49 バラの花束と歪んだ愛
翌日、三吾はエルオリーセをアルバに任せ、彼女の引っ越し先を探しに出かけた。
先ずはダメもとで、学院の職員住宅に空きが無いかと事務室に聞きに行く。例の副事務長は席を外していたので、女性職員が対応してくれた。
運が良い事に、単身者用の住宅が1軒、利用者の結婚によって空きが出ていた。ただ、来年度の新任者が春に入居することが決まっているので、住めるのは半年間だけだという。
三吾はそれでもラッキーだと思い、早速手続きをしてもらった。エルオリーセには昨晩話をして、委任状も作成してきていた。
独身者用とは言っても、それなりの戸建てになっていて、何より学院内なのでセキュリティーは万全だ。三吾は事務から渡して貰った鍵を使い家の中に入ると、ザっと見回して呟いた。
「うん、狭いけれどこれなら彼女の荷物も入るだろう」
元々彼女の家財道具は、必要最小限なのだ。
取り敢えずここに移ってもらって、朝夕見舞いに来て、買い物や食事などの世話をすればいい。
そして、その半年の間に、自分の方の引っ越し先を探せば良いだろう。
計画の第一段階をクリアした三吾は、エルオリーセの下宿に寄って引っ越しの件を告げると、大家さんに手伝って貰って荷物をまとめた。運搬は明日にすればいい。
着々と進む計画に気を良くして、三吾は『笑うブチハイエナ亭』に帰った。
「これが裏の階段の上に置いてあったんだけど」
『笑うブチハイエナ亭』の住居部分に直接入るため、店の裏に外階段がある。その階段を上がったドアの所に、見事な赤いバラの花束があった。
「エルちゃんへの、お見舞い?・・・赤いバラって、チョイスが微妙だけど」
「寧ろ、ルビー姐さんへ、じゃないかな?」
真っ赤なバラは、熱烈な愛の証。
「旦那が衛兵隊長なのに、いい度胸してるじゃない。いや、寧ろ馬鹿?」
しかもこの最強オシドリ夫婦は、誰もが知るラブラブカップルなのだ。
心当たりが全く無いエルオリーセとルビーだが、花に罪はないことだし、とりあえず花瓶に生けて店の中に飾ることにした。流石にプライベート空間に置くのは、薄気味が悪かった。
その晩、三吾はエルオリーセの部屋で彼女の食事の介助をしながら、引っ越し先の事を伝えた。明後日にはそっちに移れるから、明日はその準備をする予定だ。
エルオリーセの予後は、あまり芳しくない。アルバがいなかった間に体力が相当失われたようで、メタモルファルの力でも直ぐに回復というわけにはいかないのだろう。まだ起き上がることは出来ないが、それでも顔色は良くなってきている。
「明後日ね。それまでに少しでも治さないと」
「アルバが傍にいるから安心だけど、無理はしないで、ちゃんと食べて寝るようにね。明日は夕方に来るけど、何か欲しいものはあるかい?」
エルオリーセは、ふと思い出して聞いてみた。
「三吾は、誰かに花束を贈ったことってある?」
「え?・・・無いけど、欲しいなら・・」
少し驚いた彼の表情には、動揺しているような様子は無い。そもそも三吾なら、直接持ってくるはずだ。そうするとあのバラの花束は、ルビーへの物だと考えて間違いないだろう。
「ううん、聞いてみただけ。花は自然に生えているのを見る方が好きだから、花束は欲しいと思わない。寧ろ、食べられるものの方が嬉しいかも」
枕の上から、チロッと舌を出して笑うエルオリーセが酷く可愛らしくて、三吾は何度も頬や額にキスを落とした。
「これだけで我慢しなくちゃならないのは、結構ツラいな。早く良くなっておくれ」
そして三吾は、久しぶりに自宅へ帰った。
寝る前に少しでも片付けをして、明日は早朝から引っ越し仕事なのだ。けれど彼は、そんな労働さえも嬉しくて張り切っていた。
・・・今頃、彼女は・・・バラの香りに包まれて眠っているのだろう。
愛を込めたバラの香りに、包まれて眠っているのだろう。
その夢の中で、自分は彼女を腕の中に包み込む。
彼女はそれに気づいて、眠りながら微笑むのだ。
居酒屋の2階の窓から漏れる灯りが細くなっても、男は路地の暗がりでそれを見上げ続けていた。
