48 メタモルファルは再び傍に
『笑うブチハイエナ亭』のドアが、重い振動と大きな音で震えた。
ドスンッ・・・ドスンッ・・・ドスンッ
今にもドアが壊れそうなその響きに、厨房にいたルビーは慌てて飛び出してくる。
「ちょっと、何なのよ!」
ドアの鍵を外して開けた瞬間、黒白の大きな毛玉が飛び込んできてルビーの身体を吹っ飛ばした。ドアへの何度目かの体当たりで、勢いよく店内に入ったアルバだった。
「ぐえっ!」
床に尻もちをついたルビーは、自分に眼もくれずに階段を駆け上がるアルバの姿を見送った。
「何の音だ?」
漸く涙を抑えた三吾は、階下から聞こえてきた物音に眉を顰めてドアに向かった。
「アルバの・・・足音・・・」
枕の上から、エルオリーセの呟きが漏れる。
彼が部屋のドアを開けると、黒白のメタモルファルは風の様に飛び込んできた。
アルバはベッドサイドに駆け寄ると、両方の前脚をそっとベッドに乗せて伸び上がる。そして鼻先をエルオリーセの肩に乗せた。
「グフゥ・・・グキュゥ・・・」
くぐもった音が喉から漏れ、ギュッと目を瞑ったアルバの様子は、ごめんね、ごめんねと泣きながら謝っているように見えた。
そんなアルバに、三吾は静かに歩み寄る。
「アルバ、彼女を守れなくてすまなかった。君がいない間は、僕が傍にいるつもりだったのに、ごめんなさい」
律儀に大型犬に頭を下げる彼に、アルバは頭を上げて振り向いた。
人に謝る犬と、犬に謝る人。
どこか奇妙な謝罪の構図が披露された。
「・・・アルバ・・・大丈夫だから。彼が、ずっと傍に・・・いてくれたから」
エルオリーセは、手を伸ばしてメタモルファルの頭を優しく撫でる。
アルバは首を伸ばして、御礼を言うように三吾の手を舐めた。
早速エルオリーセに寄り添って、メタモルファルの癒しの力を与えるアルバに、エルオリーセは優しく囁く。
「雛は、巣立ったのね。子育て、お疲れ様。偉いわ、アルバ。凄いわね」
痛みが引いていって楽になった彼女は、何度もアルバを撫でて褒めた。
そして昼過ぎになり、仕事がひと段落したゲンとルビーが部屋に入って来た。
エルオリーセの回復にホッとしたゲンは、三吾とルビーを見て問いかける。
「事件の話をしたいんだが、大丈夫か?」
意識が戻ったばかりの彼女の負担にならないかと気遣うゲンだが、本人の方があっさりと肯くので話を始めた。
「アスタ・オスミがやっと自白したよ。今朝までずっと黙秘を貫いていたんだが、エルオリーセが意識を取り戻したと連絡をもらったので、それを告げたら諦めたようだ」
アスタが黙秘を貫いていたのは、時間稼ぎだった。農場脱走の罪だけなら、直ぐに送り返されてしまう。だからエルオリーセを襲った件については、自分じゃないと言ったきり口を閉ざしていたのだ。彼女は死んだものと確信していたアスタは、服に着いた血や足跡などを上手く誤魔化せる方便を、尋問されながらも頭の中で組み立てていたらしい。
その間に何とか三吾に面会させてもらい、計画通りに行動するつもりだったのだ。
そこに、エルオリーセが命を取り留めたと聞かされて、これで終わりだと観念したのだろう。
「おそらく農場では無くて監獄の方に収容されるだろうな。殺人未遂まで加わったんだし、監視の厳しい監獄で長い刑期を務めることになるだろうな」
ゲンの説明を聞いて、ふと三吾はアスタの父親を思い出した。
「農場に居る父親の方は?」
アスタは、脱走に父親の後押しがあったと言っていた。
「そっちはそのままだ。そもそも、あそこは更生施設なんだから、親子だろうと夫婦だろうと男女はきっちり分けられている。アスタと父親が、接触する機会はないから、彼女の脱走は知らない筈だ」
つまりアスタが言い募った話は、全てが嘘だったと言うことだ。
「以前コイツも言ってたけど、策士ってタイプなんだろうな。頭も体も使えるものは全て使う女だが、それは全部自分自身のためって訳だ」
ゲンはルビーを見て、ニヤリと笑った。
3人の話を聞きながら、エルオリーセは会ったことも無いアスタという女性の事を考えた。
