74 栗色と碧色の災難
小さな町程度の規模はあるレニという集落で、三吾とエルオリーセはのんびりと日々を過ごしていた。日帰りで行かれる集落を訪れたり、近くの山をトレッキングしたり、毛織物の作業場を見学したりして楽しむ。
その辺りで飼われている家畜は、山羊が殆どだったが、乳もチーズも美味しい。エルオリーセは歩き回るついでに、時折立ち止まっては何かを採集していたが、三吾は常にそんな彼女の姿を微笑ましく見守っていた。
2人は遅くなった新婚旅行のように、毎日を楽しくそして甘く過ごしていた。
そんなある日、早めにレニに戻って来た2人は、宿の近くにある食堂で夕食を摂ろうとしていた。
注文した料理を待つ間にも、何人かの客が店に入って来る。
「オヤジさ~~ん、いつもの2人前ね~」
陽気な声と共に入って来たのは、中年の女性2人組だった。
「あいよ!お疲れさんだな、ポルカ。少し待っててくれ」
どうやら常連客らしい女性たちは、空いているテーブルに向かい合って座った。どちらも山岳少数民族の出のようで、黒い髪に羽飾りを着けている。ポルカと呼ばれた女性の方が赤と黄色の羽飾りで、もう1人の方が茶色と白の羽飾りだ。
先に席に着いたポルカの前で、同じように座ろうとした茶色の羽飾りの女性が、突然強張ったように動きを止めて呟いた。
「・・・・栗色の髪・・・」
「え?・・・またなの、ゼッタ。もう止めなって」
止めようとするポルカの手をすり抜けて、ゼッタと呼ばれた女性はつかつかとエルオリーセの傍に歩み寄り、無遠慮にその顔を覗きこんだ。
その瞬間
「碧っ!お前だっ!」
ゼッタはテーブルに飛び乗り、エルオリーセに掴みかかった。
ガタン!ガタガタッ、ガタンッ!
テーブルや椅子が倒れる音が響く。ゼッタはエルオリーセの首に手を掛けて、身体ごと押し倒した。
その勢いで、背後の椅子やテーブルごと2人の身体は床に転がる。
ゴッ!と鈍い音がした。
三吾が伸ばした手は一瞬遅かった。
テーブルの下でのんびり伏せていたアルバは、対応が遅れた。
「手を離せっ!どけっ!」
三吾は立ち上がると、女の襟首を掴んで引き離そうとする。
「ガルルルルッ!・・・ウゥ~~」
アルバもその袖を咥えて、唸りながら渾身の力で引っ張った。
「何してるのっ!ゼッタ!やめなさいっ!」
ポルタも慌てて席を立って、必死に友人を止めに掛かる。
女の体重ごと後ろに倒されたエルオリーセは、頭に加わった衝撃に驚くが、痛みを感じる前に視界が急激に暗くなる。首に食い込んだ女の指が、呼吸を堰き止めていた。
「碧の目の化け物っ!コバルの仇・・・殺して・・・」
エルオリーセが最後に聞いたのは、女の絞り出すような声だった。
「・・・ん・・・ぁ・・・」
エルオリーセが目を開けると、宿屋の天井が見えた。
傍には三吾がいて、自分の服を脱がしている。
「あ・・・気が付いた、リーセ?」
「・・・・今・・・夜中?」
「えっ?」
まだ陽が落ちたばかりで、窓の外は薄明るい。夜中と言うには明るい室内なのに、夜中かと聞く彼女に不安が沸き上がった。
(まさか、眼が見えていないとか?頭を強く打ってるし)
慌てて手を止めてエルオリーセの顔を覗き込んだ三吾に、エルオリーセはぼんやりした顔つきで続けた。
「・・・服・・・脱がされてるから・・・そういう時間かなって」
「え、あ・・・いや、そうじゃなくて」
夜になると年がら年中、そういう事をしててすみません。
三吾は思わず胸の中で謝りながら、少しホッとした。彼女の碧の目は、すこしぼうっとしてはいるが、ちゃんと彼を捉えている。
「血で汚れたから、着替えさせようと思ったんだ。頭を酷く打ってるから、安静にしていないと。だから、動かないで」
彼の説明に、エルオリーセは頭に手をやった。包帯の存在に気づくと、漸く先ほどの出来事を思い出す。
「ああ・・・頭をぶつけちゃったんだ」