闇の中でぶつぶつと呟く声を聞いていたの者は、誰もいなかった。
翌朝、店の周りをザっと掃除していたルビーは、路地にある沢山の足跡に眉を顰めた。
(誰かが、かなり長い時間ウロウロしてたみたいね)
男の足跡であることが解ったルビーは、苛立たし気に箒で掃き清める。念のため、旦那に報告しておこうと思っていた。
けれど翌日も、足跡は残されていた。ゲンには一応伝えておいたが、自分の家の周りを特に念入りにパトロールしてくれとは職権乱用になりそうで言えなかったのだ。まだ何も被害が無いのだし、ルビーは自分が気を付ければ良いかと考えた。
そしてその翌日、エルオリーセは三吾が手配したロバと荷車で『笑うブチハイエナ亭』を後にした。荷車と言っても、そこにはふかふかの布団が敷かれ、沢山のクッションが置いてある。そんな荷台の上で、アルバに寄り添われながら、彼女は壊れ物を扱うような細心の注意を払って運ばれた。
新しい引っ越し先は、半年間の仮住まいとは言え、三吾の努力で快適な空間になっていた。寝室とリビングが一緒の部屋は、家具調度の少ない彼女にとっては十分な広さがあり、小さいながらも料理が作れるスペースもある。
そんな室内に、三吾はエルオリーセを抱いて入り、そっとベッドに寝かせた。
「大丈夫?疲れただろう?」
優しく声を掛ける三吾に、彼女は笑いながら答えた。
「全然。雲の上に乗ってるような気がしたわ」
「それなら良いけど。それじゃ、ロバと荷車を返して、市場で何か買って来るよ。アルバ、後は頼む」
彼はニコニコしながら小さな家を出て行き、黒白の大型犬は念のためドアに鍵を掛けてから、ベッドの上のエルオリーセに寄り添った。
学院の門が閉まるギリギリまで彼女の家で過ごした三吾だが、流石にそこに泊まるわけにはいかない。明日の朝また来ると言って名残惜し気に帰る彼を見送ると、アルバは家じゅうのドアと窓を施錠して回る。学院内で安全だとは言え、大切なパートナーはまだ自由に身体を動かせないのだから、念には念を入れてということなのだろう。
けれど小さな家が夜の帳に包まれた頃、微かな足音が近づいて来るのをアルバは聞きつけた。
眠っているエルオリーセの隣で、頭をグッと上げて両耳をピクッと立てると、忠実なメタモルファルは静かにベッドを降りた。
君は自由な鳥のようだ。
大空に飛び立って、気が向かないと帰ってこない。
いつも待っていた。その姿が、その声が、自分のために存在するのだと信じていたから。
けれど、その足にはしっかりと足環を着けておこう。
自分の物だという、その証に。
ユウロ・ビムは、自分の独身用職員住宅から外に出た。夜も更け、辺りは静まり返っているが、近くの同じような住宅の窓から明かりが漏れている。
学院の副事務長は、夜の散歩のような足取りで、自分の過去を思い出しながらゆっくりと歩いた。
妹がいた。
薄茶の髪に緑がかったヘーゼルの瞳。
人形のように可愛らしい子供だった。
母が亡くなり、継母が来た。
化粧の濃い派手な女で、肉感的だった。
継母は子供が嫌いで、小さな兄と妹を邪険に扱った。ある日、街の往来で継母は妹を突き飛ばした。折悪しく通りかかった馬車に轢かれ、頭と顔に重傷を負った妹は翌日息を引き取った。
それ以来、オトナの女は嫌いになった。普段の生活で必要最低限の付き合いは出来るが、恋愛の対象にはならない。化粧や香水で着飾った女性には、嫌悪さえ覚える。
初めて彼女を見た時、素朴で溌剌とした姿に眼を惹かれた。
髪と眼の色が、妹に似ている。
あんな女性なら、自分にも恋愛が出来るかもしれないと思った。けれど、見守るだけでも充分だった。
月日が流れ、ある時彼女は顔に怪我をして戻って来た。
可哀そうで気の毒だと思うより前に、妹の生まれ変わりのような気になった。
今度こそ、守ってやらなければ。
けれど彼女は鳥の様に自由だ。だから、彼女が自分の物であるという証を作った。
そして今、彼女はまた傷ついて巣へ戻って来た。
可哀そうなエルオリーセ。
哀れなエルオリーセ。
ユウロは、ぶつぶつと呟きながら彼女の家に向かった。




