寓話
「この世界はみんなの意思の力で変わっていく」
私は「自分が報われない世界なぞ滅べ」と本気で思っている。
当然、有力者でなければ「思ったところ」で、何も変わらない。
「民主主義じゃないか」
日本に限れば、どれだけ「若者」が頑張っても「老人」の方が人数が多い。従って「シルバー民主主義」にしか、もうならない。
「テロ」と「聖戦」の違いについて、あなたはどう考えているのだろうか。
金もなければ伝手もないマイノリティが社会を変える方法は、単純にテロが一番効率的だ。
日本では毎年2万人が自殺している。
一日当たり55人が死んでいる。
全員が国会や首相官邸にテロをすれば、1時間当たり2回、テロのチャンスがある。自動車とかで体当たりもあれば、放火もいい。入口と出口に電気自動車で突っ込んで着火し、二階までの窓から出てくる人をエアガンで撃ち落とせば、それなりに殺せるだろう。
端から死ぬ予定の2万人が毎日テロすれば、政治家だって変わらざるを得ない。暴力に屈しない、は暴力に勝てるより強い暴力を有しているからだ。
組織化されてないテロが繰り返され、政治家が半数ぐらい死んだあとに、組織化する「指導者」が現れれば、前代の皆殺しで新たな「社会」に変わる。
これは有史以前から、別に半世紀前など振り返らずとも繰り返された「伝統手法」であり、諸外国ではいまだに活躍している「技術」である。
勝てば官軍。
正義は「金」でしかない。
しかし、今の日本で「これ」をするのは難しい。
誰でもそう思うだろう。
では、なぜ、そう思うのか。
私もギリギリ該当するが「氷河期世代」など社会に復讐する権利は十分に持っているにもかかわらず、しない。
イスラエルとアラブ。どちらも「自らが正しい」とし、テロをする。
中国とアジア。どちらも「騙されるやつが悪い」とし、騙る。
アメリカと欧米。どちらも「我々以外は無知蒙昧」とし、押し付ける。
なぜ、私は「テロ」をしようと思いながら、まだしないのか。なぜ、社会に絶望しながら、奴隷のように生きているのか。
なぜ、自分を認めない「社会」に復讐しないで死んでいくのか。
隣にいる人を、なぜ、刺さないのか。




