94 救出は間に合うか
ドサッ・・・
(・・・ッ・・・)
床に放り出されたような衝撃を感じて、エルオリーセは目を覚ました。
(・・・?・・・臭ッ!)
自分の身体を包んでいるゴワゴワした布は、とんでもなく汚れているようだ。
身体はまだ自由に動かないが、意識ははっきりしている。狩人が獲物を捕獲するために使う睡眠剤は強力で、人間だったら僅かな摂取でも一晩は目は覚まさない。それがこんな短時間で目覚めたのは、エルオリーセがメタモルファルだからだろう。
(薬の効果時間は、人より短いのね)
思わぬところで、自分の薬物効果の耐性を実感してしまった。
(それより、ここはどこだろう?)
「よっしゃ、見つからずに来れたな。衛兵に見られたらヤバかったけど」
「だな、全然見かけなかったのはラッキーだぜ」
彼らは、衛兵たちが今晩の一斉検挙のために動いていることを知らないようだ。元締めのオヤジから、明日の早朝レーエフを出てゆく理由は聞かされていたはずだが、能天気な軽いオツムは状況を正しく認識出来ていない。
「で、これからどうすんだ?もう、ヤっちまう?」
(・・・2人か・・・逃げ出せるかな?捕まった時は3人いたはずだけど)
エルオリーセは、布の臭さを我慢して耳を澄ませた。
「おい!オヤジが荷物を積んどけってサ。ホロ付き馬車が手に入ったから、裏に留めてあるとヨ」
足音とともに、3人目の男の声が聞こえた。
(あ!この声・・・)
聞き覚えがあった。
ワイアの土手で、オオカモメの飛び立ち方を説明した時だ。
(婦女暴行の容疑者の男・・・逃げたのね)
という事は、自分は恨みを買っているのかもしれない。だからこうやって拉致されたのだ。そしてこの後の展開も、容易に想像がつく。
(口先で騙して、油断を誘うのは難しいかもしれない。でも、何とかして逃げないと)
3人の男たちが部屋を出て行ったのが解ると、エルオリーセは必死に這ってドアに向かった。
(・・・ッ・・・やっぱりダメ)
鍵が掛かったドアは頑丈で、唯一ある窓は手が届かないほど高い場所にある。彼らが戻ってきた時に、隙をついて飛び出すしか無さそうだ。
(上手くいくとは思えないけど、アルバが来るまで時間は稼いでおこう)
エルオリーセはドアの傍で聞き耳を立てながら、少しでも動けるようにしようと手足をマッサージしていた。
自分の半身であるメタモルファルが、こちらに向かっていることは解っていた。
バタン!
居酒屋『笑うブチハイエナ亭』のドアが勢いよく開けられると、店内の喧騒が消えた。
「ワンッ!ワンワンッ!」
飛び込んで吠える大型犬だが、常連客はアルバを知っている。
「えっ?何・・・どうしたの、アルバ!」
厨房から出てきたルビーのスカートを咥え、アルバはドア近くに立ち尽くすパキラの方に引っ張ってゆく。
「え?この子は・・・」
怪訝な顔になるルビーだが、アルバはパキラの後ろに回りその身体を押し出した。
「・・・この娘さんを、預かれってこと?」
「ワン!」
察しが良い居酒屋の女主に、大型犬は吠えて答えるや否や店を飛び出した。
「チッ、手間かけさせやがって。目が覚めてるとは思わなかったぜ」
エルオリーセの脱出計画は、失敗に終わっていた。廊下に飛び出したはいいが、3人目の男に襟首を掴まれて再び部屋の中へ放り込まれていた。
「結構、生きがイイじゃねぇか。この方が面白ぇってモンじゃないか?」
「さっきも言ったけど、コイツには借りがあるからな。それに、人妻なんだぜ。ユニバース学院の教授様の奥方様サ」
「ほえぇ~~、そりゃ上玉じゃねぇか。お貴族様か?」
「かもな」
下卑た笑いも露わな男たちの言葉だが、エルオリーセは落ち着いて切れた唇の血を拭った。
(ただの平民・・・いえ、人間ですら無いですけどね)
殴られて壁に身体を叩きつけられ、床に転がった彼女だが、頭の中は冷静だった。
「でサ、荷物運んでたらイ~もん見つけちまったゼ」
長身の男が、ポケットから小瓶を出して見せた。
「オヤジの貴重品だっつう箱にあったんだけどヨ、これって『ベロニカ』だろ。1個失敬してきたんだ。少し使って、後で戻しておけば解らねぇかと思ってサ」
その瞬間、エルオリーセは総毛だった。
通称『ベロニカ』の名前があるその薬は、ニンフォと言う高山植物の未熟果から取れる薬物だ。強い催淫効果と強烈な依存性がある。
仕事上、詳しい知識がある彼女は、使用された被害者の状態についても知っていた。
(冗談じゃない・・・)
そんなものを使われたら、たとえメタモルファルであっても、どれだけ効果を減らせるか解ったものではない。自我を無くして狂ったように快楽を求める被害者の姿を、エルオリーセは見たことがあった。
顔が青褪め、全身に鳥肌が立つ。
(アルバ!早くっ!)
