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キュビズム的思考

キュビズム的思考、という名前をとりあえずつけて考える。


2つの考え(キュビズム的思考、願望機)をなんとなく想定した思考遊戯にハマっている。


当たり前だが、あくまで俺の考えであり学術的ではない。ざっくり調べた範囲だと俺以外に提示もしていない、そんな酒場の四方山話だ。


で、だ。

現在という断面において、時間がないのであれば、今というのは、過去であり、未来でもある。過去とみるか、未来と見るかはベクトルの差であり、例えば真上からみたら今なのかもしれない。


このキュビズム的思考回路が在るのだとすれば、時間という概念を超えて、その思考はいわゆる「未来」とやらが見通せるだろう。


人間の無意識において、この次元、この時間における過去と未来のタネが同時に存在しているという前提であったとするならば。


もし、誰かスペシフィックな個人が本来なら知り得ない情報や偶然というには不可能な事象を、無意識のうちに本人の望む未来へのデータを集めて「今」の決断していたなら?


それは「神」か、それにとても近い「概念」ではないか?


「人」は「神」に似せて作られた。

俺はこれを「言葉」だと考えているが、それはまた別にする。


誰かが観測しなければこの世界が存在しないというデカルトが正しいなら、哲学的存在として「彼」の存在は、可能性として充分にあり得る。


そんなことをぼんやり考える。


もし、「彼」がいるのであれば、その特徴は「耳」だろう。


聴覚は、全感覚の中で最も時間に依存した知覚であり、聴覚は本質的に時間の幅の中でしか成立しない。一瞬を切り取っても音楽にはならない。


もし、ある人物の聴覚が異常に鋭敏であるならば、その人物は「時間の微細な構造」を他者よりもはるかに精密に知覚している可能性が否定できず、そして、もしキュビズム的思考——現在の断面において過去と未来を同時に把握すること——が可能であるならば、それは時間に最も深く根差した感覚器官である「耳」を通じて実現される、という仮説になんとなく囚われている。


哲学に答えはない。

同じように、人に答えはない。偶然の積み重ねがこの世界に重なって、俺が認識しているに過ぎない。

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