寡黙姫の東山那白
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警察の取り調べから解放された明は、やはりいつもより人が多い道を歩いていた。夏奈が走る時間までは、まだ時間に余裕があるのでゆっくり行っても問題ないだろう。
駅の近くにあった本屋に入って、先月お金がなくて買いそびれた漫画を買おうと考えた。
本屋の中は思ったより人が少なくて、冷房が気持ちよく涼しい風を運んでくれた。涼みながら自分が買いたい本が、並べられている場所を探す。
「なにかお探しか、少年?」
聞いたことのある声で、隣から声をかけられた。明は隣に視線を変えて、声をかけてきた少女を見た。
赤いロングの髪で朝川学園高等部の制服を着た、朝川学園の図書室で見た図書委員の先輩だった。
少女は明よりも少し背が高く、毅然とした声を放っていた。
明が少女に話しかけられたことに少々動揺していると、
「どうした、少年……なにか本を求めて本屋に来たんだろ」
「あぁ……そうだ。ちょっと漫画を買いに来たんだよ」
やっと落ち着きを取り戻した明が、そう口にすると、少女は耳に髪をかけて明の目を上目遣いに見てきた。
「ついて来い、案内してやろう。少年はこの本屋に詳しくないらしいからな」
「え、わざわざ案内なんて」
明がさすがに断ろうとすると、少女は明の手を掴んだ。
「そう言うな、わたしが少年を案内したいんだ。少し少年とは話がしたかったからな」
そう言って、少女は明の手を引いて歩き出した。
まぁ、本屋の中を案内されるぐらいいいか、と明は思うと、手を引いていた少女は立ち止まり振り返った。
「すまない、自己紹介がまだだったね。わたしは東山那白。学園ではわたしのことを寡黙姫と呼んでいるらしい」
そう言われて明は思い出した。今手を握っている少女が、朝川学園高等部の文化祭のミスコン去年優勝者で、朝川学園で密かにファンクラブが作られるほど有名な少女であることを。
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「すまないな、奢ってもらって。しかし、このコーヒーはなかなか美味しいな、少年はいい目をしている」
「コーヒーはただのお礼だ。あと、喫茶店は偶然だから、俺の目利きがすごいんじゃねぇよ」
那白に本屋を案内してもらって三十分後、明と那白は朝川競技場の近くの喫茶店にいた。夏奈の出番まで時間を潰すついでに、那白に礼の意味でコーヒーを奢ろうと考えたのだ。
下手に那白とファミレスなどに入ってしまうと、那白はもとからまわりの視線を集めてしまうし、さらに男と一緒になると視線が痛くなって、ゆっくり会話が出来なくなってしまうと考えて、人があまり入っていなかった喫茶店を選んだのだ。まぁ、また百合だと思われるかもしれないけれど。
「どうして今日はここに来たんだ?」
那白からの問いに、
「そこの競技場で今日開かれる陸上の大会に妹がでるから、それの応援に来たんだ」
明は簡単に答える。
「ふむ、たしか少年の妹の夏奈ちゃんは陸上部だったな……なるほど、合点がいった」
「妹の名前を知っているのか!?」
「ん、あぁ、図書室の利用者の名前は全員覚えている、大事な顧客だからね……それが今のわたしの仕事だから」
「すごいな」
「……そうか、いつも不安だよ、わたしは。ちゃんと人間らしく自然に振る舞えてるかどうかね」
那白が、ふふっ、と可憐に静かに笑うのを、明はうっかり見とれて目が離せなくなっていた。
明はコーヒーを啜るが、目が那白に集中しているせいか、コーヒーの苦さが砂糖を入れてもいないのに感じられなかった。
ミスコン去年優勝者の美貌は伊達じゃないな、と明は思っていると、那白と目があった。その目はまるで、明のことを観察しているようだった。
