、違うけど……なんだろ」

 わたしとキキは、着信音のする机に近づいた。一向に鳴り止まないということは、電話の着信みたいだ。

 机の中にはスマホが一台。画面には『琴音ちゃん』と表示されている。もしや、被害者のひとりの水野琴音だろうか。今どきの女子中学生のスマホにしては飾り気が少ないが、アクセサリーがひとつだけついている。“S”“W”と書かれた小さなプレートが二枚、大きめのプレートにはめ込まれたキーホルダーである。

 なるほど、と呟いたかと思うと、キキは『通話』をタップして電話に出た。

「ちょっ、キキ、それ他人の携帯……」

「もしもし?」

「あ、すみません」相手の声が聞こえてくる。「それ、わたしのスマホなんですけど、今どこにありますか?」

「二年C組の教室ですよ、芹沢愛美さん」

「……わたしの机の中にありましたか」

「ええ」

「だったら、すぐに取りにいくので、そこで待っていて……」

「大丈夫、わたしが届けに行きますよ。体育館の更衣室の裏ですよね」

 しばらく、沈黙が続いた。

「……なんでそれを?」

「チョコを盗まれたという人たち、みんなそこにいますよね。全員で待っている必要はありませんよ。せっかくの機会を逃すのはよくありません」

「あなた、どうしてそこまで……」

 どうしてそこまで分かっているのだ、と言いたいのだろう。キキが本気になって頭を働かせれば、分からない事などない。

「わっ、やべぇ……!」

 急に男子たちが慌て始めた。見ると、廊下に人の影があった。どうやら、厄介事の元凶が現れたらしい。キキもそれを察して、電話の向こうに早口で告げた。

「三十分後くらいにそちらへ行きます」

 そうして通話を切ってすぐ、教室に浜口先生が現れた。

「いつまで残ってるんだ、お前たち。用事がないなら早く帰れ!」

 いかつい顔と神経質な態度が、我の強さと融通の利かなさを物語る、それが生徒指導の浜口先生の第一印象だった。あえて悪く言えば、旧態依然といったところだ。

 他校生の存在は、すぐ浜口の視界に捉えられた。

「きみ、その制服は……我が校の生徒ではないな」

「燦環中学校二年生のキキです」

 相手があからさまに敵意を向けているというのに、キキはそれでも普段どおりだ。

「ああ、以前にも何度か、我が校に無断で入り込んできた生徒か。まったくけしからん。よそ者が闊歩していては生徒たちの規律が乱れる。とっとと出ていきなさい!」

 そう言って浜口先生がキキの手首を掴んだ、その刹那……。

 わたしは、頭の中が真っ白になった。

 気が付くと、キキに向けられた浜口先生の腕に手刀が振り下ろされ、先生はキキから手を離し、手刀を受けた箇所を押さえた。もちろん、やったのはわたししかいない。

「あっ……」

 瞬時に我に返った。反射的にキキを守ろうとした、のだろうか……。

「ちょ、見た? いまの攻撃」

「むしろ速すぎて見えなかった」

 さっきの女子ふたりが何やらはしゃいでいるが、それに構っている場合ではなかった。やってしまったという意識はあるが、それだけではない。今は間近にいるから、すれ違いざまの時よりはっきりと嗅ぎ取れた。

「おい君、生徒が教師に手を上げるなど……」

「浜口先生」今度は先生の右手首を掴む。「……先生の手から、チョコのにおいがします。はっきりと」

「は……はあ?」

「今日はチョコの没収はやってないですよね。てか、没収しただけじゃここまではっきりと匂いません。先生、直接チョコに触れていましたね。ついさっきまで」

「おい!」浜口先生はわたしの手を振り払った。「いい加減にしないと処分の検討を職員会議にかけ」

「なるほどやっぱりそうでしたか」

 浜口先生のセリフを遮るように、キキがひときわ大きな声で言い放った。

「チョコを盗んで、挙句に融かして捨てた犯人は、浜口先生でしたか」


 キキのひと声で、さっき慌てて帰ろうとした男子たちも、出入り口近くで立ち止まって成り行きを見守り始めた。

 さて、今いちばん慌てているのは浜口先生だ。

「ふ、ふざけるのも大概にしろ! なぜ私がそんな事を……!」

「見せしめのため、ではないですか」

「み、見せしめ……?」

「あなたは毎年、バレンタインの時期に所持品検査を行ない、チョコなどを強制的に取り上げているそうですね。理由については聞きません。ですが、一種の恐怖政治ともいうべきあなたの行為が、学校の内外で噂になっているにも関わらず、今年がそうであったように、チョコを持ってくる生徒が後を絶たない。業を煮やしたあなたは、先々月の銃撃事件の影響を追い風に、根本的な対策に乗り出そうとしたはずです」

