40 入れ違いで到着
昼過ぎ、門が開くのと同時に飛び込んできた馬車は、オキシロ邸の前庭に止まった。
荒い息と滴る汗の馬たちが、口元に泡を吹きながらガツガツと蹄を鳴らす中、三吾は馬車から飛び出して叫んだ。
「エルオリーセはどこだ!」
飛び出してきた執事が、三吾とイットリュウを交互に見ながら、それでも何とか平静を保って答える。
「何事でございますか?エルオリーセさんなら、今日は馬小屋の掃除だとサルファー様から伺っておりますが」
「馬小屋だと!」
三吾とイットリュウは同時に叫ぶ。
長兄が執事に、家族全員を呼んでくるように命じる声を聞きつつ、三吾は馬小屋に走った。
当然のことだが、馬小屋にエルオリーセの姿は無かった。
三吾は裏口から屋敷の中に入り、出会う使用人に彼女の今までの様子を聞きながら、手当たり次第に部屋を探していった。厨房までも覗き込みシェフから話を聞くと、一旦玄関ホールに戻る。
そこには、集められたオキシロ家の面々が不機嫌そうに立っていた。
「何の御用ですか?突然ご帰宅になった上に、こんな場所に呼びつけるなど」
いくら夫でも、身分が上の自分にそんなことをさせるのは、礼儀に反すると言わんばかりのバナジアだ。
「オキシロ商会が傾くかもしれない重大なことなんだ。皆に聞きたい事があるので、集まってもらった」
イットリュウは重々しく口を開いた。当主らしい威厳に満ちた態度に、彼の妻は口を噤む。
サルファーは、始めは義姉と同じような態度だったが、オキシロ商会が傾くという言葉に息を呑む。貴族の娘ではあるが、家業については良く知っていた。
「詳しい話は、後でする。今は、質問に正直に答えなさい。エルオリーセさんは、どこにいる?」
は?と口を開けて怪訝な顔をするサルファーの斜め後ろで、俯いていたテネシーが口を開いた。
「いなくなってしまいました」
テネシーの片方の頬は、叩かれたように赤くなっていた。
それに気づいたニッケリは、妻を労わるように自分の傍に引き寄せる。
「だってお兄様が仰ったじゃないの。あの雇われ女は帰る筈だって。それなのにこの屋敷に居座っていたんだから、働いて貰うのは当たり前でしょう?」
叫ぶようにまくし立てる妹の言葉を聞く長兄の腕を引き、三吾は少し離れた場所で使用人達から聞き集めてきた話を彼に伝える。その中には、彼女に食事が与えられていなかった事や、鞭やモップで叩かれていた事も含まれていた。
「・・・何という事だ」
イットリュウは、額に手を当てて呻くように呟いた。
「ねぇ、私の犬はまだなの!・・・あっ、お父様!」
その時、階段を降りて来る少女から声が掛かった。
ジルコニアは父親の前に立つと、淑女らしい仕草で挨拶をするが、直ぐに不満を口にした。
「私、ずっと待っているのに犬を連れて来てくれないのよ」
『犬』という単語に、敏感に反応したのは三吾だった。
「どんな犬?」
「黒と白の、大型犬よ。・・・貴方、誰?」
(それか!)
