0803
周介は装備を身に着けて、そこに立っていた。その場所は大太刀部隊の訓練室だ。鬼怒川が直々に予約し、方々に根回しして確保したその場所にはすでに周介と鬼怒川が立っている。
訓練場にいるのは周介と鬼怒川以外には数人しかいない。その数人も、ほとんどがこの場で巻き込まれたとしても対応できるだけの実力者ばかりだ。
その中には当然、いざという時周介を助けるための要員として古守がいる。彼は今でも心配そうにしていた。
「百枝さん。どういう理由があっての事かは聞きませんが、彼女と五分というのはあまりにも……まだ百枝さんには早いかと。危険すぎます」
「俺もそれはわかってます。勝とうなんて思ってませんよ」
「……どうあっても、やめるつもりはないんですか?」
「逃げられるなら逃げますけどね。怖いですし……いざという時は助けてください。古守さんが頼りです」
そんな風に頼むなら、やらなければいいのにと古守は思わずにはいられなかった。わざわざ個人装備を、それも頭部の装備まで持ち出す完全装備だ。周介はもはや訓練のつもりで来ていない。
その纏う空気を、気配を、古守は知っていた。周介と少ない回数ではあるがともに行動した身だ。その身にまとった覚悟の強さを古守は知っている。
周介は今、実戦と同じ覚悟でこの場にいる。訓練場の反対側でのんきに準備運動をしている鬼怒川とは、この訓練にかける気合が異なっている。
一体何が周介をそうさせるのか。事情を知らない古守には理解できなかった。それがまさか女装をしていたことを言い触らさないでほしいという、なんとも情けないものであると誰が思うだろうか。
全身をほぐすように準備運動をする周介の気迫は、相対している鬼怒川にも伝わっている。気合が入っている獲物の動きに、鬼怒川のうちにある猛獣の部分が強く刺激される。
早く、早く追いかけたい。早く追い詰めたい。早く屈服させたい。早く捕食したい。
自然と顔の筋肉が笑みを作ってしまう。体の内から力が溢れ出るのが止められない。少しでも油断すれば今にも襲い掛かってしまいそうだった。
鬼怒川が放つ気配を、周介の近くにいる古守も感じ取ったのか、わずかに警戒の色を強くしているように感じられる。
すでに古守の射程距離には入っているのだ。いつでも攻撃される可能性はある。
そして何より、鬼怒川に動くのを許さない人物がもう一人いた。
鬼怒川は一瞬視線を向ける。その先には壁の隅に椅子を用意してそこから眺めている葛城校長がいた。
笑みを浮かべながら周介と鬼怒川の訓練を座った状態で眺めようとするその姿は、一見すれば場違いとも思えるような雰囲気を醸し出している。
だが、鬼怒川からすればこの場で一番恐ろしいのはこの葛城校長だった。
不用意に動けば、即座に斬り伏せられる。鬼怒川は経験からそれを知っていた。合図もなく駆け出せば、そうなることは間違いないと。
「いいですね?いざとなったら割って入りますが、両者ともに、相手を行動不能に追い詰めるか、五分経過したら即座に行動を停止すること。それと……これは言うまでもありませんが、相手を必要以上に傷つけないこと。わかりましたね?」
「わかってます」
「もちろん!手加減しますって!」
周介の言葉はともかく、鬼怒川の言葉は信用できないと古守の表情が言っていた。思い切り顔をしかめてしまっているため、鬼怒川の言葉を全く信用していないのがわかる。
何せたくさん前科があるのだ。周介と訓練をすると、鬼怒川は決まって訓練所を破壊する。
彼女からすれば手加減をしているはずなのだが、それでも訓練場の耐久力がもたないのである。
周介が逃げ、外れた攻撃が当たった状態で破壊されるのを見ていれば、一撃でも当たれば周介の体がもたないのは誰の目にも明らかだ。
あれだけの攻撃にさらされ、何故周介が無事でいられるのか疑問視するものも多い。本当に鬼怒川が手加減をしているのか、それとも、別の理由があるのか。
少なくとも、周介に何かがあるということを察している者は多い。それは葛城校長が指導についたことで確信へと変わりつつあった。
「鬼怒川さんは片腕のみ能力発動可能。戦闘行動は五分間許可。それと、可能な限り壊さないでほしいと、製作班並びにビルド隊の方から頼まれています」
「「善処します」」
重なった周介と鬼怒川の言葉に、たぶんこれは無理だろうなと古守は心の中で詫びていた。
鬼怒川だけではなく、周介もまたこの空間が壊れてしまうということを察しているのだ。自分が逃げるからこそ、被害が増えるのだということを理解してなお逃げる。
それ以外に取れる手段などないのだと、諦めているが故の思い切りの良さというべきだろうか。
これ以上何を言っても仕方がないだろうと、古守は二人の間から離れ、葛城校長が腰かけている椅子の近くまで向かうと、大きく息を吸い、叫ぶ。
「それでは!始め!」
古守の合図とともに鬼怒川は能力を発動しながら跳躍する。
胸元から放たれる蒼い光と共に、その右腕が異形の鬼の腕へと変貌し、周介めがけて襲い掛かる。
傍から見れば、鬼怒川の体が唐突に飛んできたように見えるだろうその突撃を、周介は跳躍することで回避していた。
鬼怒川の拳は周介のすぐ後ろの障害物を粉砕し、破片をあたりにまき散らす。壊すなと言われた後すぐにこれだと、周りにいた大太刀部隊の人間は苦笑していたが、片腕だけでもあの威力だ。頼もしいと思う反面、恐ろしくも思える。
「不意打ちじゃダメか!いい反応!いつも以上にいい感じ!」