唇を嚙み締めて男たちを睨みつけながら、エルオリーセは心の中で叫んだ。
黒白のメタモルファルは、街中を全力で走った。
エルオリーセの恐怖は、間違いなく伝わっている。
人を避けるために速度を緩めるのも惜しかったアルバは、若い男にぶつかっても振り返ることさえしない。若者がよろけて屋台に倒れこみ、品物をあたりにぶちまけて倒れた凄い音や人々の悲鳴が後を追ってきた。
前をのんびり走る馬車の横をすり抜けて、さらに加速しようとする。
その時、馬車の窓が開いた。
「アルバ!」
ゲンと一緒に馬車に乗っていた三吾が、後方の喧騒に気づいて窓から顔を出したのだ。
眼を血走らせ、開いた口の横から赤い舌が下がっている。狂犬のように死に物狂いで走るアルバの姿に、三吾はエルオリーセの危機を察した。
「犬を追ってくれ!緊急事態だ!」
三吾は、大声で怒鳴った。
馬車は街中を物凄いスピードで走り抜ける。
「おい、どうやら行先は同じらしいな。奴らがアジトにしてる廃屋の方角だ」
ゲンが外を見て言うと、青褪めた顔で三吾が答えた。
「多分・・・エルオリーセに何かあったんだ。アルバは主人の危険を察しているんだろう」
今はその程度しか説明できない。まだアルバがメタモルファルであることを、打ち明けてはいなかった。
けれどゲンは、この幼馴染を信頼していた。
「解った。着いたらお前は直ぐに、アルバといっしょに行け。俺は部下を見つけて、内部に突入する」
やがて馬車は、町外れの廃屋に到着する。
飛び降りた三吾は、ドアに体当たりするアルバを手伝った。
バキッ!
1匹と1人の力で、古いけれど頑丈なドアが開く。
中に飛び込んだ三吾は、慌てて出てきた中年夫婦に阻まれるが、アルバはその足元を搔い潜って奥に走った。
「レーエフ衛兵隊だ!全員、捕縛する!」
外から、ゲンの大声が届いた。
廃屋の周囲は、兵兵たちに囲まれていた。けれど元締め夫婦は、逃げ道を探して裏口に走る。
彼らのことはゲンに任せておけば良い。
三吾はアルバの後を追って、奥の部屋に飛び込んだ。
「ガウッ!ガルルル・・・」
「ギャァアァーー!イッ、イテェッ!」
「うわぁっ!」
長身の男が片足を抱えて床を転げ回っている。
アルバは怒気のオーラを燃え立たせながら、逃げようとするもう1人の男に飛びかかっていた。
阿鼻叫喚の室内に飛び込んだ三吾は、部屋の奥で四つん這いになりこちらを振り返った男を見た。
彼の身体の下には、服を破かれてぐったりとしたエルオリーセの身体があった。
「リーセっ!」
何をされていたかは、一目瞭然だった。
目の前が怒りで真っ赤に染まる。
三吾は、頬傷がある男に飛びかかると、渾身の力でその首を締めあげた。
「アルバ!Stop!・・・三吾っ!止めろ、殺すなっ!」
そこに飛び込んできたゲンが、怒鳴った。
三吾を羽交い絞めにして何とか引き離し、その耳元で叫ぶ。
「落ち着け!お前は、リーセを!」
ハッと我に返った三吾は、床に仰向けに横たわるエルオリーセに這い寄った。
それを見て、ゲンは興奮するアルバを何とか落ち着かせようとする。
ドア近くで悶絶する男は、片足が千切れかけている。もう1人の男は、済んでのところで喉笛を嚙み裂かれるところだった。
「三吾、馬車を使え。エルオリーセを家に運ぶんだ。アルバ、落ち着いたか?手紙を書くから、ルビーに持っていけ。アイツと一緒に、三吾の家に行くんだ。出来るな?」
ゲンは胸元からペンと紙を出し、サラサラと書きつける。
エルオリーセが、奴らに暴行を加えられたことは明らかだ。その手当をするなら、自分の女房であるルビーが一番いいだろう。
アルバは激しく息をつきながらも頷き、部屋を走り出る。
三吾は上着を脱いでエルオリーセの身体を包むと、しっかりと抱きかかえて部屋を出た。