ジルコニアの問いも無視して、三吾は考える。
エルオリーセが出て行った理由は、それだ。自分だけならまだ良いが、アルバに危害が加えられる恐れがあるなら出てゆくしかない。しかも待っているように言った自分は、連絡も無しで帰るのがかなり遅くなってしまったのだから。
玄関の大扉を開けたまま、大騒ぎになっていた状況に、扉の外から遠慮がちな声が掛かった。
「お取込み中すいません」
それは体格のいい門番の男で、村人を1人連れていた。
「村の雑貨屋が来て、エルオリーセという人から荷物を届けるように頼まれたと言うんですが」
門番は、三吾が叫んだ言葉を聞いていた。探しているらしい人物からの荷物なら、声を掛けておいた方が良いと判断したのだ。
雑貨屋の物らしい紙袋の中には、汚れて臭う野良着が入っていた。取り出しただけで、辺りに異臭が漂うようだ。紙袋には走り書きの文字があった。
『農園管理官様へ お借りしていた作業着をお返しします。洗濯が出来ずこのままで、すみません。エルオリーセ』
エルオリーセは、村の雑貨屋に届け物を頼んだのだろう。こんな代物でも返却する律儀さに、三吾は苦笑するしかない。そして農園管理官を呼んで、彼女の事を聞いた。
これで、エルオリーセが滞在中に受けた全てが把握できた。
「彼女は怪我をさせられたまま出て行ったのだな。とにかく急いで探さなければ・・・そして謝罪をしなければならない」
イットリュウは、屋敷中の使用人にエルオリーセの捜索を命じた。出て行ったのは今から4時間程前だろう。まだそれほど遠くまでは行っていない筈だ。見つけ出して丁重に、屋敷に戻っていただくようにと使用人たちに厳命する。
ニッケリは妻を連れてエレに戻ると言った。オキシロ商会の本店で、いつでも状況の変化に対応できるようにしておくと言う。
そして三吾は、徐に告げた。
「僕は、レーエフに戻る」
「ああ、そうしてくれ」
一瞬の思考の後、長兄は大きく肯いて言った。
「途中でエルオリーセさんを見つけたら、連絡をくれ。そのままレーエフに戻るなら、私が直接謝りに行く。見つからずにレーエフに戻ったら、ユニバース学院の動向を逐一連絡して欲しい」
『学院印の万能薬』認可に遅れが出そうなら、直ぐにそれの対処をしなければならないのだ。
「ああ、解った」
三吾は兄に返事をして玄関を出るが、頭の中は冷静に状況を判断していた。
出てゆく時に着ていた汚い野良着を返却したと言うことは、着替えを購入したと言うことだ。エルオリーセは、何も持たずに出て行ったので荷物も財布も残されている。けれど短時間で着替えを購入出来たのなら、多少なりとも金銭を身に着けていたと考えられる。
そしておそらく、使用人たちは彼女を見つけることは出来ないだろう。その気になればあの1人と1匹は、自然の中で誰にも見つからずに旅をすることなど造作もないのだ。
しかも、持っている金銭が少ないなら、宿も取らず出来るだけ食料も採集で賄うだろう。そうなると、街道沿いを歩き続けるわけもない。だから、自分がレーエフに戻る途中でエルオリーセたちと遭遇する可能性は無いだろう。
それに、彼女は今回の事を学院に報告することはしないだろうと思った。オキシロ家が云々と言うことではなく、そういった経済絡みの事には関心が無いし、寧ろ面倒だと思うタイプではないかと思っている。報復するとか復讐するとか、そう言う方向に思考が走る人間では無い。
けれど三吾は、そう言った考えを兄に伝えることはしなかった。
(しばらく、アタフタして不安を抱えていればいいんだ)
オキシロ家がエルオリーセにしたことを、三吾は絶対に許せなかった。
エルオリーセの行動は、三吾の予想通りだった。
「やっぱり入れておいて良かったわ」
インナーに挟んでおいた紙幣を引っ張り出してアルバに笑いかけた彼女は、それで着替えを購入して雑貨屋に届け物を依頼すると、村の食堂に入った。追手が来るとは思えなかったが、念のためアルバの外見も変えて貰った。目立たない茶色の短毛大型犬だ。
「緊急事態用のお金は肌身離さず持っていること、っていう狩人の流儀が役に立ったわ」
そして、そこでしっかり腹を満たしたエルオリーセとアルバは、レーエフに向かって歩き始めた。
けれど、30分も歩かないうちにエルオリーセは欠伸を連発する。
「久しぶりにお腹いっぱい食べたせいか、凄く眠くなっちゃった」
すると優しいメタモルファルは、彼女を促して草原に入る。街道から外れた草に埋もれる遺跡址に導かれたエルオリーセは、柔らかな青草の上に腰を下ろした。
「ありがとう、アルバ。ここは素敵なベッドだわ。少しお昼寝させてね」
ゴロンと横になった彼女の傍らに寄り添うと、メタモルファルはブルっと身体を震わせた。
シュルシュルシュル・・・・
短い茶色の毛で覆われた皮膚が、広がってゆく。エルオリーセの身体の下にも器用に潜り込んだ皮膚は、彼女の身体をすっぽりと包み込んだ。
「こんな事も出来るようになったのね、凄いわアルバ・・・うん、気持ちいい・・・」
頭と脚がついた寝袋、シュラフに入っているようだ。
メタモルファルの体表温度調節で、夏のこの時期でも暑くない。ただ優しく包まれる心地よさと柔らかさに安心する。
ぐっすりと眠り込んだエルオリーセの目が覚めたのは、翌日の早朝だった。




