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メタモルファルは寄り添う  作者: 甲斐 雫
第3章 犬型メタモルファルは傍にいる

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46 メタモルファルがいないのに

 一瞬、何が起こったのか、エルオリーセには解らなかった。

 女性がぶつかった瞬間、何か冷たく硬い衝撃が腹部に刺し込まれたような気がしたが、それは直ぐに激痛に変わる。

 声を上げることもできず、エルオリーセは後ろに倒れ込んだ。

 背中と後頭部が地面に打ち付けられたが、その痛みさえ感じるほどが出来ないほどの灼熱の痛みが腹部を襲う。

 必死に瞼を上げると、そこには血塗られた包丁を両手で握りしめた女の姿があった。

「サッサと死になさい!」

 女はギラギラした眼でエルオリーセを見下ろすと、足を上げて彼女の腹を思い切り踏みつける。

 悲鳴をあげたことさえも解らないまま、エルオリーセの意識は闇に沈んだ。


 彼女の発した声が聞こえたのか、居酒屋の窓が開いて客の男が顔を出した。

「・・・て、てめぇ何してやがんだ!」

 血塗られた包丁を持つ女と、地面に倒れたエルオリーセ。

 見られたと解ると、女は包丁を放り出して路地の奥へ走り去った。

「エ、エルちゃんっ!大変だっ!」

 客の大声を聞いてルビーが飛び出そうとするが、ちょうどその時、三吾とゲンが路地の入口に来たところだった。

「待てっ!」

 先に気づいたゲンが、暗がりに消える女の後ろ姿に向かって怒鳴り路地に走り込む。三吾も客の声を聞き、顔色を変えて飛び込んだ。

「リーセっ!」

 仰向けに倒れる彼女の腹部は真っ赤に染まり、そこから更に血が溢れ出ている。

「リーセっ!・・・リーセっ!」

 飛びつくように跪いて、三吾は必死に彼女の名を呼びながら抱き起す。

「リーセ、眼を開けて!リーセっ!」

 その頬に掌を当てて、泣き出しそうな声で懇願する彼だが、エルオリーセの身体は力を失っていた。


 その時、店から飛び出してきたルビーが、彼の目の前に来る。

 パチン、と彼の頬が鳴った。

「しっかりしなさい!直ぐに2階に運んで!」

 そして路地の奥から戻って来た旦那に声を掛ける。

「後はお願い!」

 そして自分自身は、店から出てくる客たちを突き飛ばして2階に駆け上がった。


 あるだけのタオルをかき集め、裁ち鋏も用意すると、以前もエルオリーセが使った部屋に飛び込む。ベッドカバーと毛布を一気に引きはがし、ルビーはタオルを何枚も重ねて敷いた。

 ルビーは元ハンターで、仲間が重傷を負って処置をした経験も多い。まず何をすれば良いか、よく解っていた。


 ルビーにカツを入れられハッと正気に戻った三吾は、エルオリーセを抱き上げた。

 ぐったりとした彼女の身体と、だらりと力なく下がる腕。

 ガクンと首を折って仰け反る頭と、血の気の無い顔。

 全てが彼に恐怖を与えた。


 路地の奥から駆け戻って来たゲンが、居酒屋の外に出て来た客に命じる。

「アンタとアンタ、2人でこの先に住んでる外科医を連れて来てくれ。彼の名前を出して、凶器は包丁だと伝えるんだ。出来る限りの用意をして、大至急連れて来てくれ。いいな!」