「近くで見ると少年、君はなかなかの美少女だな……本当に男の子か?」
「男だよ、さっきもこんな見た目のせいで痴漢にあったんだ。ほんと勘弁してくれよ」
「ふふっ、すまんな……少年がかわいすぎて訊いてみたんだ」
「言われてあまり嬉しくない褒め言葉だな」
明は苦笑いを作りながら、コーヒーカップをテーブルに置いた。
明は学校ではよく女子とも会話するほうだ。見た目が女の子みたいだからか、女子たちも他の男子よりも近寄りやすく話しかけやすいのだろう。
だから、女子と話すことは明にとって苦手なほうではなかった。しかし、だからといってそれは普通のクラスメイトとかでの話だ。今目の前にいるのは、ミスコン優勝者だ。明みたいな一般生徒じゃ永遠に話す機会がないであろう人だ。そんな人に話しかけられたら普通どうなる。答えは簡単だろう。
そう、答えは緊張して何を話したらいいかわからなくなる。明の頭の中はほぼ真っ白と言っても過言ではない。
「少年はいつも友達と一緒にいるね。でも、今日は一人なんだね」
ガチガチに緊張しきって話を切り出さない明に変わって、那白さんが話し出してくれた。
やはり、年下でさらに身分が違うに等しい明と話している那白さんは、やはりどこか余裕だ。
「いや、一緒だったんだけど。あいつら俺を置いて行きやがって……けど、美味しい喫茶店が見つかったから、まぁいいかな」
そうか、と相づちを那白が打つと人差し指を立てた。明は自然に人差し指に視線を集める。
「例えばだ、そう例えば。目の前で少年の友達や家族が危険に会ったとき、そうだね、何者かに襲われ命が危険なとき、少年……君ならどうする?」
那白からの問いに、明は考える。
自分の友達や家族が危険な目に会う。亜矢や高崎や沙希やメルや夏奈が危険な目に会う。そんなとき俺ならどうする、俺ならなにができる、と頭のなかで考えを巡らす。
「俺は見ての通り華奢で細くて力がなくて頼りない人間だ……けれど」
明の力は男子の中では非力なほうだ。よくある漫画の主人公にはなれないような人間だ。力のない者は、何も救うことはできない、誰かがそう言っていた気がする。
だけど、だからといって、目の前で自分の大事な人が危険な目に会うのを、命を亡くすのを、ただ黙って見てみているのは、何もしないで指をくわえて眺めているのは、どんなことよりも酷いことなんじゃないか。
たしかに、俺は力が弱い、あっさりとそこら辺の男には力負けしてしまうだろう。
だから、止めるのか。だから、逃げるのか。だから、引き返すのか。だから、目を瞑るのか。だから、目を逸らすのか。だから、忘れるのか。だから……。
「何もしないでいるのはしたくない。俺は死ぬのはもちろん怖い……けれど、大事な友達や家族を目の前で失って、一人になるのはそれよりも何倍も怖いはずだ。だから、俺なら戦う……人生何があるかわからないしな」
そう、それが俺の答えだ。だから、昨夜のメルの言葉は否定してやる。誰も死なせない。魔属の事情なんて興味は英語より湧かないけど、友達や家族さえ守れない男は男じゃない。
言葉の最後に、にっ、と笑った明を見て、那白は、そうか、とうなずいた。それはまるで、なにか大きな問題の答えを理解したときのような、スッキリとした表情だった。
「少年、一つ私からアドバイスをしよう。少年は自分を少し過小評価しすぎかもしれない。わたしが知る限りでは、人間やろうとすれば何事もできるものだ。だから、少年……頑張れ。君は力を持っているんだから」
「あぁ、ありがとう」
そんな会話をしているうちに、夏奈が走る時間が近くなってきた。明と那白は明が会計を済まし喫茶店を出た。
「今日はありがとう、とてもいい話が聞けたよ」
「いや、例を言うなら俺もだ、那白さん。俺の心の整理もつけれたし、本屋も案内してくれてよ」
