幕間 第一王子と第二王女ーー婚姻の祝福
ミネットが深く息を吐いた音で思考に沈んでいた意識が立ち返る。
「お兄様はその恋人と結婚なさるそうですね。一応、おめでとうございます、と言っておきますね」
ミネットの表情にあるのは祝福だけではない。
祝福してくれる気持ちがあるだけ有り難いのだ。
友人のアンリエッタにリリアンは怪我をさせたのだ。
許し難い気持ちもあるのだろう。
それでもその恨み事も怒りも表に出すことはしない。
クロードの気持ちを考えて祝福の言葉を贈ってくれたのだ。
それにクロードも応えなければならない。
「ああ、ありがとう」
リリアンを妻として迎えられる。
それは有り得ない程の奇跡だ。
少し前なら素直に喜んでいただろう。
だが今は複雑だ。
それに、祖父である先代国王陛下の言葉がある。
アンリエッタとラシーヌ伯爵令息が帰った後に先代国王陛下に告げられたのだ。
『シエンヌ・エスト公爵令嬢はいざとなったら人質となり、お前とともに死ぬ覚悟はあるだろう。だが、リリアン・ベルジュ伯爵令嬢はどうだろうか?』
リリアンはそもそもクロードの妻の座など望んでいなかった。
だからそのような覚悟は持っていないだろう。
いつか別れて別々の伴侶を得る未来しか想像していなかったに違いない。
それをずるずると引き延ばし、ここまで来てしまった。
リリアンはもうクロードが娶らなければ修道院へ行くしかない。
もしかしたらそちらのほうがリリアンには幸福かもしれないが。
それでもクロードはベルジュ伯爵を説得するつもりだ。
これはクロードとリリアンへの罰なのだ。
端から見ればそうは見えないだろうが。
きっと、それがわかるのはクロードとリリアンだけだ。
それでいい。
先代国王陛下の言葉がさらに脳内で再生される。
『リリアン・ベルジュ伯爵令嬢のことはせめてもの慈悲だ。ただし、第一妃になるシエンヌ・エスト公爵令嬢よりも優先することは許さん。公式の場で連れて歩くのは第一妃と心得よ』
『……承知して、ございます』
リリアンは本当にただのお飾りの妃になるのだ。
最悪、屋敷に閉じ込めて一切外に出さないことになる。
修道院とどちらがましかはわからない。
いずれ苦しくなるかもしれない。
だがそれがクロードとリリアン双方への罰なのだろう。
そこから逃げ出すことはできない、してはならないのだと思う。
クロードも、そしてリリアンも。
そのことについては口にはしなかった。
だが祖父には恐らく悟られていた。
何も言われることはなかったが。
もしかしたら覚悟を試されているのかもしれない。
それならそれを示すだけだ。
これ以上は間違えない。
それを聞いた時に実はもう一つの可能性が脳裏に過っていた。
緊張関係にある"北"の山向こうの国に何かきな臭い気配でもあるのだろうかーー?
結局は言葉にはできなかった。
その覚悟だけはひっそりと決めておく。
誰かに言う必要はない。
言う必要があるとしたら、第一妃となるエスト公爵令嬢にだけだ。
彼女には覚悟を求めなくてはならないから。
リリアンにも話す必要はない。
不安にさせたくはないし、余計なことをされたくはない、いやさせるわけにはいかない。
あと考えられるとしたらーー。
あるいはその頃にかの国での譲位がありそうだと踏んでいるのだろうか?
だとしたらクロードほど派遣されるのに相応しい者はいないだろう。
あの国は正妃腹の長子が継承権の一位だと決まっている。
クロードは第三位になったが、第一妃の長子だ。
正式に決まるまで、あるいはこのようなことが考えられるとしたらエミールとリシャールの二人が卒業をしてから王太子を発表することになるかもしれない。
あるいはかの国の情勢によってはしばらくは正式発表されないことも考えられる。
それならば、良いように誤解してくれるだろう。
我が国での継承権は動かないが、かの国での価値は高まるはずだ。
それが誤解だとしてもわざわざ訂正する必要はない。
せいぜい我が国のために利用させてもらうだけだ。
そのためにはちょうどいい時期に外交官としての公務に携われるようにしなければならない。
必要な時に動けないなど許されないことだ。
いずれにせよクロードが本格的に外交担当として動くのは学院を卒業してからになる。
それまでは公務も限定的になる。
学業が優先されるのでそれは仕方ない。
だからかの国での動きがありそうな時期までに卒業しておかなければならないのだ。
クロードは外交担当に決まったから今後の学習計画にも変更が生じる。
それに伴い、シアンたち側近たちの学習も外交に特化したものに変更になる。
基本的に王位継承順位が決定したからといって側近が別の王族の側近に移るということはない。
その辺りがこの国の特殊なところなのだ。
それは側近が母親の出身の地域の者が基本的に選ばれるからという事情がある。
例外があるとすれば、その側近の能力が別の王族の携わる仕事の場において発揮されるようなものだった時くらいか。
勿論だからと言って国王になった時にその地域が優遇されるかというとそのようなことはない。
あくまでも公平に遇するのが上に立つものの資質として絶対条件なのだ。
