5 次の採集は赤草の種子と解毒草
学院の広い敷地の外れには、よく手入れされている畑が並んでいた。ガラス造りの温室も、様々な大きさのものが点在している。
そんなのどかな風景の中に、白衣姿で長靴を履いた1人の男性が農作業に勤しんでいた。
「ポタシム教授~~!」
エルオリーセは、鍬で長ネギの畝立てをしている男性に明るく声を掛けながら駆け寄る。アルバもついて行って2人と1匹は親し気に話し始めた。
「で、こちらがその沖代教授です。三吾、こちらがカリーム・ポタシム教授です。農作物の品種改良を主にやっておられます」
後から近づいてきた三吾を紹介し、エルオリーセは2人を引き合わせた。
「先月こちらに来た方だね。ポタシムだ、よろしく」
褐色の肌に穏やかな笑みを浮かべた彼は、土で汚れた軍手を外して右手を差し出した。三吾も手を出し握手をすると自己紹介をする。
「沖代三吾です。分析薬学で今は薬草について研究を進めていますが・・・」
「ああ、今ハイディから聞いた。丁度、小さいガラス温室が空いているのでそこが使える。どこにでも生えている雑草のような物だから今まで誰も栽培しようなんて思わなかったが、面白そうじゃないか。上手くいけば万能薬が安価で大量に生産できるかもしれないな。データが揃えば農業経営学の奴に試算させてみて、儲かるようなら学院印で売り出せばうちの学部も潤うってもんだ」
エルオリーセをハイディと呼び、白衣が無ければ農夫のように見えるポタシムは、三吾を気に入ったようだ。40代らしいが農作業で鍛えている身体は引き締まり、素朴で明るい人柄のように見える。
「そうなると、先ずは種の用意だな。取り敢えず、1,000個位用意して貰おうか。そこから増やして、条件付けで栽培することになるが・・・ハイディ、用意できるかい?」
早速具体的な予定を立て始めたポタシムに、話を振られたエルオリーセは事も無げに笑顔で頷いた。寧ろ、目を丸くしたのは三吾の方だ。
「・・・1000個・・・」
「大丈夫ですよ。明日、私は休みなのでちょっと採集に行ってきますから」
(ちょっとって・・・1000個だぞ)
流石に大変そうだし、元はと言えば自分の研究に関する物なのだ。
「それじゃ、せめて報酬を支払わせてくれないか。申し訳なさすぎる」
そんな彼の申し出に、エルオリーセはあからさまに不機嫌そうな顔になった。親しい友人として、また自分でも面白いと思う研究を手伝うつもりで言い出したのだ。
三吾は、直ぐにそれに気づき慌てて付け加える。
「あっ・・・ごめん。ええと、それじゃ明日は僕も休みを取るから、一緒に行かせてくれないか。少しは役に立つと思うし、そもそも発端は僕なんだしね」
「それならいいです。共同研究なんですから」
エルオリーセは、ニッコリと笑って答えた。
薬草、赤草についての研究は、種子さえ揃えば後は共同で進めてゆくことになる。三吾としては、ポタシム教授からもたらされる様々な条件下で育てた赤草を、分析してデータを取るだけだ。そのデータを渡せば、後は農学の分野になるので三吾の手を離れるだろう。
「赤草については、一旦ここまでになるんだが、そうしたら次の研究対象に手を付けたいんだ。赤草の種の採集が終わってからでいいんだが、解毒草が欲しい」
畑からの帰り道で、三吾がエルオリーセに話しかけた。
「解毒薬の材料ですね」
「ああ、あれは様々な毒に効くだろう?そもそも毒とされる成分は多種多様なのに、何故あの薬だけで全てに対応できるのかを調べてみたいんだ。それに市販の解毒薬も、万能薬と同じように品質が安定していないしね」
いかにも研究者らしい彼の物言いに、エルオリーセは笑顔で何度も頷く。
こういう女性は珍しい、と三吾は思う。
肉親や親戚の女性でさえ、こんな話を笑顔で聞いてくれる相手はいなかった。彼が薬だの効能だの成分だのの話を始めると、あからさまにつまらなそうな顔になり、話題を変えるかご親切に忠告してきたのだ。
「だから女性にモテないのよ」と。
「解毒草は、赤草の近縁種で葉の裏が紫色なんですが、赤草と違って乾燥した環境を好みます。明日、赤草の種子の採集が終わって時間に余裕があったら、そっちも回ってみましょう。余裕が無ければ、近いうちに次の採集予定を組むことにして」
それでどうですか?と問いかけるような視線を寄越すエルオリーセに、三吾はただただ嬉しくなるが、ふと思い出した。
「彼は君の事をハイディと呼んでいたが、かなり親しい間柄なのかい?結構近寄っていただろう」
三吾は胸の中に、何やら妙な感覚を覚えていた。エルオリーセは、男性は苦手だが三吾だけは大丈夫だと言っていたのに。
「ええ、まぁ。よく知っている相手で、急に触られたりしないと解っていれば、そこそこ近寄れます。これでも随分良くなったんですよ。昔は2メートルくらい離れていないとダメでしたから。今は事前に解っていれば、良く知らない相手でも握手くらいは出来ます。かなり我慢はしますけど」
エルオリーセはそう言って、彼の前に右手を差し出した。
「え?」
「ふふ、握手」
彼女は三吾の右手を取って、しっかりと手を握った。
「三吾だと、全く我慢しなくて大丈夫」
子猫のような瞳で楽しそうに笑うエルオリーセに、三吾は思わず胸が高鳴る。