鬼怒川は笑う。天井を足場に再度跳躍する周介を追うべく、その腕を振るっていた。
「はっはぁ!いい!いいなぁ!」
半狂乱になりながら、楽しそうな声を上げる鬼怒川を見て古守は心配そうにしていた。常に時計で時間を計測している古守は、常に周介と鬼怒川の位置を把握し、いつでも鬼怒川に対して攻撃を行って周介を助けられるように準備している。
十秒という時間がこれほど長く感じられたことは、古守の長い経験の中でも数えるほどにしかなかった。
攻撃を仕掛け続ける鬼怒川と、その攻撃を避け続ける周介。どちらを応援するかと言われれば、古守は間違いなく周介を応援するだろう。
短い間とはいえ、古守は周介を指導していたのだ。周介の弱さも、そして強さも知っている。
今はその任から解かれているが、それでも、自分が指導した、強くなろうとしている少年が目の前で蹂躙されるところなど見たくはなかった。
「そんなに気を張るな。問題はない」
いつでも攻撃できるように意識を研ぎ澄ませていた古守の耳に、聞き慣れた凛とした声が届く。それは椅子に座った状態で周介と鬼怒川の訓練を眺めている葛城校長だった。
轟音と衝撃が辺りに響く中、葛城校長は全く意に介した様子もなく、常に周介と鬼怒川の動きを追い続けている。
今周介を指導している葛城の言葉とは言え、その言葉を率直に信じられるほど古守は大胆な性格をしていなかった。
「その性分は何とかならないか?もう少し、その慎重さが無くなれば、もっとうまく動けるというのに」
「すいません。こればかりは……」
慎重に、悪く言い換えれば臆病に。それが古守の生来のものだった。否、それだけではないのだが、古守は指導においても、行動においても慎重になるきらいがある。
良い方向に運ぶこともあるが、逆に運ぶこともあるだけに、もう少し時と場合によって使い分けられるようになってほしいと葛城校長はかねてより思っていた。
「ですが危険です。彼は一分の訓練でも満身創痍になっていたのに」
「その記録も見た。だが、問題はない。彼はもうあのくらいの動きなら捉えられる」
葛城校長の言葉には確信のようなものがあった。今の周介を古守は知らない。だが葛城校長は知っている。
確かに、つい先日一緒に行動した時、古守はその動きを細かく見ることはできていなかったが、相手の攻撃をほぼ完璧に回避したということは知っている。
そしてこの間の台風の時も、件の能力者に対してほぼ完璧に立ち回り、自らの能力の反動で受けた負傷とわずかな火傷程度で戻ってきたと聞く。
回避能力は格段に向上しているのは間違いない。それこそ、数カ月前の周介とは別人と思えるほどに。
今も、ついこの間の周介とは違う動きをしているのがわかる。空中での移動もそうだが、何より気になるのは動き出しの、反応の早さだった。
明らかに、視界範囲的に見えていないはずの攻撃を回避している。見えていないはずの攻撃を避けている。
鬼怒川は常に死角に回り込もうとし、周介の避けきれないようなタイミングで、着地の瞬間や、跳躍した後のその直線上に攻撃を置くように、先読みした動きをしているというのに、周介はそれを回避するのだ。
時に鬼怒川の体を殴るように乱暴にアームを叩きつけたり、あるいは体についているワイヤーで障害物を掴んで軌道を変えたり、アームに取り付けられている推進剤を使って再度跳躍したりと、その手段は様々だ。
だが、共通して言えるのは、周介は間違いなく鬼怒川の動きを察知している。見えないはずの角度でも、常人なら反応できないほどの速度でも。
少し前の周介にはできなかったことを、葛城校長はできるようにした。それは指導という枠を大きく超えているようにも思える。古守は、時間を測りながら、すぐ横にいる老齢の男をわずかに睨んだ。
「先生、あなたは彼にいったい何を……?」
「なに、少々乱暴にではあるが、あの子の感覚を鋭くしてやっただけの事だ。あの子は筋がいい。しっかりと自分が把握できるものを理解している」
「……彼には一体、何が見えていると?」
「自らに迫る脅威。いや、もしかしたら、それは他人にも当てはまるのかもしれないな。どちらにせよ、彼は降りかかる脅威を感じ取る。それだけではなく、どこにいれば安全なのか、それもわかっているように思える」
「そんなことが……本当に?」
「それにだ、私はそれを研いだだけ。そういう素質をあの子は既に持っていた。そして、それを目覚めさせたのは他でもない。鬼怒川君だよ」
鬼怒川との初めての訓練以降、周介の動きに変化があったことは古守も気づいていた。だがまさかそれほどのものを手にしていたとは夢にも思わなかったのである。
特に、限定的ではあるが予知に近い効果すら発揮する感覚などそうあるものではない。
「ですが、それでも五分という時間は長すぎます。百枝さんでは、自身の動きに体がついていかない」
強化がかけられる能力であれば、急激な加速減速によってかかるGによっても、肉体の健全性は維持できる。だが強化のかかっていない周介の肉体では、急激な動きをするだけで体は少しずつ損傷していく。それは今までの訓練からも明らかだ。
「問題はないといった。あの子は既に、鬼怒川君の攻略方法を理解している。それを実践するだけだろう」
葛城がそういうと、周介は腰に取り付けられていた装備の中からいくつかの道具を取り出すとそれらを放り投げる。すると、その物体から煙が噴出し、訓練場の一角を濃く白い煙が包み始めた。