 入院施設があるような病院は、ユニバース学院の医学部にしかない。レーエフの街では、医者は全て往診で外科手術も出先で行うのが常なのだ。

 衛兵隊長に命じられた客たちは、全速力で駆けだした。


「それと、アンタ!衛兵を呼んで来い。俺の名前と場所を告げて、空いてる衛兵を全てと衛兵犬のテルルを寄越せ、とな」

 3人目の客が頷いて駆け出すのを見送ると、ゲンは犯行現場を調べ始める。

 エルオリーセの事は、ルビーに任せた。彼は自分の女房を信頼していた。



 ルビーが準備したベッドの上に、三吾はエルオリーセの身体をそっと下ろす。か細い呼吸を繰り返す彼女の頬に手を当て、訴えるように呟いた。

「リーセ・・・しっかりして・・・」

 目の前の光景が、涙でぼやける。


 けれどルビーは、その間もテキパキと作業を続けた。

 用意した裁ち鋏で、彼女の服を切ってゆく。血まみれのブラウスとスカートは、その身体の負担にならないよう取り除かれ、患部が露わになった。

 そしてそこに、医者が到着した。


 初老の外科医は腹部の傷を見ると、難しそうな顔になって眉を顰める。

「この子は、こう見えてもハンターだから。体力も気力も、そこらの女の子の非じゃないのよ」

 ルビー掛けた言葉を聞いて、外科医はしっかり肯くと処置を始めた。


 傷の深さを確認しながら消毒し、損傷した内臓も含めて縫合してゆく。激痛を伴い時間もかかるその手術の間、エルオリーセはピクリとも動かなかった。

 かなり危険な状態であることは、三吾にも解った。けれど彼に出来ることは、医者の邪魔にならないよう見守って祈る事だけだ。


 やがて医者は全ての処置を終えて、口を開いた。

「かなり深く刃が入っている。意識が戻れば良いが、覚悟はしておいた方がいい。痛み止めと解熱剤、それと化膿止めの効果がある薬を置いていくから、飲ませられそうだったら飲ませてくれ。一応、明日また来るが、何かあったら呼びに来て構わない」

 鉛を飲み込んだような表情で肯く三吾だが、その間もルビーは手を動かしていた。

 エルオリーセの身体の負担にならないよう、そっと敷いていたタオルをどかし、持ってきた自分の寝間着を優しく着せ付ける。

 そして三吾を残し、外科医を見送るために階下へと戻った。


 店に残っていた客たちに御礼とお詫びを言うと、ルビーは臨時休業の札を下げ、水やタオルの用意をする。そこにゲンが入って来た。

「エルオリーセの容体は?」

 ルビーは辛そうな表情で、医者の言葉を旦那に伝える。

「そうか・・・衛兵隊とテルルが来たから、これから犯人を追う。こっちはお前と三吾に任せたからな。俺に出来るのはこれだけだが、絶体に捕まえてやる」

 キュッと唇を噛み締めて、ルビーは力強く肯いた。



 ルビーが持ってきてくれた水桶とタオルで、三吾は汗が浮いたエルオリーセの顔を拭こうとする。

「ごめん、これ取るよ」

 着けたままだった彼女の顔の覆い布に手を伸ばし、彼はそっとそれを外した。

「見せたくないのは知ってるけど・・・」

 そして優しく火傷の痕と額、首筋まで丁寧に拭ってゆく。

 最後にタオルを濯ぎ、そっと額に当てた。熱が高くなっている。

 細く途切れがちな呼吸は苦し気で、胸が締め付けられた。


(アルバがいれば・・・)

 エルオリーセがこんな目に遭うのを阻止出来たのではないか、と思う。

 少なくとも、ここまで酷い状態にはならなかった筈だ。

 そして、アルバが今ここに居たら、痛みも熱も取り去ってくれて、危険な状態から彼女を救い出してくれるのに。

(こんな時に、アルバがいない)


 いっそアルバを探しに行こうかととも思ったが、そもそも居場所を聞いていないのだから知らせに行くことも出来ない。

 メタモルファルの力をもってしても、パートナーの危機を察するには距離が離れすぎているのだろうと思った。


「リーセ・・・僕にアルバのような力があったら良かったのに。何の役にも立てないんだ・・・」

 三吾は何度も涙を零しながら、エルオリーセの傍に付き添っていた。

 額を冷やすタオルを取り替え、汗を拭う。何度か口移しに薬を飲ませ、それ以外の時はずっと彼女の手を握り続けていた。

「頑張って・・・どうか、置いて逝かないで・・・もう一度、眼を開けて」

 ただそれだけを祈り、彼は彼女の傍を離れなかった。


 翌日になっても、エルオリーセの意識は戻らなかった。三吾は片時も離れず付き添って看護を続けていたが、頭の中には大きな疑問が浮かぶようになっていた。

(誰が、何故、こんな凶行に及んだんだ・・・)


 物取りの犯行ではない。

 誰かと間違われたというのも、犯行現場が窓からの明かりで彼女の姿は良く見えたはずだからあり得ないと思う。

 そうすると考えられるのは怨恨なのだが、エルオリーセは誰かに恨まれるような人柄ではないのだ。

(誰かがリーセを、邪魔者として殺そうとした?)

 最初に頭に浮かんだのは、オキシロ家の事だった。けれど兄たちは、寧ろ感謝しているだろうし、義姉や姉が自分たちの目の届かない場所で彼女に危害を加えるとは思えない。そこまでして、たかが下賤の生贄に時間を割く意味もリスクを負う意味も無いのだ。

 そして、次に浮かんだのがアスタだった。

(・・・まさか)

 付き合っている女性がいる、と自分は言った。それを恨むのは、どう考えてもお門違いだが、あの女ならやりかねないと思う。

(言わなければ良かった・・・)

 今度も自分のミスだ、と三吾は果てしなく落ち込んだ。



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