その音に気を奪われ、彼女の手の感触をしっかりと感じることなど出来ずに終わった。
翌日、日の出前の薄暗い室内。
エルオリーセはベッドの中で、頬に暖かく湿った感触を感じて目を覚ます。
「ん~~・・・おはよう、アルバ~~」
頬を優しく舐めて大好きなパートナーを起こしたアルバは、いつものように鼻鳴きで答えた。
「ふぅ~~ん・・・ふぅん、ふぅん」
「うん、時間通りね。アリガト・・・・大好きよ、アルバ~~」
頭を撫でて太い首に抱きつき、白い首の毛皮に顔を埋めたエルオリーセは毎朝の習慣である言葉を掛ける。そして名残惜しそうにアルバから離れると、ベッドを降りて身支度を始めた。
今日は三吾と一緒に、赤草の種子と紫草の採集に行く。
「乾燥地帯に行くかもしれないから、今回は念のためこっちも持って行った方がイイかな」
いつもの荷物に加えて、エルオリーセは愛用のボウガンを背負い幾つかの弾丸を腰のポーチに入れた。
学院内の食堂で待ち合わせ、早い朝食を摂った2人は、携帯食を用意して貰って出発した。
先ずは、先日も行った赤草の群落を目指す。
「それにしても1000個なんて、どのくらい時間が掛かるやら」
昇ってきた朝日を眩しそうに見やって、三吾が呟いた。愚痴のように聞こえそうだが、寧ろ時間が掛かる方が嬉しいかもしれない。それだけ長い時間、彼女と一緒にいられて話をすることが出来るのだから。
三吾の中で、エルオリーセは既に特別な存在となっていた。
「それ程、時間は掛からないと思います。赤草は一年中花を咲かせて種子を作るので、どの株からも一定数は採れると思うんです。種子はゴマ粒くらいの大きさですし、多分1株から20個くらいは採れるでしょう」
「そうすると単純計算で、50株の赤草があればいいのか・・・なんだ、そうか」
植物の生態に詳しくない三吾は、1本の草に1つの花が咲き1個の種を付けるというイメージがあったので、1000本の種を付けた赤草を探すつもりだったのだ。
やがて赤草の群落に着くと、エルオリーセが提案した。
「私が成熟した種子が入っている莢を採集しますから、三吾はそこに座って莢から種子を取り出す作業をお願いします」
「え?」
「その方が効率的だと思うのですが、嫌ですか?三吾は手先が器用そうだから、と思ったんですが」
彼女の言う事は確かにそうだと思うが、理由はそれだけでは無いだろう。
先日の採集で慣れない姿勢を続け、そのせいで腰痛を起こした自分を、慮ってくれているのだ。
男として情けないような気もするが、ここでの採集が短時間で終わりそうなので、次は乾燥地帯に移動しなければならない。そこでの体力を残しておくことを考えたら、ここはありがたく彼女の提案を受け入れた方がいいだろう。
三吾は自分のちっぽけなプライドはサッサと捨てて、合理的な判断を選択する。
「ありがとう、そうさせてもらうよ」
1000粒の種子は1時間も経たずに集まった。
レーエフは大陸の中心近くにあり、年平均気温は20℃くらいの温暖な気候で明確な四季も無い。季節風の影響で、ゆるい夏と冬がある程度だ。
北側には山脈があり、西に砂漠がある。
エルオリーセの案内で街の城壁近くまで戻り、そこから城壁に沿って西方向に歩いた。
「ところで、アルバについて少し聞いてもいいかな?」
歩きながら、三吾は彼女にお伺いを立ててみた。
「いいですよ、三吾なら」
まだ出会ってそれ程経っていなくても、エルオリーセは彼を信用している。
「アルバは、オスなんだろう?」
以前ゲンから尋ねられた件である。
「ええ、まぁ・・・今はオス犬の形態をとっていますけど、本来メタモルファルに雌雄は無いんです。パートナーと反対の性をとることが多いそうです」
エルオリーセは少し離れて辺りを警戒しながら歩くアルバを眺めながら、良く通る声で話し始めた。
「メタモルファルはとても長命で、数百年は生きるそうです。繁殖は単性生殖が主だそうですが、子を産むと言うより世代交代をするという感じなんです。」
メタモルファルは寿命が尽きることを悟ると、最後に幼体に変身する。新しい幼体となったメタモルファルがとる形態は、先代の記憶から選び取られる。
「私は5年前、ちょうどその世代交代の場面に遭遇したんです」
北の険しい山岳地帯で、たまたま調査の依頼を受けて長期間1人で行動していた時だった。
「その時に、寿命が尽きる直前のメタモルファルから、心話で知識を受け取りました。そしてアルバのパートナーになることを約束したんです」
「・・・だから、アルバが5歳だと言う事も解っていたんだ」
三吾の言葉に、エルオリーセはハイと肯いた。
「アルバの先代は、犬と長い間暮らしていたんでしょう。だから、アルバは犬として生まれたんです。ちなみにメタモルファルの能力は、年齢を重ねるごとに少しずつ身についてくるそうなので、アルバはまだ普通の犬とあまり変わりがありません・・・」
そこまで話して、エルオリーセはハッとしたように足を止めた。
「しゃがんで!」
膝よりも高く伸びた草原に、2人は腰を落とした。
いつの間にか、アルバが傍に来ている。
エルオリーセは声を潜めて囁いた。
「ラポスが1頭います」
彼女の指さす先に、体高1メートルほどの2足歩行の爬虫類らしい頭が見えた。