13 想いは少しずつ擦れ違う
ゲンの荒療治が効いたのか、三吾は娼館の女将に教えを受けて以降ひと皮むけたような印象になっていた。
女性の心理や反応、男性として的確な対応を学び、それが自信にも繋がったのかもしれない。房事の事も手取り足取り教わって、1人前の男として堂々と振舞えるようになっていた。
11月に入り、彼の学内での仕事はすべて順調だった。
学生たちとのコミュニケーションも活発になり、1人でいることも少なくなったせいで、エルオリーセとアルバを思って寂しくなるような時間は激減していた。
「今日も忙しかったな。もう11月か・・・今頃はトロン市の辺りにいる筈だな」
夜遅く自宅に帰り、寝る前のひと時くらいが彼女を思う時間になっている。
「思い出すとやっぱり寂しいけれど・・・彼女の方にはアルバがいるからな」
きっと自分ほど寂しさは感じていないのではないだろうか、と思う。
「・・・何だか、不公平だなぁ」
三吾はポツリと呟いた。
その頃エルオリーセとアルバは、西のトロン市の沖合にある群島の1つで調査活動をしていた。
「ニオブ島よりずっと北にあるし、季節はもう直ぐ冬だし・・・流石に寒いわね、アルバ」
掘っ立て小屋のような宿舎なので、隙間風が酷い。
エルオリーセは、アルバの豊かな毛皮を抱き込んで毛布を被っている。破れた屋根の隙間から、星空が見えた。
「でも星が綺麗・・・ニオブ島を思い出すわ。夜空を見ながら歩いたっけ・・・」
もふもふの毛に埋めていた右手を目の前に持ってきて、彼女はそっと呟いた。
「・・・手を繋いで・・・」
もう一度アルバの首周りに腕を巻き付け、その暖かさを受け取りながらエルオリーセはパートナーに語り掛ける。
「彼なら大丈夫なの。手を繋いでもすぐ傍にいても。・・・ただね・・・もし急に・・・例えばハグされたりしたら、どうなるのか解らなくて怖い。反射的に突飛ばしたりしちゃったらどうしようと思うと、そうならないようについ動いちゃうのよね」
手を繋いで送って来てもらった別れ際、身を翻すように走り去ってしまった。
「ありがとう、また明日」
と、それだけを言って。
「抱きしめて欲しい、っていう気持ちもあるんだけど・・・アルバにこうして抱きつくのは、何でもないのになぁ」
エルオリーセは、もふもふの身体をギュッと抱きしめる。
アルバは慰めるように小さく鼻鳴きして、その頬をそっと舐めた。
何か、暖かいものが伝わって来るような気がする。
「あ!そうか・・・私が抱きしめてみればいいのか」
相手が急に抱きしめて来る事が怖いなら、先ずは自分が抱きしめてみればいい。
エルオリーセは、そんな気づきに表情を明るくする。
「ちゃんと説明して、試してみたいってお願いしたら、きっと彼はさせてくれると思うの。レーエフに帰ったら、頼んでみようっと」
最初は少し緊張するかもしれないが、きっと大丈夫だと思う。
アルバはそんな彼女に、それが良いですよと言うように優しく鼻を鳴らした。
まだ生まれてからやっと6年しかたっていないメタモルファルのアルバだが、彼女の保護者のような雰囲気を身に着けていた。
今までよりずっと教授らしい生活を送っている三吾のところに、放課後になると研究室に3人の女子学生がやって来るようになった。
彼女たちは後期の講義内容についての質問をしに来ていたのだが、予習をしておきたいと言ってかなり長い時間研究室にいる。そこには三吾の他に必ず研究助手が居たので、色々な意味で問題は無かったし、彼の方も向学心に燃える学生の相手をするのは楽しかった。
そんな3人のうちの1人、アスタ・オスミという女子学生が彼の眼を引いた。
アスタは他の2人より、質問の内容が段違いに素晴らしかったのだ。深い考察と思考力を必要とするその質問に、三吾は彼女を注目するようになる。
女性に対する様々な知識を娼館の女将から学んでいた彼は、アスタの容姿もかなりのものだと言う事が解っていた。
ふわりとカールしたブルネットの髪に鳶色の瞳は、可愛らしい美人系だ。着ている服は黒か紺色で、学生らしく知的な印象がある。
三吾はアスタに、好感を持つようになっていった。
やがて彼の研究室に通っていた女子学生は、いつの間にかアスタ1人だけになっていた。
「彼女たちはもう質問はいいというので、私だけで来ているのですが、あまりここに通うのもご迷惑になるかと思うので、ご都合がよろしければ図書館でご指導いただけないでしょうか」
1人で来るようになってから数日後、彼女は三吾に申し出る。
彼としても、その方が良いような気がした。
毎回研究助手に部屋にいて貰うのも気が引けたし、複数の眼があるところの方が変な噂も立つまいと思ったのだ。
そして図書館へと移動する途中、人気のない中庭を通っている時、アスタは突然三吾に告げた。
「沖代教授、私は貴方が好きです」
「えっ!」
驚いて足を止めた三吾に、アスタは言葉を続けた。
「愛しています。大好きなんです」
「い、いやでも・・・」
狼狽する彼に、彼女は畳みかけるように続ける。
「解っています。教授と教え子では、色々と問題になることは。でも、胸の中に仕舞っておけなくなってしまいました。だから言ってしまったんですが、今は私の気持ちだけでも受け取ってもらえませんか。先生は私のことはまだよく知らないと思うので、これから知ってもらいたいと思うんです」
アスタの瞳は潤んでいて、頬は赤く染まっていた。
一途な情熱を漂わせたその姿に、三吾は固まってしまう。
「先生は独身でいらっしゃると聞いています。将来を約束されている方がいらっしゃるなら、諦めるしかないと思いますが・・・」
そこで漸く、三吾は口を開いた。
「・・・そういう相手は、まだいないが」
脳裏にチラリとエルオリーセのことが浮かんだが、将来の約束どころかまだ手を繋いだことしかない相手では、そう答えるしかないと思う。
「それじゃ、候補として私のことを考えて下さい。私が卒業するまでに、答えをいただければ嬉しいです。私、これからも教授に相応しくなれるよう頑張ります。今日はこれで帰りますが、また明日から図書館でご指導いただけますか?」
頭の中が混乱して、やっとの思いで肯いた彼を残し、アスタは嬉しそうに走り去っていった。
その日から、三吾は数日おきに図書館で彼女の質問を受け、指導をするようになった。
三吾自身も、そんな時間を楽しむようになり、エルオリーセとアルバの事を思いだす時間は無くなってゆく。
そしてそんな様子は、当然周囲にも知られることとなった。
離島でのエルオリーセの仕事が終わり、彼女はトロン市へ戻っていた。
明日には次の任地に向かって移動し、南東にある森林の調査になる。それ以後は南に下るのだが、それらはかなりの僻地になるので、当分レーエフへの連絡は事実上不可能だった。
エルオリーセは、手紙を書いた。
今後の郵便事情を説明し、東のクトロ公国に入るまでは手紙が書けないことを。
クトロに着いたら、直ぐに手紙を書くことを。
そして早く仕事を終えて、会いたいと言う事も書き添えた。
けれど、彼女の手紙を運ぶ郵便馬車は事故に遭遇し、それが三吾の手に届くことは無かった。