彼女が少しでも、三吾自身の事を思い遣っていたら、結果はもっと違うものになっていたのかもしれない。自業自得と言えばその通りだが、エルオリーセはアスタを何故か憎む気にならず、ただ可哀そうな人だと思った。
アルバが傍についていてくれるようになったので、三吾は午後からユニバース学院に赴いた。
エルオリーセが襲われた時からずっと、彼女の傍に付き添っていた三吾は、学院や仕事のことなど頭から綺麗に消えてしまっていて、連絡さえしていなかった。
一応、衛兵隊を通じて、アスタの脱走は連絡されており、沖代教授は安全のため衛兵隊で保護されていることになっていた。ゲンが上手くやってくれたわけだが、アスタが逮捕された以上、三吾は仕事に復帰しなければならない。
けれど、まだエルオリーセの事は心配なので、有給休暇の申請に来たのだ。
学院の事務室で、女性の事務員を相手に申請書類を書いている三吾の前に、1人の男がやって来た。
「手が空いたので替わります」
手を止めて顔を上げた三吾に、男は厳しい視線を向けながら言う。
「副事務長のユウロ・ビムです。アスタ・オスミの件は、最初から存じ上げていますが、大変でしたね」
言葉は丁寧で礼儀を弁えているが、口調はどこか刺々しい。
「ハイドランジア専任探索者も、巻き込まれて重傷を負ったとか」
「・・・ええ、責任を感じています」
三吾は書類を書き上げると、ビム副事務長に手渡して答えた。
「これでよろしいですか?」
「ああ、はい。1週間ですね。その間に、ハイドランジア専任探索者のところへ謝罪に行くんですか?」
何でコイツにそんな事を聞かれなければならないんだ、と三吾はムッとする。
「もし行かれたら、傷病休暇の届けはこちらで出しますので、ご安心くださいとお伝えください。どうぞ、お大事にと」
伝言を頼みたかったのか、と三吾は自分を納得させたが、事務の方で勝手に出せるのだろうかと思う。三吾の顔に浮かんだ疑問に気づいたようで、副事務長は少しだけ態度を改めて付け加えた。
「特例です。ハイドランジア専任探索者にはご家族がいらっしゃいませんし、重傷で動けない事を考えてこちらで諸手続きをいたします。ですので書類を整えるために、現在療養している場所と治療に当たった医師を教えてください」
そういう事なら、と三吾は眼の目に置かれたメモ用紙に、『笑うブチハイエナ亭』の住所と外科医の名前を書いた。
学院を出てエルオリーセの元に帰る道々、三吾は考え込んでいた。
(少し急いだほうが良いのかもしれない・・・)
彼女との関係の事だ。
焦らずじっくりと愛を育んで、自然な形で結ばれたい。一生添い遂げると決めた心は、今回の事件の後さらに強くなった。けれどエルオリーセの方は、三吾が好きなのは確かだが、恋愛に対しては特に積極的ではないように思える。婚約や結婚などという形式には、全くこだわっていないようだ。
それでも、自分たちの関係を周囲に知らしめておく必要があるのではないか。
アスタの件にしてもそうだが、現実問題としてエルオリーセの下宿の事もあった。
彼女の下宿は、一般の住居の一室を借りているという形式で、大家さんは厳しい。若い女性を住まわせているのだから当然なのかもしれないが、異性が部屋に入るのは緊急時以外は禁止になっている。
だから、現在彼女は『笑うブチハイエナ亭』の2階で療養しているのだが、ルビーの負担は大きいはずだし、好意に甘え続けるわけにもいかないだろう。
自分が傍に居られて彼女が安心して過ごせるような場所を、早急に見つけなければならない、と思った。
いつかは今自分が住んでいる家を売ろう、と考える。
彼女と一緒に暮らす家を用意したい。アルバが自由に出入り出来て、寛げる広い庭があればいい。
(そうすると、地下の書庫の本を片付けなければ、だな)
以前は家に帰っても、頭の中は研究に関することしかなく、書物は必須のアイテムだった。けれど彼女と一緒に暮らすなら、仕事とプライベートはきっちり分けたい。
(学院の図書館に、全て寄贈すればいいな)
細々としたことを考えながら、三吾は何やらウキウキしてくる。
(忙しくなるな)
やりたい事は沢山あるが、忙しい方が嬉しい場合もあるのだ。
三吾は軽い足取りで、エルオリーセとアルバが待つ部屋へと楽し気に歩いた。