92 稼ぎを強要する親
三日間の採集旅行を終えて、エルオリーセは自宅へに帰ってきた。
最終便の飛行船でレーエフに着いた時は、もう夜になっていた。明日まで不在だという手続きは学院に出してあったが、三日も家を空けてしまっていたので、少しでも早く家に帰りたかった。
「ただいま!」
エルオリーセは、明るい声で自宅のドアを開ける。
「おかえり!」
目の前に、三吾が立っていた。
最終便か翌朝の始発で帰ると聞いていたので、自宅で待っていた。最終便ならそろそろ着く頃だ、と家の中をウロウロ歩き回って待っていた三吾だ。
ドアを開けたエルオリーセに、飛びつくように抱きしめる。
「お疲れ様。怪我は無い?」
そう言いながら、彼女の顔を両手で挟むと、返事も待たずにキスを送る。
「うん・・・っ・・・・ん・・・」
ひとしきり深いキスを貪った後、三吾はようやくエルオリーセの唇を開放する。
「やっぱり三日は長いな。暇さえあれば、君のことを考えてた・・・」
そしていきなり彼女を抱き上げる。
彼女の荷物が、ドサッと音を立てて床に落ちた。
「あっ、あの・・・ちょっと・・・」
せめてお湯くらい使わせて欲しい。服は汚れ、髪も体も汗臭いはずなのだ。
「ごめん、我慢できない・・・」
夫は妻の身体を抱いたまま、そそくさと寝室に消えた。
居間にポツンと残されたアルバは、大きなため息をつくと、床に散らばった彼女の荷物を咥え上げる。そしてそれらを片付けると、諦めたように自分の寝場所である地下室への階段を下りた。
カーテンの隙間から、微かな光が漏れてくる。
夜明けが近い薄明るくなった空から、柔らかな光が寝室の中に入っていた。
「・・・ごめん、リーセ」
三吾は腕の中に閉じ込めた愛する妻の寝顔に向かって、そっと呟いた。
三日間の採集旅行を、強行軍で終えて帰宅したばかりの彼女だ。
疲れていないわけはない。タフなメタモルファルだとしても。
それなのに、どうしても我慢が出来なかった。
彼女の無事を、体と心、全ての無事を確かめたかった。
そして、自分の心を彼女の存在で埋めたかった。
未熟な若者のように性急に、ただ激しく求めてしまったと思う。自分はまだまだ若いのだと、自信を持ちたかったのかもしれない。
(多分、昼過ぎまで起きれないだろうな・・・)
まだ深い眠りの中にいる彼女の寝息と寝顔が、穏やかに安らいでいることだけが救いだ。
(今日は一日、リーセを労わって過ごそう)
そっと起き上がって、彼女の剝き出しの肩に毛布を掛けなおす。
ベッドから降りた三吾の気配を聞きつけたらしいアルバが、寝室に入ってきた。
ジロリと三吾を見る眼が、非難に満ちている。
(ナニシテルンダ、マッタク)
アルバは不機嫌なオーラを漂わせながら、ベッドサイドに散らばったエルオリーセの衣類を集め始めた。その様子は、黒白の毛皮も相まって、厳しいが忠実な執事のようだ。
「・・・反省してる、ごめんアルバ」
三吾は謝りながら、お湯を沸かしに寝室を出るのだった。
日々は穏やかに過ぎてゆく。
大きな事件も起こらないまま、毎日の暮らしを楽しむ三吾とエルオリーセだったが、『好事魔多し』は世の常なのかもしれない。
ある日の夕方、エルオリーセとアルバは『笑うブチハイエナ亭』に急ぎ足で向かっていた。
三吾は先に行っているはずで、一緒に夕食をとるために待っているだろう。
(少し遅くなっちゃった・・・)
抱えた紙袋をガサッと持ち直して、中身を確認する。よく熟した真っ赤なトマトが、ツヤツヤと輝いていた。農学のポタシム教授から、品種改良した新しいトマトの収穫を手伝ったお礼に貰ったものだ。
(うん、大丈夫。潰れてないわね。半分はルビー姐さんにあげて、残りを三吾と一緒に食べようッと)
料理に使うのもアリよね、と考えながらエルオリーセは近道するために路地に入った。アルバと一緒なら、何も心配はいらない。
すると、路地の奥から何やら声が聞こえてきた。
「・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・言うとおりにするからっ・・・」
