0043
ドクとナビゲーターの指示のもと周介は全力で走り続けていた。高速で移動し続けている自転車のハンドルを握る手が震える。
長い高速道路の舗装は、あくまで車用に舗装されたものだ。ほんのわずかな凹凸や歪みは、重量の低い車体を容易に跳ね上げさせ、その都度ハンドルが揺れ、車体が不安定になってしまう。
僅かな振動であっても体が完全に固定されていない状態で、自転車のような不安定な乗り物であれば当然、非常に危険だ。
いつ体が投げ出されても不思議はない。もしこの速度で地面を転がろうものなら、それこそ一巻の終わりだ。
転げるだけであれば、骨折だけで済むかもわからない。だが後ろから襲い掛かる能力者に捕まったらどうなるか、周介には予想できてしまった。
だからこそ転がるわけにはいかない。このまま進み続けなければならない。いつまで逃げ続ければいいのかと、恐怖と不安、そして体中に突き刺さる強い冷風によって涙さえ出てくる中、周介はそれを目の当たりにしていた。
その姿を、周介は見たことがある。見たことがあった。そしてそれは周介の記憶に強くこびりついている。
壁から飛び降りてくる彼らが、スローで映る中、周介の目はそれを捉えていた。何かが飛んでいる。人ではなく、もっと小さなものだった。
小鳥のような大きさのそれがいったい何なのか周介には理解できなかったが、それが敵ではないという直感があった。
一瞬で通り過ぎてしまった彼らを見て、周介は動揺していた。完全に通り過ぎてしまったが、彼らこそ合流するべき味方なのではないかと感じたからだ。
「ドク!今!」
『おっと、大丈夫だよ周介君。君ももう彼らの手の内さ』
その言葉を理解するよりも早く、周介の体が、いや、周介の体と一緒に乗っていた自転車が宙に浮く。
先ほどから高速で動いていたはずの自転車は徐々に減速し、やがて停止してしまう。このままでは追い付かれる。そんなことを考えて車輪を回すも、宙を浮いてしまっていては全く意味がなかった。
『さぁ見るんだ。君は見るべきだ。彼らがどう戦うのかをね』
ドクの言葉に、周介はすでに通り過ぎてしまったそれを見た。
数十メートルは離れた場所にいる彼らは、確かに戦っているようだった。
空中で飛翔する無数の何かが、周介を追ってきた何者かの周りを旋回しながら襲い掛かる。
そして盾を持った誰かが襲い掛かる看板や物体から味方を守っていた。
まさに異次元の戦いというやつだった。周介からすれば初めて見る能力者同士の戦いだった。
漫画やアニメの中で繰り広げられるだけだった、遠い場所の光景が今目の前に広がっている。
「すごい……」
『すごいだろう?君もいずれあぁいう風になるさ。そしてあの戦いは……失礼、すでにもう戦いは終わっているよ』
「え?まだ全然戦ってるけど」
『あぁすまない。戦うのかを見ろとは言ったけど、彼らは戦う部隊ではないのさ。彼らがやるのはいつだって、足止め。その場から動かさないことなんだ。そして彼らはすでにその役目を終えているんだよ』
周介は目の前で起きている光景を眺めながら、今もなお戦っている彼らを見ながらその言葉の意味が理解できなかった。
だがドクの言葉を証明するかのように、戦闘の勢いが一気に失われていく。素早く周囲を旋回していた何かはゆっくりと円の軌道を描きながら規則正しく停止し、盾を持っていた人物は首を回しながら伸びをしている。
他の人員も同じだ。すでに終わったといわんばかりに、すでにやることがなくなったといわんばかりに緊張を解いている。
まだ空中に浮く能力者は健在だというのに、彼らの動きは完全に止まっていた。だが同時にその能力者の動きも止まっているということに周介は気づいた。
「どういうことだ?ドク、これってどういうことですか?」
『味方の能力を話すつもりはないよ。君自身がそれを把握するしかないのさ。やってごらん?君ならできるだろうさ』
ドクの言葉に、周介はまず宙に浮いたままの自分の状態を確認してみる。自転車は宙に浮いたままだ。車輪は未だ空転を続け、乾いた回転音を周囲に振りまいている。
暗くて周りがよく見えないが、周介はそれを見つけることに成功していた。
それは手だった。自転車のフレームを、手のような何かが掴んでいる。
手首から先しかない、手の形をした何かが、周介の体ごと、自転車を持ち上げているのだ。
それも一つや二つではない。少なくとも十個ほどの手が、そのフレームを握っていた。
先ほど飛翔していた謎の物体が、この手だということに気付き、寒気を覚える。
手だけが動くなど、一歩間違えればホラーのようなものだ。それがいくつも自転車のフレームを掴んでいるとなれば寒気を覚えるのも無理もない。
そして周介は、自分の自転車に何かが絡まっているということにも気づく。それを手に取ってみると、それが糸のようなものであるということが分かった。
空飛ぶ手と謎の糸。それが彼らの能力なのだろうかと周介は訝しむ。
だがそれだけであれほど完璧に相手の動きを拘束できるものなのだろうかと不思議にも思っていた。
「こちらアイヴィー01、ドク、目標の確保を完了。新人も無事です」
『いやぁ助かったよ。君たちが都合よくその場にいてくれて本当に助かった。目の上のたん瘤を一つ片づけられていいことづくめだね』
近くにやってきて無線の向こう側に話し始める盾を持った人物に、周介は目を白黒させていた。
