75 碧の瞳の赤ん坊
ポルカが知っているゼッタの過去は、纏めるとこんな感じだった。
ゼッタはまだ若い頃、集落を訪れた山岳民族の狩人と恋仲になった。
コバルという名のその男と、やがてゼッタは結婚する。2人は集落を離れて狩りと商いをしながら暮らした。やがてゼッタが身籠ると、2人は集落に戻って定住した。身重の妻を慮って、コバルは1人で周辺の山で狩りや採集を行ったり、持ち物だったホロ付き荷車と馬を使って荷運びなどの仕事で生計を立てる。仲睦まじい若夫婦だった。
そんなある日、数日間の狩りから戻ったコバルは、自分の上着に包んだ女の赤ん坊を抱いていた。
そんな夫に、ゼッタは最初捨て子を拾って来たのかと思ったが、幾ら問いただしてもコバルは答えなかった。ただ、自分に託されたのだから責任もって育てるとだけ言った。
赤ん坊の髪は栗色で瞳は碧、肌の色も山岳民族の色ではなかった。
自分のお腹の中には彼の子供がいるのに、と思うゼッタだったが夫を深く愛していて嫌われたくなかったので、その赤ん坊の世話を手伝う事にした。心の中で葛藤しながら、けれどこれは自分たちの子供が産まれた時の予行演習にもなると無理やり自分を納得させていた。
けれど、ひと月も経つとコバルは赤ん坊の世話を覚えて、全てを自分1人で行うようになる。子供用の食事を作って食べさせ、着替えさせてお湯を使わせる。片時も離さず傍に置いて、しばらく休んでいた仕事を復活させてからも赤ん坊を連れていった。
狩りや採集に連れて行くことは出来ないので、仕事は荷運びだけだったが、ホロ付き馬車の荷台に乗せたり、抱いたり背負ったりして馬に乗った。
そんなコバルの姿を見た集落の人々は怪訝に思ったが、ゼッタの気持ちを考えて噂は慎んでいた。けれどゼッタの心は追い詰められていた。
何度もその子を手放して欲しいと訴えたが、コバルは頑なにそれを拒んだ。ゼッタの気持ちも解るので、赤ん坊に危害が与えられないよう、ますます自分の傍から離さない。当然、夫婦としての関係は少しずつ破綻していった。
それでもゼッタは、夫の事を愛し続けていた。いつかきっと、目を覚ましてくれるだろう、と。
そんなある日、コバルは荷運びの仕事を受けて出かけていった。
赤ん坊も一緒の、かなり遠方への旅になっていたが、ゼッタは夫の帰りを待っていた。そして10日も過ぎた頃、コバルの訃報が届いた。
それを聞いてゼッタは倒れ、流産した。
「コバルが加わっていた隊商が、野獣か飛竜かに襲われて全滅したって連絡が来たの。知らせを受けた部族の男たちが数日がかりでそこに向かって、残っていた遺品を幾つか持ち帰ったんですが・・・」
ポルカは痛ましそうな表情で話し続けた。
「コバルの物は、食い残された手首だけだったんです。隊商の他の人たちも身体の一部が残っていただけで、全滅だって解ったんですが・・・」
赤ん坊は、影も形も無くなっていた。集落の人々は、赤ん坊だから丸ごと食われたんだろうと思ったが、ゼッタはそうは思わなかった。
「しばらくの間、ゼッタは半狂乱になっていて、夫の死と流産がショックだったんだと思うけど、それが落ち着いたら今度は生きた屍みたいになってしまって・・・」
何もかも、自分からはしなくなってしまった彼女を、部族の皆は暖かく世話をした。
長い年月は掛かったが、やがてゼッタは少しずつ立ち直る。無口で陰気な中年女性となった彼女は、やがてポルカの誘いでレニに出稼ぎに来るようになった。
「アタシはゼッタと一緒に暮らすうちに、少しずつそんな事を聞いていたんです。その話を聞いて、彼女はその時の赤ん坊が、昔話に出て来る『碧の目の化け物』だって信じ込んでると思いました」
ゼッタは、あの赤ん坊が不幸と不運を持ってきたのだと言っていた。
栗色の髪と碧の瞳を持つ赤ん坊は、愛する夫の心と命までも奪い、お腹の中の子供の命も奪ったのだ、と。
そんな化け物なのだから、隊商が襲われた時も生き延びているに違いない。いや、もしかしたら隊商を襲ったのは、その化け物自身かもしれない。
生き延びて成長しているなら、きっと今は20代の女性になっている筈だ。
栗色の髪で、美しい碧の瞳を持つ女。