お互いに少しは微笑んでいる、一人の少女が駆け寄ってきた。その少女も那白同様ゴールデン・ウィークなのに、朝川学園の高等部の制服を着ていた。
「姫ぇ、どこに行ってたのよ、そこら辺探し回ったんだからね」
もうっ、と腕を胸の前で組んで頬を少女は膨らました。
「ん、すまない雪穂。ちょっと少年と喋っていたんだよ」
那白に言われて明の存在に気づいた雪穂は、およっ、と声を上げて明の身体を上から下まで眺めた。
「女の子と一緒にいたの?」
「違うよ、雪穂。少年は男性だ……名前は明だ」
「すいません、俺男なんすけど」
雪穂に那白と明はほぼ同時に訂正の声を上げた。
さすがにそろそろ明は今日の服は女らしいか疑ってくる。明は普段は自分から服を買いにいかない。大抵は夏奈が買ってきた服を着ているため、少し女の子らしい服になっているのかもしれない。
「えっ!? この子が男の子なの!? 全然見えないや、ほんと女の子みたいにかわいいね、姫!」
ショートボブの雪穂は目を剥いて口を大きく開いて驚き、那白に同意を求めた。
「そうだな、男の子なのがもったいない」
「ちょっとなに言ってるんですか」
「姫、冗談はやめてあげなよー」
「なんだ、やっぱり冗談か」
明は、ふぅ、と息を吐くと、
「ん、わたしは冗談なんて言っていないが雪穂」
「ごほっごほっ!!」
思わぬ言葉に明は思いきり咳き込んでしまった。那白さん考えが全く読めないぜ。
「ところで、姫と明っちはどういう関係なのかな。わたし気になるなぁ、姫が男子と喋るところなんて滅多に見ないしな」
雪穂が目を輝かせながら明を見てきて、どんな関係でもないっすよ、と言おうとすると、
「ん、わたしと少年は主従の関係だな」
那白が驚くようなことを言った。雪穂はさらに目を輝かせ、明は、えっ、と目をひん剥いて驚いた。
「主従って、つまり主と従者でしょ。姫が主だと思うから、明っちが従者……きゃー! 二人ともどんな関係なのよ!」
「そんな関係じゃないから、那白さんも何言ってるんだ」
明が那白に訊くと、那白はさらに話をややこしくさせた。
「そうだ雪穂、わたしが主じゃない、主は少年でわたしが従者だよ」
「え、じゃー、明っちが姫に色々なプレイを命令したりとかしちゃうわけ? きゃー、姫ったらいつのまにそんな関係の子を作ったの」
「なんでそうなるんだぁ!!」
明は話がワケわからなくなりすぎて、思わず絶叫した。
「まぁ、いいや。姫そろそろ行こ……姫と行きたい場所たくさんあるんだからね」
「そうか、わかった……少年、最後にこれだけ言っていくよ……」
明は、ハチャメチャな那白と雪穂の会話が終わり息を整えながら、那白の言葉を聞いた。
その言葉はまた会おうとか、頑張れとか、さよならとか、バイバイとかみたいな明が予想した普通の言葉じゃなくて、まったく那白から発せられるとは思ってもいない言葉だった。
「メルを……メルト・ギル・スクエアをよろしく頼む。彼女が死んでしまったら、わたしは少年と縁を切らなくちゃいけなくなるかもしれないからね」
「えっーー!!」
雪穂は、明に手を振りながら、じゃーねー、と言って明が那白に訊ねる前に那白の手を掴んで走り出した。
明は遠くなっていく、那白の後ろ姿を見ながら思った。なんでーー
「なんで、那白さんがメルの名前を知っているんだよ!」
明に答える者は誰もいない。知るためには那白本人に聞いたほうがいいだろう。人間の那白が最近魔界から平界に来たメルの名前を知っているはずがないのだ。
だから、どこかでその名前を聞いたのだろう。思い付くのは退魔者という言葉だけだった。
那白さんが退魔者。それなら、元魔術部隊総隊長の名前を知っていてもなんらおかしくないはずだ。
「いくら考えてもわからないか」
と、妥協した明は那白の正体について考えるのをやめて、もうじき勇姿を見せてくれるであろう妹が待つ競技場へと向かった。




