52.困惑
あれから一週間。
この屋敷での生活は、判で押したように毎日同じことの繰り返しだ。
午前中は読み書き計算、昼食を挟んで社会のお勉強。三時のおやつタイムはマナー練習も兼ねており、お茶の後はその他の礼儀作法を厳しく指導される。
自由になるのは夕食前後の時間だけ……。
私の頭はパンク寸前で、ベッドに入ると秒で寝ている。余計なことを考えずに済むのはありがたいけれど。
そんな私とは対照的に、幼いノア君はいきいきと勉学に励んでいる。「ユキコと一緒だからうれしい!」だそうだ。毎日しっかり頑張って成果を出せば、夜は私の部屋で寝ることが許されるらしい。……私は馬の鼻先にぶら下げられた人参か?
「ユキコ様! 旦那様からの贈り物です!」
就寝前のひととき。
エイダさんと雑談していると、花束を持ったセバスチャンが嬉しそうに部屋に入ってきた。
……またか。
うんざりとそれを眺める。
ナルシスト男が帰って三日目あたりから、なぜか毎日贈り物をしてくるようになったのだ。花だったりお菓子だったり、ちょっとしたものではあるけれど。
上機嫌なセバスチャンは、勝手に花を生けて出て行く。
エイダさんが眉をひそめた。
「こちらが懐柔するより先に、向こうから仕掛けてきましたわね。……見抜かれているのかもしれませんわ」
「別にいいです。私は絶対に懐柔されたりしないから」
吐き捨てるように返す。
花に罪はないけれど、ついつい険しい視線を向けてしまった。
「まあ、伯爵様が来られるのは一月に一回ぐらいのものですから。あまり気にすることはないと思いますわ。──それより今は、お勉強を頑張りましょうね? ノア様に抜かれていますわよ」
「……ハイ」
厳しく指摘され、しゅんとする。
だって、ノア君と違って私にはモチベーションがないんだもん!
胸の中でこっそりと言い訳してみた。
◇
翌日。
一日のノルマを終え、夕食前の休憩時間。
ノア君とエイダさんが私の部屋に遊びに来てくれたので、三人であれこれとおしゃべりする。……というよりは、楽しそうに話すノア君を微笑ましく眺めていた。
扉をノックする音が聞こえたので、話を中断して立ち上がった。夕食の準備が整って、食堂に呼ばれたのかと思ったのだ。
開いた扉の先に立つ人物を見て、私とエイダさんは絶句した。
「父様っ!!」
わあい、と喜んでノア君がナルシスト男に抱きついた。
ナルシスト男も微笑むと、ノア君を抱き上げ頭を撫でる。……なんだ、ちゃんとお父さんやってんじゃん。
ではなく。
「……一月に一回じゃなかったんですか?」
「今までは、そうだったのですけれど……」
ささやく私に、エイダさんも困惑したように返す。
ナルシスト男はノア君を下ろすと、セバスチャンの方に押しやった。
「ノア、セバスチャンと一緒に部屋に戻っていなさい」
「はぁい! 父様、夕食は一緒にたべますよね?」
「ああ。また後でな」
ノア君は幸せそうに微笑み、私とエイダさんにぶんぶん手を振って出て行った。
ナルシスト男は後ろ手に扉を閉めると、ふんぞり返って私を見つめる。
「わたしの贈った花を飾っているようだな。まあ当然だが。──今日は、君に土産を持ってきてやった」
「いらないです。それと花は勝手に飾られただけ。お菓子は全部ノア君にあげちゃったし」
懐に手を入れていた男はぴきんと固まった。
真っ赤になって、みるみる眉を釣り上げる。
「やはり君のような平民には、もったいない品のようだな! この、サファイアのネックレスは!」
わざとらしく言いながら、懐から取り出した小箱を開けてネックレスを掲げた。
トップ部分に大粒のサファイアが付いた、精緻な細工の銀のネックレスだ。室内の明かりを反射して、きらめくように青く光り輝いている。
「ワア。トッテモ綺麗デスネ」
「……なんだ、その言い方は!?」
棒読み無表情で称賛してやると、ナルシスト男から怒鳴りつけられた。わなわなと震える男を、冷めた目で見返す。
「だって、そんなのいらないし。私は花にも宝石にも興味ないから、贈り物なんかしたってムダ」
懐柔されたりしないんだから、という意を込めて睨みつけた。
男は虚をつかれたように黙り込む。端正な顔を歪ませると、ためらいがちに口を開いた。
「……なら……君は一体、何が欲しいのだ」
「差し当たっては、動きやすい服。こんなドレス大っ嫌い。というか、まずは私が着てた服を返してよ」
「服だと? あんなものはとっくに処分させた」
……はあっ!?
ふざけんな、返せ私のゆるゆる部屋着!
フード付きだし、リラックスタイムにも最適だったのに!
「人のモノを勝手に捨てないでよ! このっ、最低最悪非常識男!」
「なっ……!? 君のように無礼な女は初めてだ! 君はこれからずっとここにいるのだから、わたしに相応しい格好だけしていれば良い!!」
言い放ち、憤然と部屋を出て行った。
怒りに地団駄を踏みそうになったところで、はっと我に返る。
しまった、またやってしまった……!
怒られる覚悟でエイダさんを振り返ると──
予想に反して、彼女は棒を呑んだように立ち尽くしていた。
「……エイダさん? あの、私また、ごめんなさい……」
恐る恐る、無言のエイダさんの顔色を窺う。
エイダさんはなんとも言えない表情で私を見返した。
「ユキコさん。これは……少し、予想外というか。──まずい状況に、なってしまったかもしれませんわ……」
彼女にしては珍しく歯切れが悪い。
下を向き、ぶつぶつと独り言を言い始めた。
「……さらに冷たく接すれば……いけないわ、悪化させてしまうかも。ならいっそ好意的に……駄目、やはり悪化してしまいますわ……」
エイダさんが何を言っているのかはわからないが、『まずい状況』という言葉に反応してしまう。おろおろと彼女の腕を取った。
「もしかして……あいつが私を刺しに来るとか!?」
「なんでそうなるんですの!……ああでも、確かに危険かもしれませんわ……!」
やっぱり危険なの!?
しばらく考え込んでいたエイダさんは、険しい顔で私に視線を戻した。
「……よろしいですか、ユキコさん」
私の肩をぎゅっとつかむ。
「伯爵様と、絶対にふたりきりになってはなりません。特に密室は危険ですわ。……伯爵様がこの屋敷に泊まられる時には、わたくしの部屋で休んでくださいな。使用人に言って、簡易ベッドを運ばせましょう」
その形相に、ごくりと唾を飲み込んだ。
理解したことを示すために深く頷いて、エイダさんをまっすぐ見つめる。
「わかりました。……奴が、私を暗殺しようとしてるって事ですね?」
エイダさんがずるりとずっこけた。
「全然違います! もうっ! だから、なんでそうなりますの!?」
頭痛をこらえるように頭を抱えている。
どうやら暗殺ではないらしい。
ひとまず安心したが、エイダさんの言っている意味が半分もわからない。首を傾げるが、ひとつだけ確かなことは──
(今夜は、お泊り女子会かぁ……!)
ちょっとテンション上がってきた。