 先生は反論しなかった。どうやらこれは、キキの指摘どおりだったようだ。

「そうして思いついたのが、校内でバレンタインに嫌なイメージを植え付けることでした。自分のクラスでチョコを持ってきている生徒がいることを知って、あなたはそれを盗み、融かして捨てるという手段に出た……このやり方から見て、犯人はどうしてもバレンタインのイベントを台無しにしたいようです。そして、C組の授業の動きを完全に把握できるのは、やはりC組の関係者しかいません。そうなると、あなた以上に有力な容疑者は他にいません」

「でっち上げだ!」先生は声を張り上げた。「大体、所持品検査もしないうちに、生徒がチョコを持ってきていることをどうやったら知れるというんだ!」

「またまたぁ」キキは悪戯っぽく笑った。「女子のロッカーを一つひとつ開けていけば、すぐ確かめられるじゃないですか。確か三時限目が美術で、その時はC組の生徒が全員、美術室に行ってて教室は無人ですから、調べる隙はありますよね。授業中なら誰も廊下を通りませんし、女子のロッカーは下の段です、他の教室からは見えません」

 本当に、見てきたような推理を展開する奴だな……。

「た、たとえそうだとしても、生徒たちの話だと、盗まれたのは六時間目の最中だったそうじゃないか。その時間帯はこの教室にも生徒がいた。ロッカーは開けたら音が鳴る。こんな状況でどうやって盗み出せるというんだ!」

「わたしもロッカーは見ましたけど、マグネットキャッチで扉を固定しているから、ある程度の隙間が作られているんですね。ピッタリすぎると開けにくくなりますから。その隙間を使えば、ラッピングくらいは取り出せます」

「な、何を言って……」

「六時限目が始まる前にチェックしたと言っても、わざわざラッピングを解いて中身があるかまでは確かめないでしょう。三時限目の美術の時間に、チョコをすべて取り出した後、別の物を詰めてロッカーに戻せば、簡単なチェックならパスできます。そうですね……痕跡を残さないようにするなら、ドライアイスを詰めるのがいちばん簡単でしょうか。ラッピングに気づかれない程度の隙間を空けておけば、そこから炭酸ガスが抜けます。で、あとはそのラッピングにつけていた細い糸か何かを、ロッカーの扉の隙間に通しておけば、引っぱるだけで扉を開けずに取り出せます。ロッカーはいつも荷物でいっぱいですから、糸を隠せる死角なんていくらでもあるでしょう」

 キキの、見た目にそぐわない理路整然とした説明に、次第に先生も反論がやりにくくなってきたようだ。先生が口を開く前に、畳みかけるようにキキは言った。

「そもそも、チョコをすべて融かすには、それなりの時間が必要なはずです。ならば、六時限目に盗まれたと考えては、時間的に無理があります。それ以前にすでに盗まれていて、気づかれない何らかの細工をしていたと考える方が自然です。そして職員用トイレを捨て場所に選んだのは、先生が出入りしても怪しまれず、かつ人目に触れない所だから」

「いい加減にしろ! さっきからふざけた事ばかり言って大人を侮辱して……そんな話、証拠がなければ名誉毀損も同然だ! 親御さんを呼びつけるぞ!」

「ああ、それは無理です」

「な、なんだと?」

 勢いを挫かれて二の句が継げない浜口先生。事情を知るわたしは、まあそうだよな、としか思わなかった。言わないけど。

「まあ、先生の手にチョコのにおいがついているというのも、証拠のひとつですね。チョコのにおいは融けないと出てきませんし、この学校でそれがあったのは、職員用トイレに撒かれたチョコだけです。それに、この学校のゴミ箱を調べたら、例のラッピングが出てくるんじゃないですか。さすがにラッピングは同じ物を事前に用意できませんから、ドライアイスの細工をする時も本物を使ったはずです。ならばそのラッピングには、被害者の女の子の指紋と、先生の指紋がついているはずですね」