自分が必死に逃げている間にドクはこの人物と何やら話をしていたのだろうと察し、少し複雑な気分でもあった。
「待ってろ、今下す。02、新人を下ろしてやれ」
「了解」
その声を周介は聞いたことがあった。02と呼ばれてやってきたその人物の声と、先ほど盾を持っていた人物が口にしたアイヴィーという単語を、周介は覚えていた。
「あんた、ひょっとして電車の中で俺を捕まえた」
「お、ってことは新人ってのはやっぱりあの電車の。うわさは聞いてたけど、まさか本当にうちに入るとはな。運がいいんだか悪いんだか」
そう言って02と呼ばれた人物が手をかざすと、周介を自転車ごと持ちあげていた無数の手がゆっくりと降りていく。
周介はとっさに能力によって回転し続けていた車輪を止めると、地面に着地すると同時にその場に座り込む。
本当に死ぬかと思った。そのせいか体に力が入らない。立ち上がることもできないほどだった。
張り詰めていた体の強張りが解け、わずかに手足は痙攣してしまっている。
「死ぬかと、本当に死ぬかと思った……助けてくれてありがとうございます」
「気にすんなって。こっちもこっちであれを捕まえられたからな。隊長、引き渡しはどうします?一応ファラリス隊呼んでおきますか?」
「必要ならそうしよう。だがこのまま高速道路を止めておくわけにもいかない。早いところ補修と搬送できるように手配したほうがいいな」
「もう手配したぞ。あとは回収が来るのを待つだけだ。その新人はどうする?」
「大丈夫?立てる?」
女性と思わしき隊員に気遣われ、周介は震える足に力を入れて何とか立ち上がる。怪我などがないことを確認して、周介は安堵の息をついていた。
あれだけの高さから落ちたのだ。もしかしたら体のどこかを打っていても不思議はない。今は興奮によって痛みがマヒしている可能性もあるため、絶対とは言えないが、少なくとも大きな怪我などはしていないようだった。
「大丈夫です。すいません、ご心配おかけしました」
「どうするか……っていうか、さっきの激走を見る限り、お前ここまでチャリで来たのか」
「はい。俺の能力はそういうことができるもので…ドクにちょっと様子を見に行ってくれって言われて…この様です」
「それは……気の毒にな。02、とりあえず彼を高速から出してやれ。ここから帰ることはできるか?というか、君のそれ、たぶんだがドクとつながっているだろう?」
「はい、ナビゲートしてもらえば帰れます」
こんな状況に立ち会ってしまったとはいえ、周介からすれば今すぐにでも帰りたかった。
可能ならばすぐにでも家に帰り、ベッドにダイブしたい気分だった。ちょっと様子を見に行ってくれと言われ、気づけば激走し、一体ここがどこなのかもまだわかっていない。
とにかくこの場から離れたかった。気を抜くと先ほど追ってきた能力者がまた再び襲い掛かってくるのではないかと気が気ではないのだ。
「なら君の口から伝えておくといい。こんなことをやらせるなと」
「そうさせてもらいます。ありがとうございます」
再び先ほどの手によって掴まれ、周介の体と自転車が宙に浮く。
「じゃあまたな。俺らはアイヴィー隊だ。この人が隊長だから、またなんかあったらよろしくな」
「よろしくお願いします。俺は、えっと、まだどこの所属かってのはわかってないですけど、何かあったら、またお願いします」
宙に浮きながら、周介は離れていく彼らの姿を見ながら手を振った。
そして周介は高速道路からすぐそばにある道路に降ろされる。周介と自転車を掴んでいた複数の手は周介が地面にしっかりと降りたことを確認すると、再び高速道路の方に向かって行った。
「ドク、聞いてますか?」
『もちろん聞いているよ。若者たちの出会いというのを邪魔するのはどうかと思って静かにしていたのさ。どうだった?』
「どうもこうもありませんよ!なにがちょっと様子を見に行ってくれるかいですか!思いっきり殺されそうになりましたよ!」
『あっはっは、それに関しては僕悪くないよね。嫌な予感が的中してしまっただけだから、むしろ事件を事前に防いだという意味ではファインプレーだったんじゃないのかな?』
「俺の命をそんなに軽く扱ってるとは思いませんでしたよ」
周介はかなり憤慨しているが、実際はかなり安全面には気を使っていたということは知る由もない。
少なくとも周介は本当に死にかけたのだ。そういう意味では、周介の怒りもまた仕方のないものといえるだろう。
「とりあえず家に帰ります。メイト11、すいませんが家までのルートをナビしてくれますか?」
『了解しました。それではこのまま数キロは直進してください。かなり距離がありますよ』
「ですよね……ここいったいどこですか」
周介は今自分がどこにいるのかもわからないまま、とりあえずわずかにきしむ自転車にまたがり移動を始めていた。
かなり速度を上げて走っていたのに加え、高いところから落ちたことで部品のいくつかに負荷がかかりすぎてしまったのだろう。
家に帰るまでは安全運転をしなければならないなと、そんなことを考えながら周介はナビに従って自転車を走らせる。
初めて能力者として出かけた夜、周介は危うく死にかけたが、同時に貴重な経験をすることとなる。
蒼い月が覗く寒空の下、周介はまた一歩能力者として前に進んだのである。
それが良いことなのかどうかは、判断に困るところではあるが。