四地域のパワーバランスが崩れるのは国を乱す原因となる。それは避けなければならない。
ただ国王になって、他地域を含め側近が増えたとしても幼い頃から付けられていた側近が一番近くで仕えることになる。
能力の理解度や信頼度が違うから必然的にそうなるのだ。
他地域の者は大臣などの別の要職について国を支えることになる。
その辺りは能力や地域として偏りがないように配慮される。
そうやって地域の均衡を保っているのだ。
地域の力の均衡を保つのはこの国にとっては絶対的に必要なものだからだ。
だがそれは地域としての話だ。
家としては多少の優遇はなされる。
一族の者が役職持ちに引き上げられるとかそのようなことでだが。
勿論能力があることが前提だが。
そうでなければ王族の妻や側近へと娘や息子を差し出すことはないだろう。
側近か……。
心の中だけで溜め息をついた。
それから苦い気持ちが込み上げてきた。
王位継承権の順位を決めるのは複数の要因から総合的に判断されて決められるはずだ。
側近をうまく使えるかどうかも見られているのだとも聞く。
その点でもクロードは至らなかったのだろう。
諌めてくれていた側近の言葉に耳を傾けなかったのだから。
側近たちにも迷惑をかけるな。
内政に関わるのと外交に関わるのでは方向性が随分と変わってしまう。
勿論今までの学習が無駄になることはないが。
それでもきちんとクロードの口から説明するのが筋だろう。
だからそれはきちんと時間を取って行うことにする。
それによって側近辞退の申し出があれば受け入れようと思う。
外交担当の王族の側近というのはそれだけ危険が多いのだ。
無理強いはできない。
そもそも側近というのは強制ではない。
強制されたところで忠義心というものは育たない。
それがいつか足元を掬うことになる。
主側も側近側もどちらにおいても。
その場合はしばらくは残った者に頑張ってもらうしかない。
負担がかかってしまうがすぐに他の者を入れるということは難しい。
クロードの母親が"南"の出身なので側近は"南"の者ばかりだ。
補充するとなると"南"の貴族からということになる。
後は現国王の妃を輩出していない"北"には声をかけることはできるだろう。
"東"と"西"は今の段階では無理だ。
王位継承争いをしているからだ。
クロードは外れているが。
正式発表が卒業してからとなればその後で他地域からも側近ができるはずだ。
特に外交担当の王族ともなればそれぞれの地域から偏りなく側近を集めなければならない。
それぞれの地域が得意とする相手国は違う。
だからこそ偏りがあっては困るのだ。
在学中から適性のありそうな者には目をつけておかなければ。
そしてさりげなく意志の確認だけはしておく必要がある。
基本的に打診は正式にクロードが外交担当だと発表された後になるが。
必要であれば許可を得てクロードが外交担当だと教えて側近に引っ張り込むくらいは許されるだろう。
それは他国の情勢次第になるだろう。
明日から新しく動き出さなければ。
やることは多い。
しっかりと心しておかなければ。
あとはーー
「お兄様?」
ミネットの訝しげな声で我に返る。
「すまない」
「いえ、お兄様も色々と思うことはおありでしょうから」
「ありがとう」
緩く首を振ったミネットが気を取り直すように明るい声で言う。
「お兄様、わたくしの結婚も祝福してくださいな」
「それは……」
表向きだけでも祝福の言葉をかけなければならない。
「おめでとう、ミネット」
微笑んで告げたつもりだった。
だがミネットの眉間に皺が寄る。
「やはりお兄様は祝福はしてくださらないのですね」
「……すまない」
遠い国に嫁がされる妹をどうしても不憫だと思ってしまう。
あまりにも遠く、文化も言葉も生活習慣も何もかもが違い過ぎる。
ミネットが溜め息をつく。
「お兄様は本当にわたくしのことを何も理解してはいませんのね」
思わぬ言葉にきょとんとして妹を見返す。
「わたくしは外の国に興味があるのですわ」
「あ、ああ。ミネットは昔からそうだったな」
思えば他国について学ぶ時が一番楽しそうだった。
他国に行ってみたいと幼い頃はよく口にしていた。
だから他国に嫁ぐことは本望だと言いたいのだろう。
それが友好国であるならば憂いなく祝福できた。
「だが、あまり交流のない国なんだぞ。心配して当然だろう」
「ありがとうございます。ですが大丈夫ですわ。むしろわくわくしています」
本当にミネットは楽しそうに見える。
その様子に嘘はなさそうだ。
クロードは思わず苦笑した。
「そうか」
「はい」
ミネットはすっと静かな表情になった。
「ですからわたくしの結婚のことはどうかお気になさらず。遠くに嫁いでもお兄様の幸せを祈っております」
それは妹からの最大限の餞の言葉だ。
「ああ。俺もミネットの幸せを祈っている」
「ありがとうございます」
鼻の奥がつんとするのを何とか堪えて精一杯兄として微笑んだ。
読んでいただき、ありがとうございました。
誤字報告をありがとうございます。訂正してあります。