「は……ははは、上等じゃないか。ならば学校中のゴミ箱を調べたらいい」

「もちろんそのつもりですよ。だからさっき知り合いに頼んで、手始めに先生のデスクのゴミ箱を調べてもらっています」

「なにっ?」

 ここにきてようやく、浜口先生の表情が大きく歪んだ。

「これは先生がシロかクロかを判断する大事な調査ですからね。そのゴミ箱を漁っても、先生が非難する理由はありませんよ。学校中のゴミ箱を調べろ、って言いましたし」

 無邪気に微笑むキキと、歯ぎしりを始める浜口先生。えらく対照的だ。

 やっとキキの目的が分かってきた。今までの推理はすべて、浜口先生をこの場に足留めするためだ。さっきメールを送った相手が、職員室の先生のデスクのゴミ箱を調べる、その時間を稼ぐために……そしてゴミ箱の中には、事件と関係なく、浜口先生にとって非常にまずいものが入っている。最初からキキの目的はそれだった。

 浜口先生から漂うチョコのにおいに、わたしは早い段階で気づいていた。そして、キキにもすでにその事を伝えている。念を入れてメールを送り、そしてわたしが再度においを確認したことで、キキは行動に出たのだ。浜口先生が事件の犯人ではないか、という疑いが濃厚になれば、先生は無実を証明するために、キキのいう証拠の捜索を認めざるを得ない。そうしてキキはまんまと言質を取ったのだ。

 恐ろしいほどの、頭の回転の速さである。一瞬で浜口先生を嵌める策略を思いつくばかりか、そのための推理まで構築してしまったのだ。

 さて、そのゴミ箱の中身だが、すぐに判明することとなった。浜口先生が反駁できずにいる間に、綾子がC組教室に入ってきたのだ。

「キキちゃん、見つかったよ」

「あ、ありがとう、綾ちゃん。見つかっちゃったみたいですよ」

 後半のセリフは浜口先生に向けたものだ。

 綾子が手に持っていたものは、緑を基調とした模様が描かれたビニールのラッピング袋、クシャクシャの銀紙、そしてメッセージカード。

「こんな物が浜口先生のゴミ箱から見つかった。銀紙に少しチョコがついてるし、どう見てもバレンタインの贈り物だよね。カードに宛名は書いてないけど、中身を浜口先生が食べたのは間違いなさそう。これって何ですか?」

「誰かからもらったんですか?」と、キキ。「ありえませんよねぇ。生徒の指針であるべき生徒指導の先生が、学校でバレンタインチョコをこっそり食べていたなんて、生徒に示しがつきませんからね」

「くっ……」浜口先生の歯がギリギリと鳴った。

「では生徒から没収したものでしょうか。それはもっとないですね。本来は別の人に渡すべきものを奪っておいて、それを自分の腹に収めるなんて下等な行為、生徒指導の先生がするとはとても思えません。そうなると、浜口先生は食べたのではなく、入手したチョコをただ融かしただけかもしれませんね。まあ、そのラッピングが、今回の被害者が用意したものと一致すれば、の話ですけど」

「…………」

「正直に話した方がよくないですか? そのカードの文字は手書きみたいですし、今どきは指紋採取の道具がネットで簡単に入手できます。そのチョコを誰が用意し、誰がゴミ箱に捨てたかなんて、ちょっと調べたらすぐ分かることですよ。そして現状では、先生がこのまま黙りつづけていれば、チョコ騒動の犯人が先生であるかどうか確かめるために、本当に言ったような調査をする事になりますよ」

「……お、お前は、この私を脅す気か」

「脅す?」キキは嘲るように口角を上げた。「わたしはただ、本当のことを話すべきだと言っているだけで、あなたのしたことが明るみになろうと別に構わないんですよ。というか、本当に洗いざらいぶっちゃけないと、先生が相当まずいことになりかねない状況だって、気づいてます?」