「うん、直ぐにここに運んで、宿屋の息子に医術の心得があるから手当てして貰ったよ」
ゼッタという女が、突然狂ったようにエルオリーセに飛び掛った後、店の中は大騒ぎになった。
食堂の店主が飛び出してきて、ポルカと2人がかりでゼッタを抑え込む。
三吾とアルバは、椅子やテーブルを放り出すようにどかして、エルオリーセを助け出した。
「お客さんたち、あそこの宿屋に泊まってるんだろ。主の次男が医術の心得があるから、直ぐに運んでやるといい!」
客の1人が気を利かせてそう言い、ドアを開けてくれた。
頭と首から血を流して気を失っているエルオリーセを抱いて、三吾は急いで宿屋に向かう。
店の中からは、まだ暴れながら叫んでいるゼッタの声が聞こえていた。
「離せっ!離せぇ~~、仇を・・・殺してやるっ!コバルを返せ!」
そんな三吾の説明を聞いていると、ノックの音がした。
「失礼します・・・あ、気が付かれたんですね。良かったです」
部屋に入って来たのは宿屋の次男だった。
「ご気分はいかがですか?」
「あ、はい・・・大丈夫です。ありがとうございました」
怪我の手当てをしてくれたのは彼なのだろう。エルオリーセは起き上がろうとしたが、彼はそれを押しとどめた。
「ああ、そのまま寝ていてください。医術の心得があるとは言っても正式な医者じゃ無いし、薬なんかも最低限のものしかないので、大事を取ってください。レニには呪術医しかいないので、平地の民のお客様に何かあった時のために用意しているだけなんです。出血の割には深い怪我ではないようですが、頭を強く打ってると後遺症もありますからね。もし気分が悪くなったり痛みが強くなるようでしたら、直ぐに教えてください。出来るだけ急いで、麓まで搬送しますので」
浅黒い肌の山岳民族らしい次男だが、物腰は優しく穏やかだった。
「あ、それで、お2人の夕食を持って、あそこの食堂のオヤジが来ているんですが、こちらにお通ししてもよろしいですか?」
三吾とエルオリーセは、お礼を言って食堂の主人を通して貰う事にした。
あのゼッタという女性の凶行に関して、聞いてみたかった。
部屋に通されたのは、食堂の主とポルカだった。
注文したけれど食べられなかった夕食を持ってきてくれた主は、自分の店で起こった出来事に責任も感じているようだ。ポルカの方も、突然の友人の凶行について、謝罪もしたいし説明をしなければと思っているらしい。
ひと通りのお詫びが済んだところで、2人はゼッタについて話し始めた。
「このポルカとゼッタは、うちの常連でして長い付き合いなんです。ゼッタは内気で無口だが、大人しくてあんなことをするとは思ってもいなかったんだ。本当にすまなかったです」
誠実な食堂の主は、再び頭を下げる。
「ゼッタとアタシは同じ部族の出身で、今は同じ毛織物の仕事場にいるんです」
そしてポルカは、話し始めた。
「レニに来たのは5年くらい前だけど、その間ゼッタは物凄く栗色の髪と碧の瞳に執着していたんです」
ポルカたちの集落は、秘境に近いくらい辺鄙な山中にあった。そこを訪れる商人たちも、他の山岳少数民族だったので、髪と眼は全員が黒い。
「レニには、平地の民もたまに来るんです。そんな中で、栗色の髪の女性を見つけると、凄い勢いで傍に行って目の色を確かめてたんですよ」
彼らが平地の民と呼んでいる人々、つまり近隣の王国や公国からやってくる狩人や商人たちの中でも、緑色の瞳は珍しい方だ。まして、碧と言われるようなエメラルドグリーンに近い人間は更に少ない。
「でも、今までそういう人に会ったことは無かったんです。だから、実際にゼッタが栗色の髪で碧の瞳を持つ女性に出会ったら、どうするのかは知らなくて・・・ただ・・・」
ゼッタという女性の過去を知っているらしいポルカは、少し口籠りながら続けた。
「彼女は、強い憎しみと恨みを持ってるんだろうっていう事は、解ってました」




