道徳の教科書(B.C)
「聖書」を読んだことがない方への記載になるが、啓典の民(現代ではイスラエル人におおよそ比定されている)は神からなんもしなくても幸せな生活ができる場所と、労働力をもらったという前提がある。
神さまは「乳と蜜の流れる場所」と「全ての動物を管理する権利」を啓典の民に与えた。
啓典の民がすることは「管理、監督」であり「労働」はその他の「動物」がすること。
神さまが迎えに来る(再臨)日まで「管理」することが啓典の民の「目的」である。
日本人にはわかりにくいかもしれない。
旧約聖書と新約聖書でも違うし、日本だと外典(啓典外と読んで字の如く)を聖書だと思っている方もいる。
もう少し、わかりやすく説明を試みる。
外形的に「宗教」を俯瞰して「聖書」というアイテムを考えると、まず何のために必要なのかという点が起点になる。
何のために?ということを考えると、まず成立背景と目的が必要になる。
旧約聖書の時代、他にも「宗教」はあった。ゾロアスター教や仏教など現在でも生き残っている宗教もあるが、多くはエジプト神話やギリシャ神話という「宗教」の時代だと推察されている。
我々が今、民族神話としているものは、その民族の宗教の聖書である。
神話=聖書<宗教
宗教は聖書を包含する概念であり、聖書は宗教を構成する言葉である。
例えば「神道」なんかも日本人の神話である。八岐大蛇伝説やヤマトタケルの物語なんかが該当し、今、殆どの伝説とか伝承が何故発生したかを調べて比定して歴史に補完したから「神話」となっているだけで、別に「日本人」はつい500年前ぐらいは信じていただろう。
現代においてまだ神さまとして信じている方々がいる「ルール」が「宗教」だと考えられる。
「宗教」=「ルール」≒「聖書」
要は「神さまから管理を委ねられた人が守るルール・モラル」が聖書であり、聖書や宗教生活を通じて達成される目的は「富裕層の生活」であり、その義務は「この世界の管理」である。
もうちょっと、お付き合い頂きたい。




