死生観
この世界への疑問というか、俺自身のこの世界に対する世界観はある。
これはここに書いておこうかな。
スピリチュアルは大っ嫌いだが。
なんだか、犯人が死ぬ前に残したブログみたいだと思う。俺は解析されるような事を成すことができるかな?
まあ、京アニ放火犯のブログが誰にも読まれていなかったように、この日記も俺が犯罪史に「特筆大書」されるまでは誰にも読まれないのだろう。
まあ、何が言いたいかっていうと、よくいうじゃん?この世界に魂があると。もし「ある」なら、それを司る法則はなんだろう?
要は「死生観」ってやつ。
この現実世界を司る大原則は「質量保存の法則」であり、物理法則からは逃れられない。
魂には重さがあるとかいう調査もあるが、だけど、そうすると「質量保存の法則」が成り立たない。
なんでか。ちょっと遠回しな説明になるんだが、まず、地球の持っているエネルギー総量は決まっている。
地球上の「人が使える」エネルギーが増加したのは太陽からのエネルギーを消費して植物が繁殖し、動物がそれを餌として繁殖したからだ。
簡単なことだからか誰も書いてくれない。
俺は食物連鎖なんかより先に教えてほしかった。
まあ、どこまでも俺自身の考えであって、査読論文として書いていないし、誰かが書いているのも見つけていない。
もし、そうであれば「太陽エネルギー」がある間かつ地球環境でそのエネルギーを受け止める環境がある間は、地球にある人が使えるエネルギーは増加する。
そうして人類は繁栄した。太陽エネルギーから「食物」という形で「エネルギー」を取り出すことに成功したからだ。
まあ、だけど、今、地球環境は人によって自立回復不可まで追い詰められている。
太陽エネルギーを人が消費できる形に変える受け取り手である植物を「消費」しすぎた。太陽エネルギーだけが降り注いで「消化」出来ていない。
結論からすると、地球に紫外線が降り注ぎ、酸素が薄くなっている。
最終的には、過剰エネルギーを放出するか、自然を増やすか、人を減らすか。太陽エネルギーと地球とのバランス点に、結局は着地するだろう。
人が使えないエネルギーは変わらずに降り注ぐ。
人はあくまでも地球の一部に過ぎない。
で、だ。ここまでは「前段」。
「太陽」と「地球」は「光」と植物による「光合成」で「質量保存の法則」を成立させている。
もし、原子力だろうと太陽光だろうと、人が使えるエネルギーの形として取り出せるかどうかだけで、別にこの世界は「質量保存の法則」から外れていないとすれば、魂のエネルギーはどこにいくのだろう?
今まで生きて生まれた数だけの魂のエネルギーは、いったいどこに循環されたのか。要は「魂の受け取り手は何?」という疑問を持っていたりする。
魂はない。
最も合理的な回答だ。
ただ、簡易的かつ証明出来ていない俺自身の考えとしては「質量保存の法則」が大原則だとすれば、宇宙単位で見れば「成立」する可能性は否定できないと思っている。
地球単位でみればわからないが、人が持つ魂は宇宙のどこかに還っていて、プールされている。
「アカシックレコード」+「FF7」の世界観みたいに大きなエネルギー源あれば「質量保存の法則」が通用するのでは?と思っている。
ただ、そのためには時間が圧縮されて「0」となる必要があると思う。全ての時間において発生しなければ「原則」にならない。俺はまだ、ここへの説明がうまく言葉に出来ていない。
とりあえず、ひとつの考え方として「ブラックホール」と「ホワイトホール」という観測体があることから、エネルギー量を極限まで圧縮すれば、時間は限りなく「0」に近づくことはわかっている。
そうであれば「並行世界」や「タイムスリップ」があったとしても、この世界はある一定の範囲に収束するという俺の考えと一致すると思う。
まあ、このメモがどのように解釈されるかはわからない。ただ、そう考えた俺がいることだけは、誰も否定できない。
夏の夜は、鮮やかな幻と語りたくなる魔力があるのか、なんとなく書き残す。