「ゼッタは、心の中でずっと仇を討ちたいと思っていたのかもしれません。そんな事も、チラッと言ってたこともあるんです。でも、この辺りで暮らすなら、そんな相手に出会う事なんて無いだろうと思っていたから、アタシもそれを諫めることはしていなくて。もっとちゃんと、言い聞かせておけば良かったって反省してます」
長い話の後に、ポルカは深々と頭を下げた。
明るく世話好きで、誠実な人柄が推し量れた。
「それで、今、ゼッタさんはどうしているんですか?」
エルオリーセが枕の上から問いかけると、食堂の主が答える。
「ああ、ずっと暴れて手が付けられなかったから、取り敢えず縛り上げて家まで運んだんだ。喧嘩や乱闘だと、保安官が来るもんだが女だしなぁ」
顔馴染みの常連で女性だという事で、そこまでしなくても良いだろうと判断したらしい。
「ゼッタはアタシと2人で部屋を借りてるので、今はそこに閉じ込めています。落ち着いたら、話を聞こうと思ってますけど」
そこまで聞いたエルオリーセは、傍に付き添う三吾に顔を向けて微笑んだ。
「三吾、お願いがあるの」
「ん?」
「明日ならゼッタさんも落ち着いていると思うから、会いに行ってくれない?私の代わりに」
「それは構わないけど・・・ポルカさん、お伺いしても大丈夫ですか?」
ポルカは驚いたようだが、直ぐに肯いてくれた。
「はい、ひと晩経てばゼッタも落ち着くと思います。汚い部屋ですが、どうぞ」
食堂の主が持ってきてくれた夕食を摂り、三吾とエルオリーセは、漸く2人だけで事件の事を話し合う事が出来た。
「怪我の方は大丈夫?痛みとかは無い?」
「ええ、大人しくしているから大丈夫。さっきもご飯を食べさせて貰っちゃったし」
頭を動かさないようにと気遣って、重症患者のように介護して貰ったエルオリーセだ。
「それに、もう傷も大分塞がってるの。覚醒してから初めての怪我だったけど、回復が段違いなのよ。我ながら、凄いと思う」
エルオリーセは、茶目っ気たっぷりに笑って見せた。
実際、怪我をした直後から治癒現象は始まっていたようで、出血が酷いほどの怪我も手当てを受ける頃には血も止まり傷口の修復も始まっていたようだ。今はもう、痛みも完全に引いている。
「だから、本当は起き上がって食べられたと思うんだけど・・・三吾に甘えちゃった」
えへ、と舌先を出した彼女の表情が堪らなく可愛い。
「明日はもう普通に動けると思うけど、ゼッタさんのところに私は行かない方がいいと思うから、三吾に頼んだの。ごめんなさい」
「いや、全然構わないし、僕も君は行かない方がいいと思うよ」
折角落ち着いていても、エルオリーセの髪と瞳を見たら、ゼッタは再び同じことをするだろう。
「うん、ありがとう。それで、三吾には彼女に聞いてきて欲しいことがあるの」
ゼッタの夫、コバルの名を聞いた時、エルオリーセは不思議な感覚を覚えた。
聞き覚えがある、というわけでは無い。馴染みがあるという程でもない。
ただ、聞いた時に自然に頭の中が受け入れたような感覚。
そして、思った。
コバルが抱いて帰って来た赤ん坊は、自分ではないか、と。
栗色の髪と碧の瞳は、山岳地帯には珍しい。自分が山岳少数民族ではないという事は、幼い頃から知っていた。
記憶には無い、赤ん坊の頃。育ての親でもある祖母から、出会った時のことは聞いていたが、それ以前の事は解らない。
「確かめたいの。だからゼッタさんに、聞いてきて。覚えているかどうか解らないし、記憶違いもあるかもしれないけど・・・知りたいから」
「うん、解った。必ず役目を果たすからね。・・・それじゃ、今晩はもう寝ようか。明日に備えて」
優しい三吾の笑みと言葉に、エルオリーセは少しだけ苦笑した。
「・・・いつもの様に?多分、大丈夫だと思うけど?」
「あっ、いや・・・今晩は寄り添って寝るだけで我慢するから」
頭と首に包帯を巻いた妻を、幾ら大丈夫だと言われても抱くのは憚られる。そこまで鬼畜でもない。
少しばかりお誘いっぽいエルオリーセの台詞だが、そこは理性を総動員しておこう。
その晩、エルオリーセの夫は言葉通り紳士的に夜を過ごしたのだった。




