彼女の苦悩
少し自傷表現があるので、苦手な方はその部分を読み飛ばしてください。
よろしくお願いします。
王都へは馬車で数日かかる。幼い子供もいるので、途中休憩しながらその日泊まる宿へ馬車で向かっていた。馬車の中では私は眠るシェリアを抱いて、彼の向かいに座っている。
「一緒にノルトレーンに行ったことを思い出すね」
「ええ、そうですね」
向かいにいる彼を直視できず、目を伏せた。
まだそれほど経ってないのに、ずっと昔のことのような気がする。あの時は、隣同士に座って飽きるほど口付けた。それに、私の心は彼が愛しいと思う気持ちで溢れていた。
今もその気持ちは残っている。
でも、不信感やいろいろな気持ちに覆われてその気持ちが見えなくなりそうになっている。あの頃の純粋な気持ちが懐かしい。
「……あの時は、隣に座っていたのに。これが今の君と私の距離なんだね……」
ぽつりとカイル様が呟いて、私の中に残っている恋心が少し痛んだ。
道中は順調に進んだ。車中では、シェリアが初めて見る景色にきゃっきゃと嬉しそうにはしゃいでいるのを夫婦二人で微笑ましく眺めていたり、まだ理解できないシェリアにここがお父様の領地だよと教えたりと、子供中心の会話で、気まずくなることもなかった。そうして、日が暮れる前に宿に着いた。
宿は親子三人で一部屋だった。カイル様と同室は不安だったけど、シェリアがいたこともあるし、夜中に私が魘されるかもしれないので、止めてくれる人が欲しかった。
そう、私の悪夢はまだ続いていた。心配して部屋に入ったところから、夜会の客たちに見つかり、元婚約者に罵倒されるまでの一連の流れまで。
事の直後はこんなことはなかった。あの頃の私はもう壊れかけていたのかもしれない。忘れたわけではなかったが、私はあの部屋の片隅で事態を傍観しているような、どこか他人事に捉えていた。あそこにいる私は私じゃない。私に似た誰かだと。
だからこそ、その後の彼との生活もどこか現実離れしていて耐えられていたのかもしれない。
でも現実を直視してしまった今、私は自分の過去と向き合わなくてはいけなくなった。
だから、私は辛くてもじっと一人で耐えていた。
◇
そしてその晩、やはりそれは起こった。またいつもの夢だ。でも、そうとは思えないほど鮮やかに色付いて、現実味を帯びる。また乱暴され、見つかって、罵倒され、私は叫ぶ。
「私はやってないわ!」
誰も信じてくれない、助けてくれない、怖い、どうして、そう半狂乱で泣き叫ぶ。そのせいで起きたのか、シェリアの泣き声が聞こえたが、私は自分を止めることができなかった。
心が痛くてたまらない。体が痛い方がまだましだ。そう思った私は自分の腕に爪を立てようとする。
「駄目だ! 自分を傷つけないでくれ。頼むから……」
そう言ってカイル様は、私の腕を掴む。でも私は泣きながら首を振る。自分が何を言っているのかもよくわからず、うわ言のように繰り返す。
「もういや、辛いのはいやなの。私は汚い。私はいらない。消えてしまいたい……」
彼の力が弱まった隙に、私は彼の腕を振り払い、自分の腕に強く爪を立てる。体の痛みが心の痛みを凌駕する。それで私の気持ちは楽になった気がして、更に強く自分を傷つけようとした、その時だった。
「すまない!」
カイル様は私を抱きしめた。がっちりと体で押さえられ、余計に怖くて暴れた。
「いやー! 離して! やめて!」
腕を振り回してカイル様を殴ったり、引っ掻いたりしたが、それでも彼は離さない。
「殴っていいし、怒っていい、君は何も悪くない」
「どうして誰も信じてくれないの、どうして私が悪いの、どうして皆そんな顔で見るの……」
「信じるよ、信じるから……」
「嘘よ……」
「嘘じゃない。今度は信じると言った。君はやってない。君は悪くない」
「信じない」
「君を信じる」
そうやってカイル様は私が疲れて眠るまで、耳元で君を信じると言い続けていた。そのおかげか、その後は夢を見ずに眠れた。
◇
「おはよう」
そう声をかけられてまだ覚醒しきらない頭でその人を見た。
「……っそれ……!」
思わず息をのんだ。カイル様の顔にはいくつもの引っ掻き傷があった。夢うつつに私が何をしていたかは覚えている。
「私が……したんですね」
「違うよ。私が君を傷付けたんだ。これらは君の心の傷だ。それよりも……すまなかった」
「え……謝罪の言葉なら今までにも……」
「いや、そのことではなくて。昨日は君を止めるために無理矢理抱きしめてしまった。私なんかに触られるのは嫌だっただろう?」
そう言われてああ、と思った。それどころじゃないくらいに私は混乱していた。あのままでは、シェリアに危害を加えていたかもしれない。反対に止めてもらってよかったと思う。
「いえ、気にしないでください。あれは仕方ないことでした。それよりシェリアは大丈夫でしたか?」
「ああ、しばらくは泣いていたけど、君が眠った後、私が寝かしつけたよ。それで聞きたいんだけど、よくあんな風になるのかい?」」
そう聞かれて私は困った。あまり弱味を晒したくない。それでも実際に見られてしまったから仕方なく認めた。
「……はい」
カイル様は眉をひそめた。やっぱり面倒だったのだ。
「……迷惑をかけてすみません。今後はこのようなことがないようにします……」
頭を下げる私に、カイル様は慌てて否定した。
「そうじゃないんだ! 私はまた大切なことを見落とすところだった。もう一人で頑張らなくていいんだ。一人で耐えることが当たり前だなんて思わないでくれ。私は君を支えたいと言っただろう?」
「でも……」
「今度こそ君を支えたいんだ。お願いだ。もう君を失いたくない。愛してるんだ!」
彼は必死に訴える。心に響かなかったと言ったら嘘になる。でも。
「……今の私は記憶のなかった私じゃないですよ。貴方に偉そうな態度を取る可愛くない女です」
「違う。私に間違いを教えてくれるしっかりした女性だ」
「心の傷も……」
「私がつけたものだ。君には何の落ち度はない」
その姿は私の愛した彼を思い起こさせる。だから、育ちきってはいないものの、私が彼を愛している気持ちを素直に認めてしまいたい。でも、まだ私には彼を信じきる勇気がなかった。
「……すみません。少し時間をください」
「君に気持ちに応えてもらおうと思って言った訳じゃないんだ。私にそんな資格はないから。それでも君を大切に思ってる人間がここにもいるのだと、君に味方がいるんだと言いたかったんだ。君にはまだ、やらなくてはならないことがあるんだろう? 私の言ったことは気にしなくていいんだよ」
そう、私はまだ夜会に参加できていない。
今の私にとって過去を乗り越えるのは並大抵のことじゃない。夜会に参加することは最初の一歩だ。その一歩を踏み出すことが出来れば、彼との関係も変わるのだろうか。
彼の気持ちに甘えて、とりあえず目の前の課題に向き合おうと決めた。
読んでいただき、ありがとうございました。