鳴き声交じりの言葉は、不穏な気配を伝えてくる。
エルオリーセはアルバと視線を交わし、路地の奥へと走りこんだ。
「やめなさいっ!」
大声を叩きつけた相手は、中年の男女だった。地面に若い女性が倒れ、その身体に蹴りを入れている。
「バウッ!ゥワンワンワンッ!」
アルバが牙をむきながら吠え、男と女性の間に割り込んだ。
「ぅおっ!・・・な、なんだコイツッ!」
怯んで後ずさった男女に、エルオリーセは女性を助け起こしながら怒鳴った。
「どんな事情があっても、これはダメっ!」
本気怒っている大型犬だけでも分が悪い。キナ臭い雰囲気を漂わせた中年男女は、捨て台詞を吐いて逃げて行った。
「チクショウッ!今はこれで勘弁してやらぁ!」
「解ってるわね!パキラ」
男女が逃げ去ると、エルオリーセは暴行を受けていた女性に優しく話しかけた。
「大丈夫ですか?怪我は?」
「・・・・だい・・・じょうぶ・・・」
まだ二十歳前に見える若い娘は、俯いたまま震える声で答えながら立ち上がった。
「ありがとうございました・・・何もお礼が出来なくて、ごめんなさい」
「お礼なんて要らないから・・・でも、心配だから家まで送らせて」
女性と犬なら、自宅まで付いて行っても問題は無いだろう。けれど娘は、頭を振った。
「まだ家には帰れないから・・・稼ぎを持って帰らないと。さっきの2人は、親なんです」
「えっ!」
エルオリーセは、声に出して驚いてしまった。
少しくらいなら時間もあるだろうと、エルオリーセは屋台の飲み物を買って娘と一緒に道端に腰を下ろした。
「差し支えなかったら、事情を聞かせて。何か役に立てるかもしれない」
フルーツジュースを差し出しながら言うエルオリーセに、娘は目を見開いた。こんな風に扱われたのは、初めてのことだった。
「ええと・・・パキラさんって言うのよね。私はエルオリーセ。この子はアルバよ。採集の専門職をしてるの」
お節介かな、と思わないでもないが、何故か放っておけなかった。穏やかな生活の中で培われた、気持ちの余裕のせいかもしれない。
「話しても、どうしようもないんだけど・・・」
パキラはそれでも、ポツリポツリと話し始めた。
数か月前に、ワイアから一家揃ってやって来た。
最初は親だと言ったが、あの中年男女とは血の繋がりがあるわけではない。一家と言っているが、全員が赤の他人だ。誰かに聞かれたら、そう言うように命じられていた。
中年男女は夫婦で、子供と称する若い男女を働かせていた。パキラのような娘たちは、どうやら街娼をさせられているらしい。
「レーエフでは、なかなかお客が見つからないの。昨日も今日も、1人も捕まえられなくて、それで折檻されてたの。もっと本気でやれって」
レーエフにも娼館はあるが、内容はどうあれ経営自体は健全だ。利用料金は高く、顧客も身元が確かな者だけになる。いわゆる売春婦もいないわけではないが数は少なく、家持ちで衛兵のパトロールの目を搔い潜って商売している程度だ。
ワイアのように、路地裏や空き地の隅で商売できるような街ではなかった。
「でも、何とかして稼がないと・・・帰ったら折檻されちゃうし、ご飯も食べられないし・・・帰らずにいたら、さっきみたいに探されて同じ目に遭うだけだし」
最後の一滴までジュースを飲み干し、パキラは遠い目になった。
(その一家って、ゲンさんが言っていたグループのことじゃないかな)
以前聞いたことがあった。南から来たらしい小悪党の集団がいて、なかなか尻尾を掴めずにいるという事を。
(・・・それなら、ゲンさんに相談するのが良いわね)
エルオリーセは、立ち上がってパキラに手を伸ばした。
「一時避難しましょう。レーエフで稼ぐのは難しいから、帰ったり見つかったりしないで済むように。私とアルバを、信用してくれる?」
「え?」
パキラはしばらくエルオリーセの顔を見つめていたが、やがてその手を取った。
「・・・今以上に悪くなることは無いものね」
南の浅黒い肌の娘は、何かを吹っ切ったように笑顔を見せた。




