タイトル未定2026/09/18 09:18
生きる意味
妻は漫画家としての才能があり一時プロとして活動していた。今後もやりたい気持ちを私の病で諦めざるを得ないことになった。さらに、大切なI人娘が同じ病を遺伝していたら私は何と声をかければいいのだろう。死にたくなる私。生まれるべきではなかったと時々思う。1人娘にも私の病気への心配が埋め込まれた。遺伝していたら死ぬか。また、かすめてしまう。この様な暮らしは苦しみしかない。
しかし、何かを求めて生きることは幸せにならなく、慎ましく静かに生きることが幸福度が高いという理論をアインシュタインは言っていたことを思い出した。確かに大量生産、消費の末路は虚しく衰退するのは目に見えている。それでも続けない、いや、続ける事しかできない資本社会は残念ながら壊れるまでギリギリ続ける。一歩引いて周りが見えた時、膨張を続け、崩壊に進む会社を退職して良かったと思った。ここでも何故アインシュタインの幸福論がよぎったのか見えない力なのかわからない引き出しが開いた。。パラダイムシフト(価値観変換)が起きた。苦しい過去、現実は付き纏うが今ここにある物で十分すぎることに気づいた。私の病は進行するがめげない妻の偉大さを感じ、私は身体を脱ぎ捨てて静寂に心を置いた時、釈尊で言う空の真理に近づき忙しなく金を稼いで幸せになるお金に執着する生き方は破滅することが理解できた。僧侶が荒修行を積み真理に近づく作業と類似する。残念ながら寺社仏閣も資本社会に染まってしまったが。人は何のために生きているかという問いが好きだ。回答は何もないのだが。何もないから今ある既存の物を大事に使い、無駄な消費など要らなくなる。有り余ったゆとりで見えなくなちてしまう資本形態から脱却すると争いもなくなる。ただし、ぎりぎりまで続くこの卑しい社会において、金である盾は静寂を守るために最低限いる。そこを私は確保して家族を健やかに生きる様に静かに見守る姿勢を維持。荒波から静海に。戦争は絶望しか生まない悪循環している社会を傍観。生きる意味は何もないことを深く考え伝えられたら幸せは訪れると思います。
私は何ものに囚われず瞬間を生きる。他者との繋がりも大事だと言われているが私には要らない。関係を築く作業が煩わしくノイズになっている。孤独、孤立を望む私。そこには誰の侵入、介入も許さない静寂があるからです。身体は朽ちていっているが心はぶれない。僅かに残る人生を旅する。