「なに……?」

「今のご時世、悪い噂が走るのは千里どころじゃないですからね」

 キキに言われてハッと気づいた浜口先生は、動揺を隠すこともなく周囲を見回した。

 慌てて帰ろうとしていた男子生徒たち、そしてずっと無言でキキと先生のやり取りを見ていたふたりの女子生徒。揃ってスマホを手に持っている。チョコが盗まれた事件は学校中に知れ渡っているから、関係する噂は簡単に拡散するだろう。いずれは他の教師の耳にも入るかもしれない。もし浜口先生が黙秘を続ければ、キキの推理の方が信憑性ありとして、学内における先生の信頼が地に堕ちるのは確実だ。

 キキはむしろこれを狙っていたのだ。証拠となるゴミを先に回収し、生徒の前で真相を話さざるを得ない状況に追い込もうとした。事件の犯人が浜口先生であろうとなかろうと、どちらにしても先生は信頼を失うことになる。だが証拠がここにある以上、下手に嘘をつけば証拠品を調べられ、さらに権威を落とすことになりかねない。

 いつの間にか先生は、キキの仕掛けた檻の中に嵌まっていたのだ。

「無用な悪評は、すぐに拭わないと後始末が面倒になるだけです。さあ、言うべきことはちゃんと言ってください」

「…………」

 浜口先生はまだ無言だ。頑固を絵に描いたような人間のプライドは、必要以上に高いらしい。そう簡単に自分の過ちを認めるような人ではないのだ。

 認めないなら結構だ。わたしも、元々この依頼を引き受けた立場として、この先生にはひとこと言いたい事がある。浜口先生が実際にやらかしたのが何であれ、わたしはこんな人間を許す気になれない。

「浜口先生。あなたの理想は立派かもしれません」

 わたしがそう言い放った時、キキと先生が揃ってこちらを向いた。

「ただ……方法が疎かになっているせいで、逆効果になるどころか、いらない恨みを買う羽目になっています。わたしが言っても説得力はないでしょうが、生徒は生徒なりに考えて行動しているんです。自分の理想に合わないからって生徒の意思を無視して、跳ね返し、恣意的な行動に走るのは、教師としてふさわしくない行動だと思います。あなたは生徒のことなど何も考えていない。自分の理想だけがすべてだと思い込んで、それを押しつけているだけに過ぎません!」

「な、なんだと……利いた風な口を」

「生意気である事は承知の上で言ってるんです。あなたは、バレンタインのチョコを没収すれば、即座に学校の風紀が保たれると思っているようですが、わたしは断言できます。そんな事は百パーセントありえない」

「なっ……!」

「二月十四日のチョコは、女の子にとって決意の象徴です。没収するのは、その決意をぶち壊しにする事です。女の子たちがどれほどの覚悟をもってチョコを作ったか、あなたはその事に、思いを馳せたことが一瞬でもありましたか? 丹精込めて作った物を無慈悲に奪われた人の悔しさを、考えた事がありますか? ……ないでしょう。少しでもあるなら、こんな馬鹿げたことを毎年やるはずがない!」

 浜口先生は何も反論しなかった。ただ、恨めしそうにわたしを見返すだけで……わたしの中で、恐怖は微塵も湧いて出なかった。

 わたしは自分の制服を掴んだ。生徒個人の意思を尊重する、学園の校風を象徴する存在。

「生徒たちの覚悟と決意……どんなに小さなことだとしても、それを踏みにじる権利は誰にもない。それとも、あなたにはその権利があるとでもいうんですか」

 ずっとわたしを睨み続けていた浜口先生だったが、やがて視線を逸らした。

 理想に囚われ、厳しさばかりが先行し、生徒の意思を切り捨ててきた結果がこれだ。これまで気づかずにいた、あるいは目を向けないようにしてきた、自分を取り囲む状況がどんなものか、ようやく先生も理解し始めただろう。

 キキはそのことを端的に、畳みかけるように言った。

「先生、今のあなたに、味方は一人もいません」

 その一言で、先生はがっくりと項垂れた。四面楚歌に追い込まれ、なけなしのプライドのやり場も失った今、残された道はもう、ひとつしかなかった。

 四ツ橋学園の校風を揺るがす流れは、こうして止まることとなった。

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