53.自覚
夕食は居心地の悪い雰囲気だった。
ナルシスト男とノア君は楽しそうに会話していたが、私とエイダさんはただ黙々と食べることに集中した。
時折男が皮肉げに話題を振ってきても、「はー」とか「ほー」とか適当に生返事するだけ。男はそんな私にピクピクと青筋を立てていたけれど、さすがに食事中に怒鳴るような不作法はしなかった。ノア君の手前があるからだろう。
「疲れた~! 全然食べた気がしなーい!」
ソファにぼすりと座り込む。
エイダさんも同意するように苦笑した。
夕食後、ナルシスト男が何か言いかけていたけれど、無視してエイダさんの部屋にお邪魔させてもらったのだ。
お泊り女子会スタートである。
セレナとの時のように、雑誌でも囲んでおしゃべりをするのだろうか。わくわくしていると、エイダさんは戸棚から綺麗な瓶とグラスを取って、私の向かい側のソファに腰を下ろす。
「ユキコさんは、お酒はたしなまれますの?」
「前に一度飲んだことあるけど、あんまり好きじゃなかったです。苦いっていうか、辛いっていうか……」
ダガルさんから一口もらったら、まずくて飲み込むのに苦労したっけ。
思い出して顔をしかめる私に、エイダさんはにっこりと微笑んだ。
「なら、こちらの蜂蜜酒を試してみてくださいな。甘くて美味しいですわよ」
トクトク、とグラスに注いでくれる。
蜂蜜酒かぁ。確かに甘そうな響き!
興味津々でグラスを手に取ろうとすると、さっと遠ざけられた。
「……エイダさん?」
恨めしげに見つめるが、彼女はふざけているわけではなかった。改まった様子で居住まいを正す。
「飲む前に、大切なお話がありますの。落ち着いて聞いてくださいね」
一度言葉を切って黙り込む。
たっぷりと間をおいてから、エイダさんは再び重々しく口を開いた。
「──伯爵様は、おそらくユキコさんに懸想しておいでです」
……けそう。
けそうって……何だっけ?
思わず首を傾げる私に、エイダさんは沈痛そうな顔をする。
「……俗に言う、『惚れている』というやつですわ」
「…………」
はああああっ!?
私はしばしフリーズして──大爆笑した。
「そんなわけないじゃないですか! エイダさんの勘違い……あっ、さてはからかってますね!? エイダさんでも冗談とか言うんだぁ」
笑い転げながら、ソファのクッションを抱き締める。
突然何を言い出すかと思えば。意外とお茶目な人である。
「冗談だったらよろしいのですけれど。……残念ながら間違いありませんわ。わたくし、この手の勘は外したことがありませんの」
同情するように私を見る。
それで私もやっと笑いやんだ。胸の中で、エイダさんの言葉を反芻し──
盛大に顔を引きつらせた。
「つまりあの男……殴られて罵られるのが好きってこと……? うわ気持ち悪っ!!」
「……ええ、本当に……」
お通夜のように暗い顔で同意する。
「ど、どうすれば……! きっぱり断れば大丈夫ですかね!?」
慌てふためく私に、エイダさんは静かにかぶりを振った。
真剣な表情で私を見つめると、試すように口を開く。
「断らない、という手もありますわ。あなたのその髪では、生きにくいことも多かったでしょう? 少なくとも、ここでなら髪を隠さずに生きていけます。贅沢だってし放題ですわ」
その言葉にあ然とした。
混乱しながらも……エイダさんが真剣なので、私も真面目に考えてみる。
ナルシスト男と結婚……結婚……。
うん!
「死んでもイヤです!!」
「ですわよねぇ」
うんうんと頷き合う。私たちの心はひとつになった。
「とにかく、伯爵様とふたりきりにならないこと。あまり罵りすぎないこと。この二点に注意してくださいな」
エイダさんの言葉を心の中で繰り返す。
ふたりきりにならない、罵らない。……殴らない、もついでに追加しておこう。固く心に誓った。
さあ、と雰囲気を変えるようにエイダさんがぽんと手を打つ。
「お預けはおしまいですわ。どうぞ、召し上がれ」
「わぁい、いただきます!」
ひとまず難問は置いておいて、目の前の美しいグラスを手に取った。明かりにかざして黄金色の液体を鑑賞してから、こくりと一口飲んでみる。
「……甘い! おいしいです、すごく!」
予想していたほどには甘くなく、口当たりはさわやかだ。
にへ、とだらしなく口元がゆるむ。
「でしょう? まだまだありますから、お好きなだけどうぞ」
エイダさんも嬉しそうにグラスに口をつける。
早いペースでグラスを空けるエイダさんにつられて、私もぐいぐい飲んだ。なんだか体がぽかぽかしてきて、楽しくなってくる。
「そういえば、ユキコさんの恋人はどういう方なんですの?」
思い付いたように聞いてくるエイダさんに、ケラケラと笑う。
「恋人なんかじゃないですよー! 私にとっては家族みたいな人だから! どんなって聞かれると……料理がド下手くそで、デリカシーがなくて、盗み聞きも平気でこなす変態かなぁ~?」
得意げに説明すると、エイダさんは眉をひそめた。
「伯爵様に負けず劣らず、残念な人のように聞こえますけれど。……なら、どっちでもいいんじゃありません?」
不思議そうに小首を傾げる。
……はあ!?
何言ってんの!?
カッとなって言い返す。
「ディーンは、確かに残念なヤツだけどっ! すっごく強くて頼りになるんです! それにそれに、どんな時でも私の腕を引っ張ってくれて、笑いかけてくれて……。頭を撫でてくれるっ、世界で一番、優しい人なんだからっ……!」
怒りながら、途中で涙がぼろぼろ出てきた。
誘拐されてから、一度も泣かなかった。
一度泣いてしまったら、歯止めがきかなくなりそうで怖かったから……。
でも、もう駄目だった。
「……ディーンに、会いたいよぉっ……。ぎゅってしてほしい……っ。ふえぇっ……!」
大号泣し始めた私を、エイダさんは感心したように眺めている。
「すごいですわ。笑い上戸、怒り上戸、泣き上戸……。すべて網羅していますわ」
なんか酔っぱらい扱いされとるー!
ムキになって反論する。
「私は正気ですー! もうっちゃんと聞いてください! 私は、私はディーンをっ……!」
「はいはい。──世界で一番、好きなんですのね?」
さとすように優しく言われ、ぱちくりと瞬きした。
涙が止まり、ぽかんと呆けたように考え込む。
(ええと……? 私は、ディーンを……)
どう、思っていたんだっけ?
家族みたいに大切で。
側にいるだけで安心して、幸せで。
離れていると不安で、苦しくて。
一日も早く再会して……もう大丈夫だって、優しく頭を撫でて抱き締めてほしい。
その気持ちに、名前を付けるとするならば。
(……ああ、そうだったんだ……)
ストンと腑に落ちる。
わかってしまえば、簡単なことだった。どうして今まで気づかなかったんだろう。
「……私、ディーンのことが、好きだったんだ……」
ぎゅっと目を閉じる。
止まっていたはずの涙が、頬を伝ってぽろりと落ちた。




